第6話

「そもそもお前はいっつもそうやん!適当がすぎる!」

「はぁ!?何やと?お前が神経質ぎるだけたい!」

藍色に染まる朝の港に男二人の怒号が響いた。

「また光さんと島津さんが喧嘩しよる・・・。」

つい先程までそんな素振りは無かったはずだが、原因は誰も知る由すらない。周囲はいつもの小競り合いだと笑ってそれを眺め続ける。

「大体お前な!次の組合長に推薦を受け取る立場で、寄り合いをすれば顔も出さんで、仕舞いにゃあそれにはなりたく無いやと!?どうなっとんねん!?」

そうこうする内、発端はどうも組合が深く関わる話と推測ができた。と言うのも、ほんの数日前の出来事。光は次の会長候補に、漁師皆からの推薦を受けた。しかし、

「あぁ!うるさい!俺はそんなもん微塵も興味なか!そもそも推薦って、お前達で勝手決めてしもうた事やろうが!そうやって毎回毎回焚きつけて!クソッ!」

パン!

結果は見ての通りの話で、彼は最後にそう吐き捨てると、頭に回した手拭いをほどき地面へと投げる。

「おい!まだ話は終わっとらんぞ!どういうつもりや!」

島津の叫びが届く事は無い。光はそのまま俯きながらに、足を急いでその場を去りゆく。不安と少しの罪の意識か。一帯は暗く静まり返った。



「ってな感じで、どうにもならんくなっとるんですわ・・・。」

重く荘厳な空気が漂う、ここは漁港の端も端にある組合長室。

「なるほどな・・・。そりゃあ難しいことや。できる事なら皆によって選ばれた光を次期にと考えとったが・・・。まぁこの際や、仕方ないのかもしれん。」

そう言いながらに、眉を落として口髭を撫でる。男の名前は大海 修蔵。昨年の末に引退を決めた玄界の海の支配者である。

「そう言えば島津、例の鯨は今どうなっとる?」

思い出す様で脈絡など無く、大海がふとして声を発した。

「はい、それがどうやらまだこの近海を彷徨いとるらしく、一応漁師達には軽く忠告を。」

島津は少々迷いを帯びつつ、この問いを返す。と言うのも、事は昨日の昼下がりである。「島の近くで黒い鯨が潮を吹いていた」突如噂が火煙を上げた。

「んんっ、そうか。ならいいが、それは勿論旅客船の方にも伝わっとるんやろうな?」

この時、島津の頭を刺した違和感。それはその時ほんの些細で、気に留めるほども無いものであった。

「まぁ、海の男の噂話はどんな船よりも早いでしょうから。大丈夫でしょう・・・。」

そうして島津の茶化した言葉に、大海自身も頷きながらに口を緩める。それが全ての元凶と知らず。




「ザザッ!あ〜玄界港、玄界港、取れますでしょうか、こちら白波。あと十分程にてそちらへ着港予定。ズッ!」

「ザッ!了解。周辺環境異常なし。引き続き航行してください。ザザッ!」

島の沿岸。強い陽射しを一身に受けて、平静な海をその船は進む。定期旅客船、白波である。

「いやぁ〜、今日もよう人が乗っ取る。こうなって来るといよいよ夏やなぁ。」

休憩終わりか。褐色に焼けた一人の男が、運転室への扉を開いた。

「そうですねぇ・・・。しっかし、僕にはあんな島の何がいいんか・・・。全然理解できませんね。」

海と青空の間でたよたう、深緑の孤島。ハンドルを握ったままの男は、それを聞きつつ笑いを浮かべる。

「そう言えば、お前も確かあの島出身やったな。」

「えぇ、そうですよ。でも、自分が住んどった頃はそりゃぁ不便なばっかりで・・・。」

その時である。達観にも似た呟きを終えず、彼の言葉が重く止まった。

「何や?どうした?」

「いや、何かさっきからデッキの方に人が・・・。」

迷うかの様な危うい手付きで指を刺す先。

ブシュウッツツ!!!

「何や!あれ!」

誰かが叫んだ。船側面からほんの数十メートル離れた、水面に突然水柱が立つ。

「こんな沿岸で・・・。鯨?やと・・・。」

一秒がまるでその何倍もの長さを持つ様、その場を異様な緊張が走る。次の瞬間、「舵切れぇぇぇ!!!」

ドスンッッ!!!ギィィッイ!!

轟音と共に船体は縦に、人の体は宙へふわりと投げて出された。




蝉の声ばかり耳の淵をゆく、雛形通りの夏は昼下がり。窓辺に吊るしたままの簾は風に釣られてその身を踊らす。

「また、島津さんとは上手くいかんかったんですね・・・。」

「何や、聞いたんか・・・。そもそもあいつが悪いんや。俺は何かに縛られるのは好かん。」

縁側に座る光を横目に、柴井 岬は慣れた口調で言葉を添わせる。

「そんなもんですか?私は、名誉な事と思いますけどね。漁業組合の責任者なんて。」

「んんっ・・・。」

彼女の言葉に、光はその目で遠くを眺める。考え込む様口を噤むのだ。

ジリリリリリツッ!!!!

それが鳴ったのは、ほんの少しの静寂を終えて。漁港から各位、漁師自宅への緊急内線。場は瞬時にして悪寒を纏った。

「あぁん!?何や!こんな時に・・・。」

心傷は未だ癒える事なく、されども光は受話器に手を出す。

ガチャッ

「何やこんクソがぁ!!!」

感情に任せ吐いた一声、それは奇しくも最悪の相手。

「うっ、ぐわぁ!うるせぇ!」

島津である。光の眉毛はまたひとつ高く上へと登った。

「貴様・・・、様電話やらかけてこれたな。はよ要件だけ言って切れ!こっちはお前の声聞くだけでも吐き気が止まらん。」

今朝の出来事で両者共々不自然など無い。加減も無いまま啖呵が切られた。だが、

「おぉそうか、やったら懇切丁寧に言うてやるわ。って、そんなこと言っとる場合か!今すぐ港まで来てくれ!旅客船の事故や。」

彼はひどくも慌てた様子で、人の返事を待つ様子も無く通話から消える。

「んんん・・・!何やクソがぁぁぁ!」

何一つとして理解に及ばず、光は思わず咆哮を上げた。




「ちょっと、どっかいくんですか?」

兎にも角にも、島津を問い詰め真相を聞こう。玄関を開ける光に対して、岬が不意にも言葉を放った。

「あぁ、帰ってきたらまた話すわ。」

飾り気も無しにそう答えた後、彼は即座に海を目指してバイクへ跨る。不穏な風が吹きすさんでいた。エンジンの音と遠のく光に、岬の心は少し波たつ。

「ほんとに、仲がいいんやから・・・。」




スピードを上げて海沿いを走り、停泊場の手前にバイクを乗り捨てて進む。すると、

「おい!こっちや柴井!」

すぐさま誰かの声に惹かれた。あたり一面を見渡してみると、その声の主は案の定島津。彼はもうすでに自分の船へと身を下ろしていた。

「おい、一体どういうことや全部説明しろ。」

光が積もった問いを投げかける。

「時間がない。とりあえず海の上で話そう。」

「勘違いすんな。誰もお前に協力するやら言っとらん。」

返しはあまりに淡白であった。光は露骨に態度で表す。

「何や、今回俺の尻拭ってくれるんやったら今度の会長は俺が全部話つけて、俺がやってやろうと思ったんやけどな。」

「あ?」

予想もできない返答に声がポロリと溢れる。どういう風の吹き回しなのか。頭が5秒は硬直していた。




法も何もなく速さに任せて揺れる船の上。島津は何やら懺悔する様に、事の顛末を話し始める。

「鯨が船に体当たりして、何人か海に落ちたって。もちろん海保にも連絡はしたが一分一秒争う状況や。」

「でも何で?島の漁師が応援に行く意味があるんか?しかも俺とお前の二人だけ。」

光は妥当な質問を返す。そもそも事故が起こった現場だ。島の漁師が出るのはおかしい。

「いやぁ・・・、すまんとは思っとる。そもそも今回の事故は俺が旅客船の方に鯨警戒の情報を流し忘れたのが元で・・・。」

この時、両者共々何かを察する。そして、

「なるほど、信じられん。悪党やな。その上俺に変な取引持ちかけて仲間に入れた。お前の馬鹿みたいなミスなんやけん俺は別に海に潜ってまで助けたりせんぞ?見とくだけや。危なくなったら俺は帰る。」

「わ、わかっとる。俺も俺自身がやらな罪悪感で死んでしまう。」

そう言葉同士ぶつけ合う程に、ただの蛮勇と心が震えた。仮に着いても助けられるか。より事を酷くするだけでないか。不安はきりなくふっては沸いたが、もう既にここは引き返せぬ場所。




つづく

この度は『この海の底まで第6話』をご愛読いただきまして誠にありがとうございました。もしこの物語が気に入っていただけましたら応援やフォローもよろしくお願いいたします。今度の更新はまだ未定となっております。

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