第14話


 この島のことを調べたくなった。岩場に住んでいるという男なら、この村の人に怪しまれずにこの島のことを聞き出せるかもしれない。ここが、僕の終着点なのか、それとも、逃げ出すべきなのかを見極めねばならない。それに、これが一番大切なことだが、妻の記憶喪失を治す助けが必要だった。村の人間は信用できない。どんなに頼んでも、妻にあわせてくれないし、医者であるシモーヌは妻は記憶喪失なんかじゃないとまで言う始末だ。僕がどれほど妻に焦がれているかも知らずに。


 村を出て岩場の方、と言われても岩場がどこなのかわからなくて困った。


「岩場ってどこにある?」


 家を出ると、ちょうど人が集まっていたので尋ねてみた。彼らは、今日は漁には出ないらしい。どういう基準でそうなっているのかはわからないが、漁に出ない日は、決まって集団で葉っぱを嗜んでいる。


 目尻の下がった顔で、男が僕を見上げた。数秒の後、村の外の海の方を指さした。


「向こうだ。海沿いに歩いていけばいつかつく」


「どれくらい離れてる?」


 尋ねると、聞き覚えのない単位で距離を言う。聞き返したが、もう一度聞いてもわからなかったので「何分くらいだ」と尋ねると「うさぎが村の周りを一周するくらいだ」という、これまた分かりづらい基準で教えてくれた。


 僕は彼に礼を言うと、彼が示した方向へ歩き出した。これ以上、何を尋ねても、有益な情報は得られなさそうだ。ついでに、僕もジョイントを一本失敬したので、咥えながら歩く。そうすれば、少しは気が紛れる。


 村の入り口には、心ばかりの柵がある。夜間は柵を並べて動物が村に入ってこられないようにするらしい。そんな凶暴な、例えば象とかライオンのような動物がいるようには見えない。この島には、肉食動物が生きていけるほどの動物性タンパク質は摂取できないのではないだろうか。人間が食料であるのならば別だが。


 事実、ここでは魚と野菜ばかり食べる。その他、タンパク質といえば虫である。足の親指より大きな幼虫を生きたまま食べるのが普通であるらしい。僕には彼らのマネはできそうにない。食べてみれば美味しいらしいが、どうしても、あの姿が脳裏をちらつく。食通の者は、焼けた石の上を転がして、焼き目をつけて食べる。見ていると美味しそうに思えるが、それでもあれが口の中で動いたらと思うとゾッとする。


 ふと、先程のルネの話を思い出す。


「化け物……か」


 呟いて、笑った。天使の次は化け物か。いつから、この世界はファンタジーになってしまったのだろう。


 もらったジョイントは、フィルタの部分がハッカのような葉っぱで作られていた。スースーしてメンソールのようだ。こういうやり方もあるのかと感心した。


 村を出て少し歩くと、もう浜辺である。津波が来たら、村ごと流されてしまいそうだが、ここは波が一年中穏やかな土地なのだろう。村が流されたような形跡は見当たらない。


 空を見上げると、嘘みたいに真っ青だった。一欠片の雲もない。まるで花弁のようにのっぺりとした青空だ。天使たちのいる、真っ赤に染まった空と違って、ここは安全なのだと思える。


 太陽が僕の肌を焼く。ジリジリと音を立てて、僕の体を攻撃した。今はそれすら心地よい。サンダルを脱いで、指先に引っ掛けると、足の裏に地面の熱を直接感じられた。


 浜辺で大の字になってみた。地面に近くなったからだろうか、波の音が聞こえてくる。風が通り過ぎる度に、僕の周りの熱を奪って気持ち良い。


 今、僕は大地と一体になっている。


 どれくらいそうしていたろうか、波の音が特別なBGMではなくなった頃、子供が一人こちらへ駈けてくる足音がした。


 デカルトだった。


「どうした、こんなところで」


 声をかけると、彼は大きな体をもじもじして僕を上目遣いに見た。その仕草が、とても子供らしくて、あのルネの妹だとはとても思えない。


「博士のところへ行きたい」


 博士、というのは洞窟の男のことだろうか。


「岩場まで案内してくれるか」


 デカルトは顔を輝かせて頷いた。


 駆け出したデカルトに合わせて走り出す。子供とはいえ、大柄なのに随分脚が早い。彼も僕と同じ様に裸足だ。


「ちょっと待ってくれ、そんなに早く走れない」


 僕はすぐに息が上がってしまった。自然を全身に感じて、体が若返ったような気がしていたが、錯覚だったようだ。


 デカルトは申し訳なさそうに頭を下げると、走るのを止めた。しかし、少しすると歩く速度が早歩きになっていった。よほど早く洞窟へ行きたいようだ。

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