3部

#41 辛い距離



 熊本で年を越した。

 悲しいことに、一人で。

 


 辞令を受けた日に営業所にする物件をネットで探し、翌日には一人で熊本へ来てレンタカーを借りて手続きやらモロモロの準備を始めた。営業部も総務部も誰も手伝ってくれず、愛知と熊本を行ったり来たりしてたら気が付けば年が明けていた。


 事務所物件は熊本市に隣接する菊池市で借りた。

 最初に九州営業所と聞いた時は、てっきり福岡県だと思ったが副社長の指示で熊本県の菊池市に。理由は不明だ。


 小さな温泉街があるだけで、ぶっちゃけ何も無い。

 長閑のどかでのんびりとした田舎町で、熊本市の中心から車で1時間程のココを拠点にこれから九州中を回って営業するのだと考えると、「どないせーっちゅうねん!」と言いたくなる。



 営業所は店舗型の建屋で、事務所にはデスクと応接セットに電話が1つ。PCは以前から使っていたノートタイプのみ。 電気ガス水道ネットはバッチリだが表にはまだ社名の看板は無い。余裕が出来たら業者に頼んで設置するつもり。

 あまりにも寂しいから、喫茶店の入り口ドアとかに付いてるカランカランて鳴るベルを設置しようか思案中。あれって、ホームセンターとかに売ってるのかな。

 あと、社用車も1台確保出来た。中古のバンだけど総務脅して何とか買って貰った。

 へへへ、俺専用の社用車だぜ。名前付けちゃおうかな。


 因みに、ずっと営業所で寝泊りしている。

 洗濯物はコインランドリーあるし、お風呂は近所に温泉があるので、寝れさえすれば何とでもなった。


 私物は引っ越しの作業をする余裕が無いので、愛知のアパートをそのままにしている。

 一応表向きは会社都合での異動なので、引っ越しが出来るようになるまでアパートの家賃の方は会社で責任もって貰えないか総務と交渉しているところだ。


 それと、就職した時に買ってこれまでずっと乗って来た愛車は、売ることにした。

 九州まで持ってくるのシンドイし、愛知に置いたまま維持費だけかかるのも勿体ないので。

 アイナさんやナツキとの色々な思い出の詰まった愛車なので、本当は手放したくなかったけど、仕方ない。




 世間が年末やら何度目かの伝染病の蔓延やらで騒いでいる中、俺は一人でバタバタと奔走ほんそうして、何とか年明け仕事始めには営業所オープンを間に合わせた。

 新しい名刺も本社から送られてきて、これで俺も『九州営業所所長様』だ。


 オープン初日の朝、開店祝いのお花が届けられた。


 社長とアイナさんから鉢植えが2つ。

 社長の名前が入った花を入口正面のカウンターに置いて、アイナさんからの花は応接セットの横に置いた。 ガランと物寂しい事務所に花だけが自己主張している。





 辞令を言い渡されたあの後、営業企画室の事務所に戻ると、アイナさんからは「大変だと思うけど、頑張って頂戴」とだけ無表情で言われた。


 俺も「ご迷惑お掛けします」としか言えなかった。



 本当は色々話したかった。


「遠く離れても『アイナさんを手に入れる為ならなんだってする』という俺の誓いは変わらない」

「必ず本社に復帰してみせるから、待っていて欲しい」


「アイナさんのことを、愛してる」



 でも、俺に対する報復人事をアイナさんが了承していたことが少なからずショックで、何も伝えることが出来なかった。

 


 アイナさんと最後に会ったのは、確かクリスマスイブの夜だったか。

 愛知に戻って本社で用事を済ませて、アパートに帰って熊本へ送る服等を纏める作業をしていたら、アイナさんが連絡も無しにアパートに訪ねて来た。



 インターホンが鳴り確認すると、仕事帰りなのかスーツ姿のアイナさんが立っていた。

 直ぐに玄関を開けると、硬い表情で入って来てそのまま玄関で押し倒された。


「セックスするわよ」と一言だけ言うと、スウェットのズボンを脱がされ下半身を咥えられた。


 俺は、彼女の迫力に気押され身動き出来なくてされるがまま。

 下半身が元気になると彼女は口を離してタイトスカートを降ろしパンストとショーツを脱いで、上は着たまま避妊もせずに俺に跨った。

 すんなり挿入するとアイナさんは上から俺の唇を貪りながら腰を激しく打ち付け始めた。


 アイナさんとは数えきれないほどセックスをしてきたが、こんなにも辛いセックスは初めてだった。


 でも、俺の気持ちに反して下半身は徐々に昂り、アイナさんの中で果てた。


 事を終えると、彼女は俺から離れて立ち上がり脱ぎ捨てたショーツを履くと、俺と目線を合わせずに「ごめんなさい」と一言だけ言って玄関から出て行った。


 俺は玄関口で下半身丸出しの体を横たえたまま身動き出来ずに、出て行く彼女をただ見ているだけたった。



 辞令の下った日から壁を作られ距離を置かれていた。

 そしてこの日の不可解な行動で、益々連絡を取り辛くなってしまい、そんな状況のまま営業所がオープンしてしまった。 もう当面は愛知に戻る用事も予定も無く、アイナさんの顔を次にいつ見れるかも分からないままだ。


 本当は、アイナさんの声が聴きたくて仕方ない。


 一人で食べる昼飯が、美味しくない。

「ワタル君、お昼ご飯行くわよ!」って昼休憩になった途端元気になるアイナさんの顔が、昔のことのように懐かしく思い出される。


 せめて元気にしているかだけでも知りたくてツイッターの公式アカウントをチェックするが、辞令の下った日の前日を最後に、ツイートは止まったままだ。

 俺が抜けて企画室もアイナさん一人だし、忙しいんだろうな。 それが解ってても、気になって日に何度もツイッターをチェックしてしまう。

 


 営業所立ち上げの忙しさがようやく一息ついて気が抜けてるのか、それとも一人ぼっちで居るせいか、ネガティブになってばかりだ。

 このままじゃダメなことは分かってる。


 臥薪嘗胆。

 今はドロ水をすすってでも耐えて、いつか巻き返さなければアイナさんを取り戻すことは出来ない。


 頭では分かっているが、気持ちが付いて来ない。それに何をしたら良いのかも全く頭に浮かんでくれない。

 

「さぁ思う存分アイデアを出して頂戴!」ってアイナさんに命令して欲しい。

 そしたらこんな逆境、跳ね返して見せるのに。





____________


登場人物が多くて混乱しそうなので、#03で補足した物を手を加えて載せておきます。

※#41時点での内容です。


山名アイナ(ヒロイン)元営業3課 営業企画室の課長 ワタルの恋人で元上司 のび太

荒川ワタル(主人公)元営業2課 元営業企画室 現在は九州営業所所長 『営業部のエース』や『荒川商店』と呼ばれている


■山名本家

会長の奥様(山名家の当主)おばあちゃま、おばあ様

山名会長(山霧堂の創業者)婿養子


山名社長(会長の長男)未登場

山名専務(社長の息子)製造部の部長と工場長を兼務 未登場


■山名分家

山名副社長(会長の次男)総務と人事を直轄 アイナの父

フミナ(副社長の奥さん)アイナの母 アイナとワタルの交際を認めている

マリナ(副社長の長女)アイナの姉 未登場 アイナの恋の相談相手

サクラ(マリナの長女)アイナの姪 未登場

山名次長(副社長の長男)営業1課を担当 アイナの兄 ワタルの政敵


白石常務(社長の妹の夫)営業部の部長を兼務 ワタルの政敵



■他

井上課長(製造部所属で製品開発の責任者) ワタルやアイナと協力関係

2課の課長 主人公の元上司

ナツキ ワタルの元彼女 ワタルと同棲していたが一方的に別れた


山霧堂 贈答用お菓子をメインに製造販売する会社 愛知県三河に所在

経営者一族 山名家 会長を始め、息子、孫、婿


営業1課 直営店を統括

営業2課 小売店を担当

営業3課 販売促進等を担当

営業企画室 アイナとワタルが立ち上げた

九州営業所 ワタルの左遷先でワタルが一人で立ち上げた


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