第3話
「ってな感じかな・・・。あんたから聞いとったのはここまで。」
耳鳴りがしていた。鈴からこの六日間の出来事について教えられた私は正しく放心状態。
「婆ちゃんが倒れた・・・?しかも福岡本土の病院に?」
無意識にその言葉が喉を伝って繰り返していた。
「そう、やけん取り敢えずここ出て、会いに行こう。」
「えっ・・・?」
言葉に合わせて、鈴は私の左手を握ってそう励ます。しかし、それとは別に私は一抹の不安を感じざるを得ない。
「船・・・乗った事ない。」
小さく恥を堪える様子で呟く。
「ん?そうなん?あぁ、別に乗り方とかは私が知っとるけど・・・。ん?」
鈴は言いつつ不可解という顔を浮かべる。それもそのはず。この島では一度も船に乗ったことがない人物というのは極めて少ない。ましてや、乗り方までも知らないとなれば尚更。何か理由があると考えざるを得ないのだ。
「ごめん。そういう事じゃなくてね。」
当然私も顔を横向きに揺らした。
「ただ簡単な話、海が怖いんよ。本当に体の底の方から。で、それ我慢して今まで・・・。やけん船乗るとか考えただけでも・・・ウッ!」
次の瞬間食道から何かが上ってくる様に感じて、思わず口を押さえる。
「えっ、どういうこと・・・?怖いって言ってもそれはさ・・・。」
鈴は驚きと懐疑に満ちた様な顔をし、側頭部をかく。
「ごめん・・・。やけん船はさ・・・。」
罪悪感が沸々と湧いて、私は言葉と同時に俯く。今自分がどれだけ薄情な奴と思われていることだろうか。どれだけ大袈裟な奴だと思われているだろうか。そう思うだけで、暗く沈んだ吐息が溢れる。
「あんたはそれでいいん?」
その直後の事、鈴が突然口を開いた。
「嫌だ・・・。」
私はキッパリ答えはすれども、目は赤くなって涙をいっぱいに抱え始める。するとその時、
「やっぱりね。そう言うと思っとった・・・。退院の日の夕方、港に来て。何とかする。」
鈴の唇が耳の横へと寄り添い、優しげな声でそう囁く。
「え?どういうこと?」
その言葉が理解出来ずに私は瞬時に問いを投げてしまった。彼女は何一つとして答える事なく、逃げるかの様にその場から離れる。
「待って・・・。」
ガラガラ!ドン!
最後の言葉は虚しく、扉の音に重なって消えた。
「・・・。」
時を同じくして、福岡県本土。
「岬さ〜ん。」
柔らかな声に目が覚め、いつもと異なる空気に少しの違和感を覚える。病室であった。
「ん・・・?」
頭が混濁に陥り、焦ってあたりを見回す。腕には謎の線がつながり、横では仰々しい機械が何らかの情報を示し続ける。その瞬間、
「おはようございます。点滴交換のお時間です。」
「うわぁ!」
横から入った唐突な声に反射し、岬は驚きの声を溢した。
「びっくりさせないでください!」
八十歳を手前にして、大人気のない怒りが唇を破り、飛び出す。だが、
「す、すいません・・・。」
見るとそこにいたのはまだ若々しい看護師。岬は振り上げた拳を誤魔化すような感覚になって、バツが悪そうに顔を背ける。
「こちらこそごめんなさい・・・。ところでここはどこですか?島の病院ではないですよね?」
気を落ち着ける少しの間をおき、真剣な面持ちを作って質問をしてみた。
「あぁ、九州大学病院。福岡市東区です。島の病院ではどうしても対処しきれなかったらしくて。」
「えっ・・・?」
思いもよらぬ回答を耳にし、一瞬固まる。
「もっと、もっと詳しく教えて頂けますか?」
焦りと驚きを全面に漏らして岬は更にその看護師を問いただした。しかし、
「分かりました・・・。ちょっと医師の方に確認して参りますので・・・。」
そう言うと看護師は困ったような顔を浮かべて足速に部屋を離れる。どうやら想像以上に状況は良くないらしい。緊張と恐怖。何よりも長い、数分間の始まりであった。ガラガラ
「お待たせしました。柴井様ですね。私担当医の御船と申します。」
しばらく、とは言っても客観視すれば二分もたっていなかっただろう。白衣を着こなす40代くらいの小綺麗な男が病室へと入ってくる。
「私は・・・。」
すかさず答えを求めて声を発する。しかし、
「えぇ、お気持ちは分かります。ですがまずは落ち着いてください。これから全てお話しいたしますので・・・。」
「つまりは軽度の脳梗塞です。幸い倒れた際、目の前に知人の方がいらしたようで、救急隊の到着も早くて助かりました。」
その説明を受けて、岬の心は自然と落ち着く。
「ありがとうございました・・・。おかげで何とか正気を保てそうです。」
「いえいえ、とんでもありません。それでは問題なければ失礼しますね。」
深々と両者頭を下げる。どうやら退院までにはまだまだ時間がかかる様子だ。彼女はふと窓の外の喧騒を眺める。
「海好・・・。」
ただ小さくされど確かに呟く。
「ん?今何か言われました?」
「えぇ、まぁ・・・。」
すかさず看護師が不思議そうに見返る。岬は穏やかな表情。そしてそのまま言葉を続けた。
「もし、私の孫・・・。いや、海好と名乗る高校生が受付に来たなら、”会いたくない”と伝えてください。」
「えっ・・・?」
緊張の糸がピンと張られるのを感じる。面会拒否。目の前の二人は理由を聞き出そうにも尻込みをしている様子だ。
「ごめんね・・・。光さん。」
そんな彼らを尻目に、岬はそう言い天を仰いで口角を上げる。
「どうして何も言わずに?」
海好の病室を出た後、鈴は昼下がり病院玄関のベンチでその老人に再会していた。
「あんたは・・・。あぁ、さっきの。お見舞い来るとか、優しいんやね。」
「漁業組合会長の島津って、あなたのことだったんですね。」
老人は屈託の無い笑顔で口調も当然の様に穏やか。しかし、一方で鈴は、それを踏みつける様に無視して話を前へ進める。
「えっ、まぁそうやけども・・・。」
彼は当然、不思議そうな顔。
「って言うか、あの子の婆ちゃんと仲良いんですね?海好から聞きました。この間も気になる話をしてたって。」
「・・・。」
問いを聞いた瞬間、何かを渋るかの如く老人は口を閉ざした。どうやら海好の感じていた不穏は満更で無いと勘が働く。何かを隠しているのはほぼ確実と見て良い。
「確か、”光さん”と言う人に関する話だったとかで。一体誰なんですか?その人?」
さらに核心をつく質問を重ねながらに、鈴はとうとう老人の座るベンチの横へと腰を下ろした。しかしながら、
「いや、そんな話しとらんと思うんやけどな・・・。どうした?他人の家庭環境、そんなに気になるんか?ハッハッハ!」
そう言うと、老人はいきなり笑って答えをはぐらかし始める。”逃げられる”咄嗟に心の中がそう叫んだ。
「17年前の定期船沈没の事件・・・。」
「・・・!!」
その一言に対して老人はまるで別人の様に、明らかな動揺を見せる。
「やっぱり何か知ってるみたいですね・・・。”光さん”という人の話を聞いて、もしかしてって思って学校の図書館で昔の広報の切り抜きを・・・。」
「何ね、最初っから全部知っとったんか。いい性格やな・・・。」
諦める様なその声と同時に両者ともども、深く息を吐く。
「まぁ、図書委員で大体のものには目を通してますから。記憶の片隅にあったのかもしれないですね。”柴井光”という名前が・・・。」
夏であると言うのに、肌先を撫でる風が妙に冷たい。うねりを上げた心もいつの間にか平常を保つ。
「とんでもない伏兵がおったもんや。」
老人は最後に一言、そう言って苦い笑みを浮かべる。
つづく
この度は『この海の底まで第3話』をご愛読いただきまして誠にありがとうございました。もしこの物語が気に入っていただけましたら応援やフォローもよろしくお願いいたします。今度の更新はまだ未定となっております。
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