第23話
「どうだった?」
レストランを出ると、ヘルヴィムが楽しそうに僕に尋ねる。その顔は、僕の答えがわかっていて訊いている顔だった。その顔が見たくなくてそっぽを向いた。ここからでもモノリスが見えた。
僕は何も答えなかった。ヘリヴィムだって、肝心な質問には答えないのだ。僕だって、彼の質問すべてに答える義務はない。答えてくれないなら、いないのと変わらない。この村ごといなくなってくれても良いとさえ思った。
僕のムスリとした顔を見て、満足そうにヘルヴィムは頷く。
「どうだ。この島から出たくなったか?」
「いいや、少しもならないね。むしろここが天国のようにさえ思えるよ」
皮肉っぽく言って舌を出す。
「天国ね」
思っていた反応と違った。彼は少し寂しそうな顔をすると、僕の方に手を回した。
「まあ、いいさ。君の人生だ。君が決めると良い」
ははは、とヘルヴィムは笑った。
空は雲ひとつ無い晴天だ。まだ太陽は真上にある。何度見上げても太陽は動かない。
上を向いて歩きながら、僕はヘルヴィムに尋ねた。
「あんたらに食べ物を恵んでくれるって言う神は、この村にいるのか?」
「ああ、そうだ。この村の住人は誰も畑を作ったり獲物を狩ったりしない。ただ、神の恵みだけで暮らすんだ。そうして、日々の糧を与えてくれる神に感謝しながら生きるんだ」
「へえ、まるで……」
聖書の中の話だな、と良いかけて言葉を止めた。
「その神はどこにいるんだ?」
神がいるのだとしたら、天使を殺してほしかった。そう願ったら、神は手始めにこの天使の村から滅ぼすだろうか。天使同士で殺し合わせるというのも良いかもしれない。それくらい、天使に対して憎しみを持っていた。
「それは……」
ヘルヴィムが何か言おうとしたとき、目の前を歩いていた村人が、後ろからやってきた村人に槍で貫かれた。あまりにも突然の出来事で、僕は「ひっ」と声を上げてしまった。その後、槍を刺した方は、刺された方に剣で首をはねられた。一瞬の出来事だった。双方とも、その場に倒れ込んで絶命した。二人共、人間と同じ、赤い血を流していた。
「な、何が起きたんだ」
僕は腰を抜かしてしまった。眼の前で人が消滅するのは見慣れていたつもりだったが、こんな風に血を流して死ぬのを見たのは初めてだった。生臭さが、僕の鼻をついた。
「何が起きたんだろうな」
ヘルヴィムは醒めた目で二つの死体を見下ろす。通りの誰もが、まるで当たり前のように、突然、次々に殺し合いを始めた。
「お、おかしい。こんなのおかしい。いきなりどうしたっていうんだ。あんたらは人間なのか? それとも天使なのか? 一体何者なんだ? どうしてこんなことをするんだ? 僕をからかっているのか?」
ヘルヴィムの脚にしがみつくようにして、僕はまくしたてた。彼はそんな僕を、死体と同じ様に無感情に見下ろした。
「そういう君だって、自分が何者かわかっているのか?」
「僕は……人間だ」
決まっているだろう、と続けたかったが、語尾が風にかき消されてしまうくらい小さかった。
血生臭さと惨状に、今食べたばかりのパンとスープが胃の中からせり上がってきた。たまらずその場に嘔吐する。
苦しい。視界に映る全ても、嗅覚に感じる悪臭も、舌先に感じる痺れも、耳に聞こえる流血の音も、手に触れる無機質な死も。
この村はおかしい。早く哲学者の村に帰りたい。あの場所は居心地が良い。僕の居場所はあそこなのだ。もう、この島の秘密なんて知らなくても良いから早く帰りたかった。
「パパ」
再び、あの声がした。恐る恐る振り返ると、先程建物の中にいたあの子供だった。
「お、君の子供か? 君の子供なのか? 水臭いじゃあないか。僕に黙っているんなんて」
ヘルヴィムは楽しそうに僕を突く。
「し、知らない。だいたい、僕には子供なんていないし」
「この子は君のことをパパと呼んでいるぞ」
「パパ」
ほら、と言ってヘルヴィムは指差す。
「やめろ、やめてくれ」
僕は耳をふさいだ。
それでも、子供は何か言いたげに、僕に向かってパクパクと口を動かす。
子供の背後から斧が飛んできて、頭を砕いた。彼女の血と脳髄が飛び散って僕の体にかかった。
僕は耳を塞いだまま、大声で叫びながら走り出した。
僕に子供なんていない。
なぜなら、僕は子供を作れない体質なのだから。
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