#39 師走の暗雲
師走に入り、お正月シーズンを前にして会社全体が活気づいている。
年末年始はもっとも商品が売れる時期だからな。
営業企画室でも、既に冬シーズンのクローズアップ動画の2月の公開に向けて制作に着手しており、俺もアイナさんも忙しい日々を過ごしていた。
また、仕事とは関係無いが、会長夫妻にちょくちょくお呼ばれするようになった。
特に用事があった訳ではないが、度々アイナさんを通して「荒川さんも遊びにいらっしゃい」と声を掛けて頂き、退勤後にアイナさんと二人で伺うと、お茶をしながらお喋りの相手をしたり、夕飯をご馳走になったり、頂き物だからと色々な果物や贈答用の松坂牛なんかをお裾分けして頂いたこともあった。
それに俺自身も、会長が聞かせて下さる山霧堂設立当時の苦労話等がとても面白くて勉強になり、営業企画室としても今後の企画などに色々参考に出来そうなネタの宝庫で、会長宅にお呼ばれすると喜んでお邪魔していた。
そして、おばあ様から色々聞いていて分かったことだが、山名家でも会長宅を頻繁に訪れるのは、アイナさんくらいらしい。 社長や副社長はたまに報告等で来るそうだが、孫世代は専務も次長も盆と正月だけらしく、それに対してアイナさんは最近は忙しくて頻度は減ったものの学生時代から足繫く通っていたそうで、それでお二人はアイナさんを可愛がっている様だ。
アイナさんとの交際も全く問題は無く、順調だった。
相変わらず平日はプライベートな時間を過ごすことは中々出来なかったが、その分毎週末一緒に過ごした。 俺もアイナさんも、週末二人で過ごす時間の為に平日頑張って働いている様な感じだったかも。
休日二人で過ごす時は、アイナさんは相変わらずトロトロの甘えん坊で、俺も仕事の時とは正反対にそんなアイナさんとのいちゃいちゃを目いっぱい楽しんだ。 それに月に1度は俺の部屋にお泊りしていたし、セックスの方もお互い遠慮なく欲求を発散することが出来ていて、彼女に対して俺は何一つ不満を持つことは無かった。
そんな感じで忙しくも順調すぎたせいか、交際開始当初抱いていた不安は薄れてしまっていた。
◇
12月の中頃、白石常務に本社3階の会議室に呼ばれた。
この会議室は、役員が主に使う部屋で、俺の様な係長クラスは滅多に入ることは無かった。
なんで3階なんだろ?
何か重大な案件でも発生したのかな?
そんなことを思いながら指定された時間に会議室を訪ねると、会議室には白石常務の他に山名次長(アイナさんのお兄さん)が居た。
ん?営業部長に次長の組み合わせ?
課長抜きで俺に話って、まさかアイナさんのこと?
白石常務の表情は感情が読み取りにくい無表情だったが、山名次長の方は不機嫌そうな顔をしていた。 一抹の不安を感じながら「失礼します」と二人の対面に座ると、山名次長が口を開いた。
「荒川、お前ナニ企んでる?」
「え?」
いきなり呼び捨てに「お前」呼ばわりかよ。
「仰ってる意味が分かりませんが。 何の事でしょうか?」
「惚けるな! アイナを手懐けて会長たちに近づいて、ナニをしようとしてる!」
「はい?」
「まぁまぁ山名次長落ち着いて。いきなり怒鳴ったら答えにくいだろう。 それで荒川係長。例の原材料の新規仕入れ先の件だけど、あれ、君が裏で動いていたそうじゃないか。 山名次長も私も最近の君は色々とキナ臭いと言いたいんだよ」
常務まで何言ってるんだ?
確かにきな粉餅は好きだけど、最近は食べてないぞ?
っていうか、ドラマとかの見過ぎじゃね?
「原材料の新規仕入先に関しましては、製造部の井上課長から相談を受けたので思いついたことを伝えただけで、裏で動いていたとかそんな大層な話ではありません」
「だが、新たに取引開始した商社は君の紹介なんだろ? それを裏で動いていたと言ってるんだ」
なんだ? 俺が新規に仕入先見つけて来たことが気に入らないのか?
それに会長ご夫妻のことだって、俺に聞かずに会長ご本人に確かめれば良いだろ。全然顔見せに来ないってお二人とも寂しがってたぞ?
師走の糞忙しい中こんな所に呼びつけて喧嘩腰で謂れのない言いがかりとか、コイツらナニ考えてんだ?
でも、ここまでの短いやり取りで、1つハッキリした。
この二人は、会社の利益よりも自分たちの利益やプライドを優先している。
要は、部下である俺の実績や成果に嫉妬しているんだ。
恥ずかしげも無く俺本人に直接妬んでいるんだ。
たかだか係長クラスがちょっと活躍した程度で褒めるでは無く嫉妬して怒りをぶつけるとか、管理職や役員としての資質が無いと自らアピールしている様な物だ。そして、その愚かさの自覚が無い御様子。
恐らく、経営者一族の一員という自惚れが影響しているのだろう。
同じ経営者一族でもアイナさんとは大違いだ。
彼女も感情的になりやすいが、少なくとも経営者一族の立場を利用して相手を責めたり貶めたりはしない。 自分の欠点を理解して直そうとする意志を持っているし、俺の様な部下の意見もいつも素直に聞き入れようとしている。 普段の尊大な態度だって、ただのポーズだ。そういうキャラを演じているだけだ。ちょっと俺が怒るとすぐ謝って来るしな。
能力の話じゃない。
姿勢の問題だ。
顧客満足、生産者や社員の生活や意欲、会社の利益、山霧堂の看板。そういう大事な物よりも自分のつらまないプライドを優先している。
今のこの二人の姿勢は、間違っていると断言できる。
しかし、俺は使い捨ての駒だ。
如何にコイツらが経営者一族として、そして管理職役員としての資質に欠けていても、俺なんか簡単に飛ばせる立場なのも間違いない。
「黙っていないで何とか言ったらどうだ!」
「何か誤解を招いた様でしたら、今後は気を付けます」
「副社長の後ろ盾があるからイイ気になって営業企画室なんてチャラついた部署作って好き勝手してるのかもしれんが、あまり調子にのるなよ?お前なんかいつでも飛ばせるんだからな」
カチーン
「チャラついた、ですか?」
「出来損ないのアイナと二人でユーチューバーの真似事して、それをチャラついてると言ってるんだ!」
カッチィィィン
確かにアイナさんのツイートは本人はふざけて無いのにふざけたような呟きばかりだし、ゆるふわOL風だってチャラついて見えるだろう。
だけど、『栗きんとん』のクローズアップ動画は、アイナさんが情熱をもって企画して苦手だった製造部に足繁く通ったり事前に勉強して生産者さんを取材したりして作り上げた物で、井上課長も生産者さんも感激してくれたし、会長夫妻だって物凄く喜んでくれた。俺とアイナさんだって「頑張った甲斐があった」と抱き合って喜んだんだ。
アイナさんが情熱を注ぎ皆さんの協力を得て作り上げたあの企画を「チャラついた」と言われたことは我慢出来なかった。
「営業企画室の本来の役目は既存の業務以外の新規開拓と山霧堂の企業イメージの確立、社会貢献のPRです。山名課長も私もまだまだ手探りですが必死にここまで頑張ってきました。それを「チャラついた」ですか?アナタたちは大手食品メーカーのPR動画を見たことがありますか?熱意に溢れていますよ?山名課長はそこから学んであの情熱に溢れた動画を作りました。それがお二人には解りませんか?それにお言葉を返すようですが、山名次長の1課のここ数年の売り上げ実績はどうなんでしょうか?前期もその前の年も私が居た2課に遠く及びませんでしたよね?直営店なのに何やってるんですか?遊んで居るのは山名次長の方では無いですか?何か改善する対策を取っていますか?伝染病の蔓延で仕方無いと諦めていませんか?私自身外回りのついでに直営店を何度となく訪問していますが、従業員からは危機感は感じられませんよ?伝染病蔓延前と変わらない接客にサービスでしたよ?人のことを気にするよりも先にするべきことがあるのでは無いでしょうか?」
「うるさい!黙れ!」
山名次長はそう怒鳴ってテーブルに拳を叩きつけた。
「ご自身の不手際を指摘されて都合が悪くなれば今度は怒鳴ってテーブル叩いて威嚇ですか? それ、パワハラですよ? ああ、後、俺の事簡単に飛ばせるって仰いましたね?その発言自体、公になれば大問題ですよ?それを分かってて仰っているのでしたらどうぞご自由に。その際は遠慮なく労基へ相談させて頂きますので」
こちとら年間のべ千人以上相手に喋りで勝負してきた営業マンだ。 たかだか「親の七光り」で次長にしてもらった坊ちゃんと、お情けで「嫁の実家」に常務にしてもらってるタヌキごときが、俺に口で勝てると思うな。
俺はわざとゆっくり丁寧な口調で言い切ると席を立ち、顔真っ赤にして目線を逸らして黙り込む次長とポーカーフェイスが保てなくて黙って睨むしか出来なくなった常務に「失礼します」と一瞥してから、会議室を退出した。
2階の営業企画室に戻らず1階まで降りて、外の空気を吸いに出た。
冬の冷たい外気に触れたお陰で一気に冷静になる。
「やっちまったぁ」
左手を腰に当て、俯いて右手で自分のこめかみを鷲掴みして、思わず腹の底から声が漏れた。
ずっと自分を「使い捨ての駒」だと言い聞かせて出しゃばらない様に気を付けていたのに、営業企画室やアイナさんのことを馬鹿にされたら我慢出来ずに感情的になってしまった。 4年間外回りしててもこんなこと1度も無かったのにな。
しかし、アイナさんと次長、なんかあるのかなって思ってたけど、本当に兄妹仲悪かったんだな。 アイナさんは確かにポンコツのび太だけど、次長の方のがよっぽど出来損ないに感じるぞ? あの兄貴なら案外アイナさんへの嫉妬や妬みが不仲の原因かもな。
って、それどころじゃないだろ!
経営者一族にケンカ売っちゃったぞ、俺!
あ、逆か。
売られたケンカ、買っちゃったぞ、俺!
マジで、クビ飛ぶかもな、俺・・・
どんよりとした冬の空の下、師走の風が冷たいからなのか、それとも自分のこれからの進退が不安だからなのか、ブルッと身震いした。
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