第2話

「えっ!じゃあ何?そっから何も聞いてないって事?」

西の海へと太陽が落ち始める、午後七時半。勉強会の帰りに、私は鈴と先日のことを話した。

「そう・・・。何か聞いたらいかん様な空気感があって。」

「もったいな・・・。まぁ、でも確かにあの婆さん、知り合いとか昔の話って殆どせんしな。」

鈴は何処か呆れるようにし空を見上げて、私はそれに構わず更に続ける。

「でもそれだけが気になっとる感じやないんよね。」

「あぁ、さっきも言っとった”光”って人?」

「そう。」

二人で顔を見合わせ考え込む。

「でもさ、実際こんな小さい島なんやし、誰が誰を知っとるとか大した不思議じゃないと思うんやけどね。」

「え?いや、でも流石に怪しいやろ。」

鈴の思わぬ現実的な返しに、私はすかされた様な気持ちで咄嗟に論を返した。

「第一、それ隠されて何か問題あるん?いいやん、これまで通りに気にせず生きれば。って私は思うんやけど。」

「何でそんなこと言うん・・・。まぁ、そりゃぁわかるけどさ。」

思わず私は感情のままに不快感を示した。実際彼女の言うことは正しい。しかし同時に、それでは何の解決にもならぬと心が騒いでいたのだ。その時、

ピーポーピーポーピーポーピーポーピーポーピーポー!

消防署のある遠くの方から微かにサイレンの音が響き始めた。

「救急車?」

二人同時で静かに呟き、その足を止める。

「今度は誰や。酒井んとこの爺ちゃんか?」

「いやでも、何かこっちの方来てない?」

鈴の冗談を尻目に、私はそう言って耳に手を当てると、その音の方向を探り始めた。「ねえ、海好。」

唐突に名前を呼ばれて、私は素早く振り向く。

「何?」

「いや、何て言うか・・・、ちょっと言いすぎた。ごめん。」

見てみると鈴はバツの悪い様な顔をし、目線を逸らした。

「ど、どうした突然・・・?」

彼女からの謝罪を頭のどこにも考えなかった私は当然の様に戸惑う。

「別に、こっちもムキになって反論してしまったし、ここで謝らんとタイミング逃す気がして・・・。」

「そっ、そうか・・・。でもさ、仕方ないよ・・・。鈴が言いよることも正しい訳やし。」

ここまで素直に言われてしまうと、何故かこちらまでもが恥を感じる。ここからどうすれば良いのか。そんなことを考えながらに沈黙を守っていた時、鈴が何かに気付いた様子で人差し指を伸ばした。

「え、あれ・・・。」

「何?何か変なものでも?」

すぐさま後ろ側を見返す。しかしながら、そこにはいつもの風景が広がっているばかりで、おかしなものなど見つけることが出来ない。私は怪訝な表情をしながら、鈴の方へと顔を戻した。

「今、さっきの救急車が、あの坂登ってって・・・。」

「えっ。」

その言葉に、一瞬にして思考が止まった。何故なら彼女が差した坂道とは、港から柴井家までを繋ぐ一本の林道であって、無論途中に民家はほぼ無い。私は途端に身体中が震えて、次には地を蹴り走っていた。

「海好!」

鈴が声を張って止めるが聞こえないふりをし、全力で走る。考えたく無い妄想の類が頭の中を侵食していた。



家に着くなり、私はその場で言葉を失う。

「あぁ、ご家族の方ですか?良かった。とにかく、話は中でします。乗ってください。」

突如一人の救急隊員に声をかけられ、目の前の白い車両へと乗り込む。頭の中の整理がつかない。目の前には気を失い横たわる老婆と、彼女の隣で忙しなく動く隊員達。これは何かの間違いなんだと、脳が体へ言い聞かせる。

「ちょっと!聞いてますか!」

次の瞬間、突然肩を揺らされ大きな声が轟く。

「えぇ、あ!はい、すいません。」

私は情けない様な声を上げつつ、正気へと戻った。そのはずであった。

「しっかりして下さい。間もなく玄界総合病院です・・・。」

「あの・・・、そんなんより、この人誰ですか・・・?」

目の前の老婆に指をさしつつ、喉の底からその言葉は漏れる。

「・・・何を言ってらっしゃるのですか・・・?この方はあなたの祖母の柴井岬さんですよね・・・?」

隊員は恐怖にも似た不穏な顔を向けつつ、そう言う。私はそんな馬鹿げた話があるかと、笑みを浮かべた。

「そんなはずないじゃ無いですか。だって今日の朝方まで・・・」

ドサッ!

「どうされました?ちょっと・・・、しっかり、しかりしてください!」

この時、私は何故か突然気を失ったという。理由についてははっきりとしないが、祖母が倒れたと言う大きすぎる事実にまるで頭が匙を投げたかの様であったと、後に医者は語っていた。



「起きたか。」

朝日が差し込む見知らぬ病室のベッドで、私はふと目覚める。

「誰ですか?っていうかここ病院ですよね?なんで・・・。」

左右へ交互に首をふりつつ、脇に立った老人へと疑問をぶつけた。

「あぁ、申し遅れました。私、島津と言います。お婆さんの知り合いかな。んでここは玄界総合病院ってところよ。倒れたんよ君。」

「はぁ、そうですか・・・。どうも。」

どうにも記憶がはっきりとせずに、私は頭を軽く抑える。

「先生によると、倒れた時のショックで一時的な記憶障害を引き起こしとるらしい・・・。まぁ一応、直に記憶は戻ってくるやろうって聞いた。」

「え、倒れた・・・?っていうか記憶障害って?」

ベットから乗り出すと同時に聞き返して、最後の記憶を慌てて探った。

「うん、分かるよ。でも一旦落ち着こうか。流石に起きたばっかりやし、それについて詳しく言うのは・・・。今はね・・・。」

苦笑いをしながら、頭をかく彼。そんな妥当な返事をされたのでは、納得せざるを得ない。私は一旦落ち着き、頭の中から意識を外した。

「そうですか・・・。ところで、もう祖母って来ましたか?」

ベッドに体を預ける途中で、軽い気持ちにそう聞いてみる。しかし、

「・・・。」

彼は途端に無言になったかと思うと、窓の方へと目線を外した。

「何か、あったんですか?」

私は少し躊躇いながらも、聞かずにいることが出来ない。

「いや・・・、知らんよ。まぁ僕もさっき来たけんねぇ。」

目線を合わせぬ彼に対して、直感的に嘘だと思った。その時、

ガラガラ

病室の扉が開く音が聞こえて、少女が一人入ってくる。

「生きてたか。」

鈴だ。彼女は一言そう言ったかと思うと、大きく安堵のため息を吐く。

「ご心配、おかけしました・・・。」

私は少しの笑いを浮かべながらに、軽い反省を示した。

「ほんとよ・・・。先生から聞いて・・・。ところで今どこまで覚えとるん?」

「えっ?」

「記憶の話よ!」

鈴の顔が微かに真剣味を帯び、こちら側を見つめる。今まで見たことがないほど険しい彼女に、私は再び最後の記憶を探り始める。

「全然駄目やん・・・。修了式終わったくらいまでしか、どうにも・・・。」

「うわぁ・・・。結構やばいやん。それ。」

二人揃って頭を抱えた。6日間とは言えども、記憶が消えた事実はどうにも受け入れることが出来ない。

「じゃぁ、私が全部教えて・・・。」

数秒の間をあけ、鈴は何かを決めたかの如く口を開いた。しかしその時、

「ちょっと待ちなさい!」

突如として隣で傍観していた島津が声を発する。

「流石に今すぐ以前のこと全部話すって言うのは酷やろ。それに医者の方からもそう言うのにはストップが出とるし・・・。」

”関係は無い”と一蹴したいところではあったが、わざわざ見ず知らずの自分を気に掛けてくれている思うと、どうにもそうはいかない。私はやむなく頭を縦に揺らした。「あ!思い出しました。お爺さん、救急車が来た時海好の家の前にいた人ですよね?だったらその時のことを海好に詳しく・・・。」

「え?」

「は?」

鈴が手を叩いて発した言葉に、私と島津は思わず同時に声を発する。

「ちょっと待ちなさいって・・・。とにかく今はまだ。」

「構いません。」

不意に気持ちがたかぶり、好奇心が口から漏れ出す。

「構いませんから、何があったのか全部話してください。」

私の言葉に目の前では、鈴と島津が互いに目を合わせて、無言の会話を展開していた。すると突然、

「あぁ、この後ちょっと仕事が残っとるんやったわ・・・。サボりはいかん。そろそろ帰らな。」

老人はそう言い逃げるかの如く、荷物を纏めて椅子を立ち去る。

「え?ちょっと待ってください!何で・・・。」

私は何とかベッドの上から引き留めようと呼んだが、その甲斐虚しく扉は閉まってしまった。

「何かあるんかいなね?」

「うん。」

何気ない問いに対して、鈴の答えは短く明快。そうして、

「仕方ない。さっき言われてまだ罪悪感あるけど・・・、今からこの6日間、あんたに何があったんかを私が全部話すわ。やけんちゃんと聞いてね・・・。」

彼女は私の目線へ足を折って並ぶと、静かにそう言い話を始める。背骨の辺りに嫌な汗を感じながらも、止める間もなかった。

「最初にあんたが言っとったのは、修了式の後で家に帰った時やった・・・。」



つづく

この度は『この海の底まで第2話』をご愛読いただきまして誠にありがとうございました。もしこの物語が気に入っていただけましたら応援やフォローもよろしくお願いいたします。今度の更新はまだ未定となっております。

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