第15話


 まるで古いゲームのような構えの洞窟だった。


 湿っぽく、陰鬱としていて、コウモリでも飛んでいそうだった。そんなジメジメした場所に入り込むのは御免こうむりたいところだが、この島の秘密を知るためなら仕方のないところだろう。僕は持っていたサンダルを履いて、しっかりと指を食い込ませるようにして歩いた。


 どこからか、猫の声がした。洞窟を根城にしている猫がいるのだろうか。


 洞窟は、山の洞窟と違って、壁面が海で削られたのだろう、うまい具合に何箇所か削れて窓のようになっていた。そのおかげで、灯りを持たなくても歩くことが出来た。場所によっては、パルテノン神殿のように、岩の柱が鍾乳洞のように上下に何本か支えを作っているだけの場所もあった。下を覗き込んでみると、海の水が岩に当たってはねていた。昔よりも水位が低くなっているのか、それとも引き潮だろうか。僕には海洋の知識はないが、この洞窟の形は人の手で掘ったのではないように見える。


 足元に苔の柔らかい感触が当たる。今まで晴れて良い天気だったというのに、何故かここに入った途端に、辺りが暗くなったように感じた。ゲームで言えば、場面転換だろうか。


 ふふ、と無意識に笑みを漏らした。「どうかしたんですか」と尋ねんばかりの表情のデカルトに答えるように、僕は言った。


「小さい頃にやっていたテレビゲームを思い出してね。どうして、今になってゲームのことなんて思い出すのかわからないが……。もう、随分ゲームなんて触れてもいないはずなのに」


「テレビゲーム?」


 そうか、ここにはテレビゲームはないのか。これをどう説明しようか迷っているうちに、デカルトは僕の話のことから興味を失ったようだった。


「博士」


 彼の声に視線を合わせるように顔を上げると、白衣を来た若そうな男が立っていた。なるほど、白衣を着ている人間を博士と呼んでしまうのは子供らしい。ただ、見た目が些か個性的である。まず一番気になるのは、黒猫の面をつけていることだ。なぜ猫なのかわからないが、無表情な猫の面がこちらを向くたびにぞくりとした。その面からはみ出た頭部にはボサボサの髪の毛が載っている。ついでに姿勢も悪い。まるで本物の猫の様だ。


 デカルトは博士のあの面を気にしている様子はない。


 洞窟の中に、壊れた水道のように水が出続けているところがあり、博士と呼ばれる男はそこで水をくんでいた。


「あー、子供」


 頭をボリボリかきながら、博士と呼ばれる男はデカルトを指さした。声の感じからすると、見た目よりは若そうだ。


「知らない大人を連れてくるなって言っただろぉ」


 語尾の上がる独特のイントネーションで彼が言う。彼は胡散臭そうな目で僕のことを見ると、頭の先からつま先まで、視線を何度も往復させた。僕から言わせてもらえば、お前のほうが胡散臭いと言いたい気持ちをぐっと堪えた。


「すみません。僕は最近この島に流れ着いた新参者で、この島のことをもっと知りたくて案内してもらったんです」


 できるだけ丁寧な口調で言ってみると、彼は目を輝かせた。


「君はあの村の人間ではないのか」


「あの村?」


「あの低能のバカどもの村だよ」


 どうやら、僕の漂着した村のことらしい。


「他にもあるんですか」


「他にもあるかだって?」


 博士はヒヒヒ、といやらしい笑い声を上げた。面の内側に響いて、耳障りに聞こえる。


「俺に言わせたらね、君のいるところは村とは言えないね。まったく、原始人共のたまり場だよ。あんなに知能の低い奴らはね、集まっても何の発展もしない、虫のコロニーだね。虫だよ、虫」


 散々悪口を言い立てる。この言い草、どこかで聞き覚えがある。いや、聞き覚えどころじゃない、僕は職場で同じことを言ったことがある。なぜか他人から同じ言葉を聞くと、恥ずかしい気持ちになってしまう。


「まあ、まだ流れ着いてすぐなら見込みはある。早くこの島から脱出したまえ」


 妻の記憶も戻っていないのに、島から出て行く訳にはゆかない。


 水を汲み終わったのか、博士はポリタンクの口を締めた。デカルトが駆けて行って、自然な動作でポリタンクを持った。普段から彼を手伝っているのだろう。まるで博士の助手のようだ。彼もそのつもりなのかもしれない。


 タンクは重そうだった。デカルトが来なかったら、あの重そうなポリタンクをどうやって持っていくつもりだったのだろうか。


 二人について少し歩くと、木の扉が現れた。洞窟にちょうど出来た穴に木の扉を固定したのだろう。それがうまい具合に玄関に見えた。


 扉の内側は、思ったよりも普通の家のようだった。地面が岩であることを隠すように、分厚いじゅうたんが敷いてあり、なんとソファまである。それよりも、目を引いたのは電化製品だ。僕が持っていた家電製品とそっくり同じものだったので、彼とは気が合うかもしれない。


「ここには電気が通っているんですね」


 僕の驚いた顔が面白かったのか、博士はまたあの変な笑い声をあげた。


「君は原始人か。これだけ海水もあれば日も照っているんだ。太陽光なり海水なり潮流なりを使えば人間一人が使う程度の電力は賄える」


 部屋の半分を、物々しい研究機器が占めていた。そのうちのどれか、もしくはすべてが発電に使われているのだろう。


 デカルトがキラキラした表情で博士を見ていた。なるほど、彼にとっては電気が珍しく、村の大人が誰もできないようなことをしている彼を尊敬しているのだろう。


「なるほど、博士……か」


 呟くと、博士は僕の目の前に手のひらを向けた。


「そう呼ぶのはやめてくれ。背中がかゆくなる。俺の名前はヘルヴィム」


 名乗って、彼は目を細めた。


 てっきり、村の連中と同じように哲学者の名前かと思いきや、そうではなかったことに驚いた。そして、その名前にもなぜか懐かしさを感じた。遠い昔から知っているような親近感がある。


「なぜ驚く」


「いや、村の人たちと名前の感じが違うなと思って」


「ああ、ああ、なるほど、なるほど」


 ヘルヴィムはうんうんと頷きながら、部屋の中を歩き回った。


「あの原始人どものたまり場と、俺のいた村とでは、文化が違うんだ。もちろん、名前も」


 へえ、と思った。同じ島内にありながら、別の国のようなものなのだろうか。それは珍しいことではない。イングランドとアイルランドしかり、アメリカ国内だってそうだ。州を跨げば全く文化が違うなんてこともある。ここは特殊な島だから、そういうこともあるのだろう。


「あんたは原始人などと蔑むが、デカルトだってあの村の人間だろう」


 なぜだか、急に僕の口が軽くなった。


 ヘルヴィムの動きがピタリと止まった。深く深くため息をつく。


「何にもわかっていない。子供っていうのはな、無限の可能性を秘めているんだ。だから、このくらいの年から俺のそばで勉強させていれば、知性が芽生える。あの原始人共とはいずれ袂を分かつことになるだろうよ。その点、子供っていうのは大人よりも価値がある」


 ずいぶんと、乱暴な思想の持ち主のようだ。別に、彼らを否定するつもりはないが、僕は人間の根源的なところは変わらないと思う。どんなに勉強したところで、根は変わらないのだ。自然と、自分の拳に視線が移動した。


「うっ」


 とんでもない頭痛に、僕は頭を抱えた。


「ど、どうしたどうした」


 ヘルヴィムが、まるで汚いものでも見るみたいに、面の口や鼻の部分を押さえて後ずさった。

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