#29 課長のお母さん


 課長と恋人にはなったが二人きりの部署ということもあり、仕事中は公私混同にならないように今まで以上に厳しく課長の相手をするようにしてて、課長も分かってはいる様だがやはり不満やストレスが溜まってしまうようだ。


 平日仕事の後にデートが出来ればよかったかもしれないのだが、夏季休暇前ということもあってお互い忙しく、1度だけ食事に行ったりもしたが、あまりゆっくり出来ず、帰り際も「まだ帰りたくないの!」と言って余計に欲求不満にさせてしまった様だった。


 そんな課長のことがずっと心配だったが、休暇に入るまで我慢するしかない、休暇に入ればいっぱい遊べる、と課長にも自分にも言い聞かせて、夏季休暇前の繁忙期を乗り切った。


 そして付き合い始めて1週間後の土曜日。

 ようやく、休みだ。


 2~3日前に前もって「今年は実家に帰省しない」と課長に伝えると、「なら、ワタル君の部屋に毎日通うわ。そうだ、いっそのことずっとお泊りしようかしら」と言い出した。


 遊びに来てくれるのは嬉しいが、お泊りとなると話が変ってくる。

 副社長に色々怪しまれて、バレてしまう可能性が高まるからだ。

 今はまだ早すぎる。



「課長。 連休中に会うのは全然いいのですが、お泊りは流石に不味いです。 副社長にバレたら俺なんて簡単に飛ばされて、別れさせられちゃいますよ」


「そうね・・・何か策を練らないとね」


「いや、お泊りを諦めれば良いだけですよ」


「イヤよ。折角の長期休暇なのよ?恋人になってまだ五日のピチピチらぶらぶなのよ? それにもう五日にもなるのにキスしかしてないのよ?私達」


「『まだ五日』って言いながら『もう五日』なんですか? ややこしいですね」


「ワタル君は一々細かいのよ。どっちでもいいじゃない」


 自分で言っておいて、「どっちでもいいじゃない」とは、雑過ぎる。



 俺が心の中でツッコミを入れていると、課長は眉間に皺を寄せた難しい顔に腕を組んで考え事を始めた。


 しかし、1分もしない内に何か閃いた様だ。


「良いこと思いついたわ! 今日の私、冴えてるわよ」


 嫌な予感がする。


「学生時代の友達と旅行に行くってことにするわ。 友達から「メンバーの一人が急にこれなくなって、キャンセル料が勿体ないから来て欲しい」って頼まれたってことにするのよ。これなら完璧ね」


「うーん、大丈夫かなぁ。お土産とか無いと怪しまれませんか?」


「そうね。適当にネット通販で買うわ」


「うーん、悪くはないんだけど」


「何よ、私にお泊りに来てほしく無いわけ?」


「いや、そういう訳じゃないですけど、俺としてはもっと慎重に交際を進めたい訳で」


「分かったわよ。だったら母と姉を味方に付けるわ。何かあった時に助けて貰える様に今の内にワタル君とのこと話して、味方になってもらっておけば安心でしょ?」


「えー、それヤバくないですか?速攻で副社長の耳に入るんじゃないですか?」


「それは大丈夫よ。 母も姉も私には結婚相手は自分で選べって言ってくれてるし、姉には恋愛相談もしてたからね」


「それ、本当ですか?」


「ええ。母も姉もお見合いで結婚してるからかしらね。普段から私には自由にさせてあげたいって言ってくれてるのよ」


 課長のお母さんのご実家は開業医で、お姉さんの旦那さんは弁護士らしい。

 経営者一族となると、やはり結婚や恋愛は色々としがらみがあるんだな。


「うーん、分かりました。お母さんとお姉さんに俺のこと話して味方になってもらうこと、お任せします。 でも、くれぐれも慎重にお願いしますね」


「任せて頂戴。うふふ、今から連休が楽しみね」



 というやり取りがあり、夏季休暇を迎えた。




 ◇





 夏季休暇初日、土曜日の朝。


 車で課長の自宅近くまで行き、一旦車を停めてからスマホで課長に連絡。

 どうやら副社長は早朝からゴルフに出かけているらしく不在とのことなので、自宅前へ移動し一旦車から降りる。


 直ぐに課長が旅行用のキャリーバッグを持って出て来て、一緒にお母さんらしき人も出て来たので、慌てて「ご挨拶が遅くなりまして申し訳ございまセン!荒川ワタルと申しマス!山名課長にはいつもお世話になってマス!」と挨拶すると、課長のお母さんはニコニコしながら「あらあら、元気がいいわね。アイナの母です。この子ったら抜けてるし我儘だからいつも大変でしょ?うふふ」と中々の好感触。


 課長のお母さん。

 年齢は50代なのだそうだが、流石課長のお母さんだけあって、姿勢が良くてスラっと年齢を感じさせないスタイルにとても綺麗な方だ。

 そして、笑い方が課長とそっくり。



「ちょっとママ!恥ずかしいから変な事言わないでよ!」


 普段は『母』って言うのに、プライベートだと『ママ』って呼んでるんだな。


「聞いてるわよ~? お若いのに凄くしっかりされてて期待のエースなんですってね? 主人も荒川君のことホメてたわよ?うふふ」


「イエイエッ!私なんてまだまだデス!」


「もういいでしょ!ワタル君行くわよ!」


「はいはい、ゆっくり楽しんでらっしゃいね。 荒川君、アイナのことよろしくお願いしますね」


「ハイッ!アイナさん、お預かりシマス!」


 恋人のお母さんと初対面っていうだけでも緊張するのに、お母さんも山名家の一員であるし、しかも今日からウチに三泊四日でお泊りすることをお母さんも知ってる訳で、胃が痛くなるほど緊張してて、つられて思わず課長のことを『アイナさん』と呼んでしまった。



 課長のキャリーバックを預かってトランクにしまい、課長を助手席に乗せてから自分も運転席に座る。


 その間お母さんはニコニコと見守ってて、見られている緊張のせいか汗がダラダラ流れてきた。



「それじゃあ行ってきます。パパにはくれぐれもお願いね」


「はいはい、大丈夫よ。上手く言っておくからね。行ってらっしゃい。うふふ」


 俺もお母さんに会釈してから車を発車させる。




「ふぅ~~~、すげぇ緊張しましたよ、俺」


「ママ、ちゃんと味方になってくれてたでしょ?」


 課長はそういいながら自分のハンカチを出して、そっと俺の顔の汗を拭いてくれた。



「まぁ、あくまで課長の味方であって、俺に対してはまだ分かりませんよ。 副社長の話を挟んできたのも、俺に対する牽制でしょうから」


「またワタル君は細かいことを気にして。 そんなことよりも!さっき名前で呼んでくれたわよね!?」


「いやアレはテンパってる時にお母さんが名前で呼ぶから、俺もつられちゃいまして」


「決めた!これからはプライベートで会う時は、『アイナ』って名前で呼ぶこと!」


「えー」


 別に名前で呼ぶの全然OKなんだけど、条件反射でつい不服の態度を。


「ダメよ。これは上司命令よ。言うこと聞かないと今期の査定に響くわよ」


「公私混同ハンパねーな!」


 でも、いつも課長の方から愛情を貰ってばかりで、俺からは中々愛情表現出来てないしな。そういう所がナツキに寂しい思いをさせたんだろうし。 それに、付き合い始めたばかりのこの1週間。本当だったらラブラブ絶頂期のはずなのに、仕事忙しくて全然だったし、課長も色々我慢しながら頑張ってたしな。


「アイナさん、今日の白いワンピース、夏らしくて凄く似合ってて可愛いです。 それにヘアスタイルも変えましたよね?昨日、美容院に行ったんですか? とても似合ってますよ」


 赤信号で停車したタイミングで、今日の見た感想を課長の顔を見て名前呼びで言ってみた。


「ひぃ!!! ワ、ワタル君が素直に言うこと聞いてる! ど、どどどうしちゃったの!?暑さでヤラレちゃったの!? さっき凄い汗かいてたけど、熱中症かしら!」


 ひでーな!オイ!


「自分で名前で呼べって命令したじゃん!俺の事なんだと思ってるんですか!」


「意地悪で小姑みたいな、ドラえもん?かしら」


 のび太のクセに~~!!!



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