#43 足枷と呪い



 嬉しかった。

 営業マンとして、これほど光栄なことはそう無いと思う。


 今までこんなにも俺を評価してくれたのは、アイナさんくらいだったし。

 副社長も俺の事を買ってくれていた様だけど、結局あの人も俺を切り捨てた。


 会社への不信感で気が狂いそうなくらいだったのに、全く別の会社のお偉いさんがこんな遠くにまで俺に会いに来てくれて、俺のことを褒めちぎってくれている。引き抜く為にヨイショしている部分も大いにあるだろうけど、話の内容からして事前に俺のことを相当調べているようだし、その調査にはお金もかけていることが想像に容易い。


 俺なんかの為に、と我慢出来ずに涙が零れてしまう程、嬉しかった。

 報復人事以来ずっと悔しかった思いが報われた様な気持ちにさえなった。


 だけど、俺の答えは決まっている。

 おしぼりで涙を拭って、返事をした。



「大変光栄なお話で、とても有難いです。 ですが、御受け出来ません。申し訳ございません」


「いや、直ぐに答えを出さなくても良いから。ゆっくり考えてから結論を出してくれないか?」


「すみません。答えは最初から決まってるんです。 お時間頂いても答えは変わりません」


「何か理由があるようだけど、聞かせて貰うことは出来るかい?」



 話すのは気が引けるけど、ここまでして貰っているのに断る以上は俺も誠意を持って正直に話すべきだろうな。



「結婚を約束した女性が居まして、その女性は、山霧堂の経営者一族なんです」


 俺の話を聞いた立花取締役は額に手を当てて「うーん」と唸り、大友さんは「そっちかぁ」と声を漏らした。



「もしかして、君の左遷の原因はその女性なのかい?」


「全く無関係だとは言えませんが、真因は私自身への妬みだと思います」


「そうか・・・。私もここまで来てタダでは帰れないから言わせて貰うが、その女性は君にとって『足枷』になっているんじゃないのか?」


 そんなことは分かってる。

 次長と常務に因縁付けられた時から、「アイナさんの存在が無ければ」と頭に浮かぶ度に、その考えを必死に打ち消して来たんだ。

 その考えは、彼女への誓いに反するものだ。考えてはいけないし、口にするのは絶対にダメだ。



「君にとってどれだけ大切な人だとしても、その為に君が不幸になるのは間違っているんじゃないか?」


「間違っているか正しいのかは、分かりません。 ですが、私にとっては会社での立場よりも大切な存在でした」


「じゃあ、山霧堂を辞めてその方と結婚するという道は?」


「無理だと思います。 山霧堂はオーナー一族が経営する会社です。 裏切者との結婚を本家が許すとは思えません」


「・・・そうか、君の事情はよく分かった。これ以上の説得は君を苦しめるだけだな」


「本当に申し訳ございません。年明けのご多忙の中、こんな遠くまでご足労頂いたのに、なんと言ってお詫びを申し上げて良いのか」


「いやいや、気にしないでくれ。コチラが勝手に押しかけて来たんだ。 でもそうだな。荒川君の営業マンとしての本質は、その義理堅さなのかもしれないな。益々惜しくなるが、こればかりはどうすることも出来ないのだろうな」


「立花取締役には、今日初めてお会いしたばかりなのに、本当に良くして頂いて感激しております。 何か別の事でお力になれることがありましたら、何でも仰って下さい」


「ああ、分かった。その時は遠慮なく相談するよ」


 立花取締役はそう言うと、ニカっと笑って「さぁ飲もう飲もう!ここからは新年会だぞ!折角熊本まで来たんだ!旨い飯喰って旨い酒飲まないと勿体ないぞ!」と言って俺や大友さんのグラスにビールを注いだ。






 お開きになり、お店の前で「本日はご馳走して頂きまして、ありがとうございました。また熊本にいらっしゃる際は是非お声を掛けて下さい。今度は私が接待させて頂きます」と挨拶すると、立花取締役は真面目な顔になって「君のところの白石さんだが、NNKっていう商社との良からぬ噂を耳にした。調べてみたら荒川君の役に立つカードになると思うよ」と話してくれた。



 白石常務と聞いたことのない社名の商社?

 そう疑問を浮かべた瞬間、一連の事情が見えてしまった。


「分かりました!調べてみます! 本当に何から何まで、ありがとうございます!」


「ああ、頑張ってくれ。陰ながら応援しているよ」


「ありがとうございます!」



 俺のお礼の言葉に立花取締役は右手を軽く上げて、大友さんと二人で温泉街の方へ歩いて行った。


 俺は二人の姿が見えなくなるまで、その場で頭を下げて見送った。





 一人で歩く帰り道、立花取締役から言われた『足枷』という言葉が頭から離れなかった。


 アイナさんとお付き合いする前から、経営者一族との付き合いには覚悟が必要なことは分っていた。だから最初はアイナさんからのアプローチをスルーし続け、何とかうやむやにして逃げようとしてたくらいだった。

 だけど結局アイナさんの好意に負ける様に恋人になり、そしてアイナさんの魅力に取り憑かれてしまった。 


 報復人事でアイナさんも了承していたことを知り、その後も距離を置かれて、アイナさんも俺のことを切り捨てたんじゃないかという不安を直視できずにいた。

 いくら俺が経営者一族と対立しても、アイナさんだけは俺の味方で居てくれると自信があった。だからこそ、次長たちとモメた後にアイナさんを巻き込みたくないと思ったんだ。


 でも結局は、俺の考えは甘かったんじゃないかと思うしかない。

 左遷されたことよりも、アイナさんに切り捨てられたということが認めたくないけど、認めざるを得ない状況に、叫び出したいくらい辛かった。


 だったらそんな足枷さっさと諦めて、引き抜きの話を受けるべきだというのも理解は出来ている。 でも、やはり俺にはその選択は出来なかった。


 いくら切り捨てられようとも、俺にはアイナさん以外に欲しい物など無い。

「アイナさんを自分の物にする為なら何だってする」という誓いは今もなお心に強くある。



 俺のこの執着心が、今の俺を呪いの様に苦しめている。


 だけど、光明が無いわけじゃない。

 時間が掛かってでも必ず巻き返してやる。

 熊本に来てから初めて意欲が湧いて来た。

 立花取締役に褒めちぎられて、テンション上がってるのかも。

 チョロいな、俺。

 


 後日、大友さんがオフレコで教えてくれた話では、元々はヘッドハンティングの仲介業者に依頼していたのだが、俺が左遷された情報を新年仕事始め早々にキャッチした立花取締役が「今が最大のチャンスだ。コチラの熱意を見せるためにも自分で行く」と言って、急遽年始の予定をキャンセルして強引に熊本までやって来たそうだ。 

 流石大手の営業トップともなれば、とんでもないヤリ手だった。ドコかの坊ちゃんやタヌキとは大違いだ。



 その後も、同じような引き抜きを臭わせる問い合わせが別の企業から3件程あったが、全てその場でお断りした。







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