#42 捨てる神あれば拾う神あり
気分は腐っていたが何もすることが無いので、ノートPCで思いつくことを書きだす。
まずは菊池市。次に熊本市。
近所周辺の温泉旅館への売り込み。
市役所観光協会に挨拶。
近隣市町村の道の駅への売り込み。
熊本空港も行ってみたいな。
挨拶回りや売り込みに持参する手土産(サンプル用の商品)と商品カタログのパンフとそれを入れる封筒の用意。
サンプルは抹茶ドラ焼きとかりんとう饅頭の2種類でいいか。
消費期限考えて、二日に一回ペースでこまめに発注だな。
パンフは何回も手配するの面倒だから500セットくらい行っとくか。
なんとか頭を仕事モードに切り替えると多少は脳が働いてくれるが、これくらいしか思い浮かばない。
でも、何もしないよりは良いよな。
元々俺の営業ってこんなん(数打って勝負)だし。
九州営業所は営業部の中では営業企画室と同じように独立している。
但し、今の段階では受注システムの処理なんかの対応が営業所では出来ない為、そういった処理は本社の営業2課が対応してくれることになっていた。
営業2課の事務の子にメールでサンプル用の商品の発注を依頼して、総務の子にもメールでパンフと封筒と梱包用の紙袋を送って貰うように依頼する。
これで今日はすること無くなっちまったな。
こういう時は掃除くらいしか思いつかないので、社用車に乗ってホームセンターに行って、キャタツとかバケツとか掃除道具とか、あとドアに設置するベルも買って来た。
営業所に戻ると、まずは天井の埋め込み式のエアコンの掃除から始める。
キャタツ使って開いてフィルター外して、雑巾で中を拭き掃除。
フィルターは給湯室で水洗いして、表で日干し。
それが終わったら床の掃き掃除して雑巾がけも。
ガラス窓も綺麗に拭き掃除して、フィルターをエアコンにセットして、最後に入口ドアにベルを設置して完了。
3時間くらい掃除してた。
明日は、建屋の外も掃除するか。
駐車場とか雑草生えてたし草取りも必要だな。
軍手も買っておけば良かった。
まぁどうせ明日も暇だし、また買いに行くか。
そんなことを応接セットのソファーに深く座って休憩しながら考えていると、会社支給のスマホが鳴った。
営業所をオープンしてから電話鳴ったの初めてで、ビクッっとした。
電話に出ると、カミヤマ製菓の大友さんだった。
カミヤマ製菓はウチとはライバル関係の同業者だが、全国展開していて山霧堂よりも会社規模も売り上げも上の会社だ。大手と言っても良いだろう。
大友さんはそのカミヤマ製菓の営業で、俺が2課時代に外回りをしている時にとある小売店で偶然遭遇して、名刺交換して以来別の小売店とかでも会う機会が何度か続いて、その内一緒に飲みに行くようになり、今では情報交換したり色々愚痴ったりする仲で、去年原材料高騰で新規の商社を探していた時も相談にのってくれた人でもあった。
『荒川君、聞いたよ~、九州に異動したんだって?』
「ええそうなんです。年末に急だったんでバタバタしてて、挨拶出来なくてすみませんでした」
『いやいやいや、そんなこと気にしないで。色々大変だったって聞いてるよ?』
「ええまあ、お恥ずかしい話なんですけど。 それで今日は急にどうされたんです?」
『ああそうそう。今俺も九州に出張中なんだよ。それで会えないかと思ってね』
「そうなんですか。是非俺もお会いしたいです。一緒にお酒でもどうですか?」
『お、良いねぇ。それでね、同行者も居るんだけど、ご一緒しても良いかい?』
「ええ、そりゃ勿論。 お店の方は俺の方で予約して置きますので、店決まったら連絡しますね」
『いや、お店はこっちで用意してるから。営業所は菊池市なんでしょ? 今日は菊池温泉で宿を取ってるから、お店も多分すぐ近くだし』
んん??なんか準備良いな。
勘ぐり過ぎか?まるで俺に会いに熊本まで来たみたいだ。
指定されたお店はお寿司屋さんで、営業所から少し離れてはいたけど歩いて行ける距離だったので、約束の時間より少し早めにコートを着て歩いて向かった。
お店に着くと大友さんはまだ来ていなかったので、店員さんに事情を説明してカウンターで待たせてもらった。
約束の時間丁度に大友さんと同行者が来店した。
改めて座敷席に案内されて、同行者の方は初対面だったので、座る前に自己紹介しながら名刺交換すると、その方はカミヤマ製菓本部の取締役営業統括部長の立花さんと言って、要は営業トップのお偉いさんだった。
名刺受け取って「ひぇぇぇ」と恐縮していると、立花取締役は「噂の山霧堂の『荒川商店』が今熊本に居るって聞いてね、今日は無理言って大友君に会える様にアポ取って貰ったんだよ。今夜はウチが持つから気楽に飲んでくれるかい」と更に恐縮してしまうようなことを言いだした。
やっぱり俺に会う為に熊本まで来た様な言い方だな。
でも、アポって言っても電話掛かって来たの今日の午後だぞ?
ってことは、やっぱり何かの次いでだよな。
ビールで乾杯すると、まずは原材料高騰で相談に乗って貰った件のお礼を述べた。その流れで、簡単に社内であったその件のゴタゴタを説明すると、立花取締役が非常に興味を持ってくれたので、チョーシに乗ってオチで「最終的にはこの件でウチの常務に睨まれて飛ばされちゃいました。テヘ」って話すと、「山霧堂さんの常務って確か白石さんだっけ?」とさっきまでにこやかだった表情が一瞬真顔になった。
「ええ、そうです。すみません、お恥ずかしい話してしまって」
「ああ、すまんすまん、気にしないでくれ。ちょっと気になることがあってね。 さぁ飲んで飲んで!ビールよりも焼酎行くか?熊本っていったら焼酎だよな。大友君、注文頼む」
そこから再び和やかな雰囲気でお酒が進み、3人とも酔ってくると大友さんから俺の異動の件を振られた。
「そう言えば荒川君。今回の異動って12月の中旬に急に辞令が降りたって聞いてるよ?」
「ええそうなんですけど、なんで大友さんがそんなことまで知ってるんです?」
「荒川君ってそこら中の小売店さんでは有名人だったからね。こういう噂はすぐ広まるんだよ。実際に俺も小売店さんから「荒川君が九州に左遷された」っていう噂聞いてさ。そもそも部外者から見てもこの人事はあからさま過ぎるよ。山霧堂さんはエゲつないことするね」
そりゃそうだ。誰が見ても左遷だと思うわな。
「ええ、そうですね」
「それで山霧堂さんに直接電話して聞いてみたんだよ。そしたら本当に九州の営業所に異動したって言うからさ、それで営業所の連絡先とか住所教えて貰ってね」
「そうでしたか。 色々ご心配かけてすみませんでした」
ココで立花取締役が口を挟んできた。
「荒川君、正直に話すと、今回の熊本は君に会うのが目的なんだよ。単刀直入に言うけど、ウチに来ないか?」
飲んでた焼酎、吹き出しそうになった。
慌てておしぼりで口拭いて、聞き返す。
「私がカミヤマ製菓さんにですか?」
「そうだ。 もし来てくれるなら、ポストは課長を用意する。報酬は最初の1年は今の1.5で、2年目以降は実績で変動するっていう形で」
「ちょ、ちょっと待って下さい!それって私を引き抜きたいっていうことですよね?」
「その通りだよ。 荒川君、君は非常に優秀な営業マンだ。 伝染病の流行でドコも売り上げが落ち込んで業界全体が悲鳴を上げている中、山霧堂さんは君一人のお陰で持ちこたえた。商品が売れない状況下でも売ることが出来る、これは凄いことだよ。ウチでも君の様なパワフルな人材は居ないよ。 なのに山霧堂さんの君への扱いは酷すぎる。会社にとっての救世主をつまらないお家騒動なんかでこんな遠くに飛ばして。 失礼を承知で言わせて貰うが、山霧堂さんには荒川君は勿体ない。正に宝の持ち腐れだ。 ウチに来てくれたら、もっと活躍出来る場を用意するよ。君の力を存分に発揮して欲しい」
立花取締役は、前のめりになりながら俺の目を見て熱弁していた。
本気で俺を口説き落とそうという熱意が籠った目だ。
そんな立花取締役の話を聞いていたら、ボロボロ涙が零れて来た。
ナツキに捨てられた後も、報復人事の辞令を受けた後も、一度も泣かなかったのに、お酒のせいなのか立花取締役の思いが嬉しかったからなのか、涙が止まらなかった。
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