決意

 けがをしてから一か月。退院した頃には、五月になっていた。桜は散り、季節は夏に移行しつつある。骨折も大したことはなく、普通に歩けるようになっている。


 久しぶりの学校は楽しかった。特に変わったことはないけど、久しぶりに人と話すことが新鮮に感じて。ずっと医者か、看護師との事務的な会話しかしてこなかったから。


 お昼休みにシオンと廊下で話した。入院中、何度かお見舞いに来てくれたけど退院してから話すのは初めてだ。


「足、もう治ったんですか?」

「うん。まだ走れないけどね」


 無言の時間が流れる。


「先輩....放課後、屋上に来てください」


 顔を赤らめ、緊張した様子で呟いた。


「分かったよ」


 何を言われるかは大体想像は付く。どう言えばいいか、自分の心はどこにあるかハッキリしているつもりだった。しかし、今になってそれがグルグルと頭の中で回り始める。

 

 放課後になった。彼女はもう屋上にいるだろう。ゆっくりと屋上のドアを開けると、彼女は、正面の柵にもたれ掛かってこちらを見ていた。


「来てくれましたね」


 にっこりと笑っている彼女になんて言っていいか、自分の頭の引き出しを開けまくる。


「その顔いいですねぇ。なんて言っていいか分からなくて苦しんでる」


頭の中を見透かされている。


「可愛いね。たっちゃん」


 手がじんわりと濡れていく。汗がおでこから頬に伝っていく。とにかく何か言わなくては...。


「僕は――」

「なんです?」

「僕は.....」


 笑顔は変わらない。その目には光が無く、汚いものを見るような眼をしている。


「アオイが...好き...なんだ」


 呆れたように大きい溜息をすると、彼女は近づいてきた。何事もなかったかのように、平然と。


「たっちゃん」


 迫りくる真っ黒な目を直視できなくなった僕は、目線を自分の足元に移した。


「なんで目、逸らすの?」


 視界の端に彼女の足が映る。いる、見たくない物が。見られない物が。緊張して呼吸が荒くなる。動悸が止まらない。


「大丈夫?調子悪そうだけど」


 彼女が顔を覗き込んできた。小動物のような可愛さの顔に捕食者の目が付いている。思わずたじろいで、後ろに下がる。それに合わせて彼女も一歩近づく。また一歩、一歩、一歩と続く。


 足が絡まって、転んでしまった。彼女と目線が同じになる。


「もう逃げられないね」


 さらに一歩踏み込んで、彼女は懐に入って体を密着させてきた。花のような柔らな匂いは、場違いすぎるくらい良い匂いだ。


「いいじゃないですか。アオイちゃんなんて忘れて、私を愛せば」


 冷や汗でべたつく右手に、彼女の柔らかい指が絡みつく。まるで蛇のようにスルリと。


「あいつを裏切れないよ...。僕には、彼女しか...アオイしか」

「いつまで死人に執着してるんですか?もう五年経ったんですよ?いいじゃないですか、もう」


 顔を近づけると、耳元で優しくささやいた。


「一緒になろう?気持ちよくさ。ドロドロに混ざり合って、お互いの傷を舐めあうの。素敵じゃない?」


 吐息が耳にかかってゾクゾクする。僕には何もできない。あの時、アオイにも言われた。


『情けないね』


 そうだ。僕は.....。ごめん、アオイ。僕はやっぱり情けないよ。こんなに僕を愛している子がいるのに、やっぱり君が好きだ。

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