#22 自分で作った甘い空気は、自ら壊す



 メイン会場だった河川敷から離れても歩道には人が多くて、その中を浴衣の課長の歩調に合わせてゆっくり歩いた。


 人の流れは速くて次から次へと後ろから沢山の人が追い抜いて行くが、課長はそんなことを気にして無い様子で、上機嫌にお喋りしている。 俺はそれを相槌を打ちながら聞いていた。




 なんだかこの雰囲気を懐かしく感じる。


 楽しかった祭りの時間が終わり、のんびり歩く帰り道。

 女性と二人きりで楽しい時間を過ごせた高揚感と、もうすぐそのデートが終わってしまう名残惜しさ。


 こんなひと時はここ数年ずっと無かった。

 だから懐かしい。


 一昨年の花火大会は、俺は会社で一人仕事してて、ナツキは留守番していた。その前は、ベランダにイスを出して二人でビール飲みながら花火を眺めたっけ。 更にその前の年は、メイン会場じゃないけど浴衣姿のナツキと二人で歩いて、会場近くの橋の上から花火を眺めたな。


 あの頃までは楽しかった。


 それなのに、そんな思い出も忘れて仕事にのめり込んで、何年もナツキに寂しい思いをさせて。




 って、イカンイカン。

 まだ課長とデート中だっていうのに、ナツキのこと思い出して感傷に浸るなんて。



「そういえば、私、大事なこと忘れてたわ」


「どうしました? 何か食べ忘れた物でもありました?」


「食べ物じゃないわ。写真よ。 でも、今からだと暗くてちゃんと写せないわね」


「ご自分の浴衣姿ですか?」


「私だけじゃなくて荒川君の甚平姿もよ。折角私の為に甚平着てくれたんだから、記念に残しておきたいわ」


「俺のは別に良いじゃないですか」


「何言ってるのよ、そっちのが大事じゃない。 そうだ、荒川君。お家に着いたら少し上がらせてもらって良いかしら?部屋の中なら明るいから写真撮れるでしょ?」


「えー、ウチに上がってくんですか?」


「そうよ。お手洗いとかも借りたいし、良いでしょ?」


「うーん、仕方ないですね。 慣れない草履で歩き疲れてるでしょうし、少し休憩してから送って行くことにしましょうか」


「ええ、そうしましょ」うふふ



 嫁入り前のお嬢様をこんな時間に自宅に上げるのはどうなの?と思ったけど、肩寄せ合って花火を見て、今はこうして手を繋いで歩いてるのだから、今更気にしてもしょうが無いだろう。

 俺の役目は、課長を無事に自宅へ送り届ければ良いのだから。




 マンションに着く頃には人の流れも大分減り、手を繋いでいる必要はもう無かったが、課長は何も言わないので、結局自室の玄関のカギを開ける直前まで繋いでいた。


 部屋に入ると、まず先にお手洗いの場所を案内してから、自分はクーラーを点けて、冷蔵庫で冷やしていたお茶をグラスに2つ注いでダイニングのテーブルに用意した。


 課長はお手洗いから出てくると「洗面所も借りていいかしら?」と言うので、照明を点けて「どうぞ」と言うと、洗面所の鏡を使ってお化粧を直し始めた。


 待ってる間、なんだか落ち着かなかったので、座らずに立ったままキッチンに行っては冷蔵庫を意味も無く開けて中見て直ぐ閉めたりしていると、課長が戻って来た。 ばっちりメイクを直して来た課長に、「冷たいお茶でもどうぞ」とダイニングのテーブルに座る様に促すと、「ありがとう、頂くわ」と言って座ってくれたので、俺も対面に座って一緒にお茶を飲む。



「一人暮らしにしては結構広いお部屋なのね。それに凄く片付いてて綺麗にしてるし。お手洗いも洗面所も綺麗だったわ」


「休みの日とか他にすること無いですからね、毎週末掃除はしてるんですよ」


「そうなのね。キッチンもちゃんと道具が揃ってるし自炊もしてるの?」


「2課に居た頃は全然でしたけど、企画室に移ってからは時間に余裕出来たんで、なるべく自炊してます」


「一人暮らしかぁ、憧れるわね」


「課長はずっとご実家で?」


「ええ、小学校から大学までずっと名古屋だったから自宅から通ってたし、就職してからも会社から近いからね。それに一人暮らしは父が絶対許してくれないわね」


「箱入りのお嬢様なんですね」


「過保護なだけよ。もう28なのよ?いい加減、好きにさせて欲しいわよ」


「それだけ課長のことが大事なんですよ」


「それは分かるけど・・・って、そんな話よりも写真写しましょ!」


 課長は両手をパチンと合わせてそう言うと、巾着から自分のスマホを取り出して立ち上がった。



 ダイニングのテーブルにスマホを立てて置いて、セルフタイマーで二人立って並んで数枚。

 ローソファーの正面のキャビネットにスマホを立てて置いて、同じくセルフタイマーで二人ソファーに並んで座って数枚。

 何故か玄関やキッチンなんかでも同じようにセルフタイマーで何枚も撮影した。

 その全てで課長は俺の腕に自分の腕を絡ませて寄り添って写った。



 一通り撮影が終わると、ソファーに二人で座って顔を寄せ合うようにして一緒に画像を確認させて貰った。

 どの写真も課長は幸せそうな笑顔で、俺の方は緊張して固い表情ばかりだった。


「俺の顔、酷いっすね」


「そうでも無いわよ? あ、そうだ。最後は荒川君だけで写させて頂戴」


「マジですか?もう要らないでしょ」


「往生際が悪いわよ。ほら早くそっちに立って頂戴」



「はぁ」と溜息をついてから立ち上がり、窓際に立って数枚写して貰うと「今度は床に胡坐で座ってくれるかしら」と更なる注文を言い出したので、大人しく従って数枚写して貰った。


 漸く課長も満足してくれて撮影から解放されたので、今度は仕返しとばかりに「課長も撮らせて下さいよ」と言うと、「良いわよ」と言って、ソファーに座ったまま足をお上品に揃えて背筋を伸ばし、居住まいを正して「写すなら、左斜めからにして頂戴」と、満更でも無い様子で女優みたいなことを言いだした。


 言われた通りに、左斜めからの角度で数枚撮影して画像を確認すると、プロのモデルの様なキリっとした表情で写っていた。


「課長、プロのモデルさんみたいですね。滅茶苦茶写真写りいいですよ。これ、お見合い写真に使ったら入れ喰いじゃないですか?」


「お見合いでモテても全然嬉しく無いわ」


 課長はお見合いの話題を出すと、いつも否定的なことを言ったり話題を変えようとする。

 やはり、お見合いをする気は無いんだろうな。



「そういえば、今日は誘って頂いてありがとうございました。 マス席で花火見ることなんて、課長に誘って貰えなければ一生経験出来なかったと思います」


「どうせ会社の優待券だし、私のお金じゃないから気にしないで良いわよ」


「それでも、課長が誘ってくれたから、久しぶりに花火を楽しく見ることが出来ました」


「そうね。私も楽しく花火を見れたのは子供の時以来だったわ。 荒川君こそ来てくれてありがとうね」


「それと、浴衣も凄く良かったです。 改めて課長が如何に美人さんなのか知れました。課長の浴衣姿も良い思い出になりそうです」


 普段の軽口と違って、真面目な顔で正面向かってそう言うと、課長は眼をパチパチさせたと思ったら俺から顔を逸らして、「そう・・・ありがと」と小さく呟く様に返事をした。


 顔を逸らしたままの課長の表情は心なしか赤身を帯びていて、明らかに照れていた。



 照れている課長、可愛い。


 自室でモジモジと可愛い課長と二人きり。


 自分の発言のせいで、甘い空気になりつつあることに急に焦りを覚え、慌てて「そろそろ送って行きましょうか!あまり遅いとご家族が心配しますし!」と言った。



 アブナイアブナイ

 俺までその気になるところだった。



「・・・少しくらい遅くなっても、大丈夫よ?」


「いやいやいや、ナニ言ってるんすか。お母さんに友達に送って貰うって言ってるんでしょ?遅くなったらナニしてたか追及されますよ?」


「子供じゃないんだから、それくらい平気よ」


「・・・そんなこと言っても、俺、何もしませんからね?まだ副社長に殺されたくありませんよ? 俺の役目は、課長を無事に送り届けることなんですからね」


 課長はスネた顔して「・・・わかったわよ」とようやく帰る気になってくれた。



 車のキーを持って玄関を出ても、課長はスネた表情のままだったが、「ん」と言って左手を差し出して来た。


 駐車場の車までの短い距離をも手を繋ぐことを所望らしい。

 スネてる課長にここで逆らってもよろしく無いと思い、右手で課長の手を取った。





 課長の自宅までの道は花火大会の影響で、普段よりも時間が掛かったが、車中ではお互い口数が少なかった。


 それでも課長の家に到着すると「送ってくれて、ありがとうね。気を付けて帰ってね」と言ってくれて、課長は車から降りても家に入らず、お上品に小さく手を振って俺の車を見送ってくれた。



 ようやく一人になると、車を運転しながら大きく息を吐いた。


 マジでやばかった。

 課長、あざと過ぎるぞ。

 容姿が文句無しのあんな美人にあざとく甘えられたら、普通の男なら瞬殺だぞ。


 普段ポンコツのび太のクセに、どんだけ男殺しなんだよ。




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