#35 エースの出番



 アイナさんと二人での愉しい愉しい夏休みも終わり、会社勤めの日常に戻ったわけだが。


 連休明け初日。

 朝礼が終わり企画室に戻り自分の席に座ってPCでメールのチェックを始めていると、アイナさんは席に着かずになにやらやっている。


 はぁと溜息を吐いてイスに座ったままアイナさんの方へ向くと、彼女は立ったまま腰を曲げて右手を自分のデスクに置いて左手を腰に当てお尻を突き出すようにフリフリ振っている。何かをアピールしているのか、俺の一言を待っている様子だ。



「朝っぱらから何してるんですか? もう仕事始まってますよ?」


「ワタル君、私を見て何か言う事、ないの、かしら?」フリフリ



 今日のアイナさんの服装は、いつものタイトスカートのキッチリしたスーツでは無く、薄いピンクのブラウスにブラウンのフレアスカートでベージュのストッキングに靴はツルツルピカピカのパンプス。 どうやら、バリキャリスタイルからゆるふわOLスタイルにイメチェンした様だ。


 当然、今朝出勤してヒト目見た時から気付いていたが、仕事中なので敢えて言わない様にしていただけ。



「イメチェンしたんですね。キッチリとした凛々しい課長も素敵でしたけど、ゆるふわ系も可愛らしくて良いですよ」


「うふふ、流石ワタル君ね。こういうのもイケるでしょ?私」


「ええ、カレーうどんとか食べに連れて行きたくなりますね」


「なんでココでカレーうどんなのかしら? 今日ってカレーうどん記念日?」


「多分そんな記念日無いですよ。 カレーうどん食べて汁が飛び散ったら悲惨なことになりそうな服装だなぁって思いまして」


「なによソレ!ホントいじわるなんだから! 今度お泊りに行った時は夜通しいじめてあげるんだからね!」


「どうやらいじめて欲しいのは課長の方の様ですね。何度も言ってるでしょ!勤務中はそういう話題は禁止!さっさとお仕事始めて下さい!」


「えー、ちょっとくらい良いじゃな~い。いけずぅ」


 アイナさんはそう言いながら、今度は右手の親指を口に咥えて俺にお尻を向けてフリフリし始める。


「だから私語はもうお終い!」



 アイナさんは夏休みがよっぽど楽しかったのか、夏休み気分がまだまだ抜けていない様だ。




 ◇





 8月は残りの後半も中々忙しくなる予定だ。


『栗きんとん』のクローズアップ動画のプロジェクトでは、岐阜の生産農家さんの取材と会長の自宅で実食シーンを撮影するのが残っているし、それが終わっても編集やナレーションなどの音入れもやらなければならない。


 それに、出来れば今の時期から冬シーズンの題材も決めておきたい。

 それに関しては、秋シーズンと同じ様に製品開発とも打ち合わせするべきだろう。


 アンケートによる企業イメージの調査のプロジェクトに関しても、まだ量は多く無いが回答が集まり始めているので、ぼちぼち集計を開始して、レポートをまとめて初弾の報告書も作るつもりだ。


 そして、製品開発の責任者であり製造部の課長でもある井上課長から、相談を持ち掛けられている。 クローズアップ動画の件で色々助けて貰っているので、逆に相談を持ち掛けられた時は惜しまず協力するべきだろう。




 井上課長には自分が製造部の方へ行くと言ったが、どうやら製造部内ではあまり聞かれたくない話の様で、昼イチに井上課長の方から企画室へ訪ねて来た。



「ミーティングルームへ行きますか?」


「いやココでお願い。山名課長からも冬シーズンの動画の件で相談したいって言われてたから、まとめて話しちゃいましょう」


「了解です。 コーヒー用意してきますね」



 そう言って席を立つと、いつものペアのマグカップと来客用のカップを1つ用意して、給湯室でコーヒーを煎れてくる。


 打ち合わせ用の小さいテーブルに3人で座りコーヒーを置くと


「山名課長と荒川君、ペアのカップ使ってるの???まるで夫婦みたいだね、って、あれ?もしかして・・・そういうことなの?」


 井上課長のするどい指摘に、アイナさんは答えずにニヤリと左口角を上げて「ふふふ」と嫌らしい笑みを零している。 それを見た井上課長は恐怖の色を滲ませながら、俺に救いを求めるように「マジ?」と聞いて来た。


「俺には何を仰ってるのか、全く分かりませんが?」


「え?でも山名課長のこの表情は・・・」


「俺にはいつも通り普通に見えますが?」


「・・・そうだね。知らない方が幸せなことだってあるよな。うん」


「そういうことです」


 井上課長には俺たちの交際を知られても別に構わないが、経営者一族である以上はとてもデリケートな話なので、口外しないでねっていう意味を込めての対応だったが、井上課長にはこちらの意図がキチンと伝わった様だった。



 冬シーズンのクローズアップする商品に関しては、現段階ではいくつか候補を絞るだけに留めて、各自それの中からどれにしたいかを選んで、後日3人での投票で決めようってことになった。


 そして、井上課長からの相談は、材料の高騰に関連する話だった。

 欧州の黒海周辺の紛争の影響による輸入物相場の高騰が度々ニュースとなっていたが、ウチでも小麦粉や砂糖等が輸入物を使っている関係で、大きく影響を受けていた。 因みに、小豆やお米に抹茶などは国内産なので、海外物ほどの高騰は今の所無い。むしろお米に関しては今年は安くなっていた。


 それで相談内容と言うのが、材料相場の高騰を受けて製造部では商品の値上げの検討要請を役員会に打ち上げたらしいのだが、逆に仕入れ先を変えてでも安いのを探せって話が出ていると。


「安く仕入れられることが出来るならそうした方がいいじゃない?何が問題なのかしら?」


 流石お嬢様のアイナさん。マリーアントワネットみたいなことを言う。


「課長、材料を安い物に変えるってことは、質も落とすってことですよ?味で勝負している以上、質を落とすというのは俺も絶対にダメだと思います。 それに仕入先さんだってこういう時期(海外の影響で物価の上昇による不景気)に手を切ってしまうと、信用問題に繋がりますので、もし景気が回復した後に取引を再開したいって言っても、今まで通りの取引が出来る保証がなくなります」


「荒川君の言う通りです。今の商社は長年お付き合いしてきた所なので、色々融通を聞かせて貰ってる部分も大きいんです。それに一番困っているのは質の低下です。 製造部としても質を下げるべきじゃないという考えが強くあるから、苦渋の決断で値上げを提言したのに、危惧していた状況になってしまって困ってるんです」


「状況は分かりました。 それで俺に相談っていうのは?」


「えっと、ズバリ聞くけど、この状況を打開する何か良いアイデア無いかい?」


「むむ?もっと具体的な相談だと思ってましたが、アイデアですか?」


「うん。副社長から内密に、君に相談してみろってアドバイス貰ったんだよ」


「マジですか?」


 思わずアイナさんと顔を見合わせる。

 アイナさんも少し驚いた表情だ。


「原材料の安価品への切り替えや仕入先の変更の話を聞いた時にね、総務の副社長のところに考え直すように訴えに行ったんだよ。 それで色々製造部側の考えを訴えたら、「困ったなぁ、私もこの件には反対意見だったんだが」って言ったあとに「そうだ、荒川君が居るな。こういう時は彼に相談してみたら何かいいアイデアが出て来るかもしれんぞ」って」


 仕入れ自体は製造部の管轄だが、お金を払うのは総務部の管轄だ。

 だから、総務がケチっていると考えて副社長のところへ直訴したのだろう。


「ふっふっふっ、ようやく荒川君の凄さをみんな解ってきた様ね!ウチのエースドラえもんの出番よ!さぁ思う存分アイデアを出して頂戴!」


「簡単に言わないで下さいよ。 でも井上課長にはいつも助けて貰ってばかりですからね。考えてみます」


「おお!助かるよ! それにしても、山名課長って最近キャラ変り過ぎじゃない?こんな人だっけ?」


「ええ、こんな人です。くれぐれも内密にお願いします」


 自分のことを変人扱いされているのに気が付いていないのか、アイナさんはゆるふわ系にイメチェンしてても、腕組みをしてフンスッと鼻息が荒く偉そうな態度だった。



 そしてこの日、一週間ぶりのツイッターでの呟きが『小麦粉とお砂糖が高いよ~びえん』だった。



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