映え色眼鏡の真っ赤なヒミツ
お題:高校・大学デビュー
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「あれ。
とは、天下無双の性悪腹黒クソッタレであるところの従兄の言葉である。
二重生活も楽ではないが、頼りになる仲間たちと支え合ってきた。構成員の大半が孤児で、書類上の婚姻・養子縁組によって編成された現代の忍宗〈
……少なくともシュユはそう思う。思いたい、と言い換えてもいい。
そんな感傷に容赦なく冷や水をぶっかけて嘲笑う男。それがこいつ、同じ実働部隊の〈亥刀〉に属する三つ歳上の忍者、亥刀
俗にイケメンと呼ばれる部類の甘い顔立ちに、たくましくも均整の取れた体型を引き立てる細身のスーツ姿で、黙っていれば幾らでも女を騙せそうな容貌をしている。
が、シュユは昔からこの男だけは大嫌いだった。
なぜなら――理由はわからないが、そもそも彼のほうが先にこちらを嫌っているから。
「いつもの赤いのは? あれのがまだマシというか、ブスさを多少軽減できてたよ」
「……調整してもらってるだけです」
「あっそ」
「興味ないなら話しかけないでもらえません?」
キッと軽めに噛みついたシュユに対し、片時はへらへら笑って答える。
「だって俺とも無関係じゃないじゃん。装備が古いと性能も下がる。つまり、ただでさえザコなシュユちゃんが、今はますますクソザコナメクジになってるわけで」
「……何があろうとあなたにだけは頼りませんから! あと隙あらばザコ連呼するのやめてくださいッ!」
「あ~なんとやらはよく吠える~。……一度でも俺に勝ったら止めてあげるよ。ん?」
「~ッ……!」
腹立たしいことに、まずもって彼の存在と言動の総てが心底ムカつくわけだが、中でもとりわけ最も苛立たしいのは。片時が好んで使う『ザコ』という蔑称を否定しきれないことだった。
シュユ自身の名誉のために弁明すると、それ自体は根も葉もない中傷である。
そもそも刻衆は、新たな構成員となる子どもを引き取る際に、身体能力などを鑑みて見込みのある者を選別している。一人前のくのいちになるため長くつらい修練にも耐えたし、任務で仲間の足を引っ張るようなこともない。
ただ、一つだけ。これまで手合わせで一度も片時に勝てていないこと、それだけはまったき事実だから、彼の言い分にも筋が通ってしまう。
言い返せない以上、やり合うほど自分ばかりが消耗するだけだ。相手をするべきじゃない。
そう判断して向けた背中に「逃げるの?」という嘲笑が投げつけられる。
――なんとでも言え、クソ野郎。
普段から丁寧な言葉遣いを心掛けているシュユは、代わりに胸の中で罵倒する。いつも吐き出さずに終わるそれらは、だからずっと腹の中に残って、日毎に胃袋を黒く染めているような気がしてならなかった。
イライラしながら向かった先は『日ノ寺イノベーティブ総合科学研究所』という建物。
さまざまな理由で忍者の存在を公表できないので、表向きは精密機器メーカーを名乗っているのだが、ここはその企業が所有する研究施設。……その実態は科学部隊〈
ガラス張りの開放的なロビーを抜けると、無機質な金属製の壁に阻まれる。大げさなくらい厳重なセキュリティは機密保持のため。
この先へ進むにはカードキーを兼ねた社員証が必要だ。
ちなみに研究所員のすべてが忍宗関係者というわけではなく、中には事情を知らずに一般企業としての『日ノ寺コーポレーション』に勤める職員もいる。見るからに未成年の『部外者』がうろうろしていたら怪しまれないとも限らない。
シュユは焦げ茶色の合皮のショルダーバッグから「アルバイト・学生」と記載されたカードを取り出して、読み取り機に通した。
ここでは何もかもが仮初めだ。企業も、施設も、肩書きも。
「――シュユ、いいとこに来たわね!」
ゆるくウェーブのかかった茶髪をバレッタで留め、動きやすいとはお世辞にも言い難いロングスカート姿の女性が、朗らかにシュユを迎え入れる。
彼女は亥刀の装備開発を担当している鳥渡
科学部隊の忍は、服装から明らかなように、戦闘任務に携わることはない。少なくともシュユの知る限りでは。
ケイは部屋の端にある休憩用のソファをすすめてきた。せっかくなので横のコーヒーサーバーでカフェオレを淹れる。
普通に腰を下ろそうとしたら、半ば崩れ落ちるような勢いで座り込んでしまった。どうやら自分で思っていた以上に精神的に疲弊していたらしい。
少しでも気分を落ち着かせようと、やけ酒のようにカフェオレをあおった。
普段なら砂糖が多すぎると感じるほどの甘さが喉を焼く。でも、今はそれに少し助かっている。
さっき、すごく辛いものを
「はいこれフレーム用の新素材のサンプル。カラバリは五色、前と同じ赤のほかに、青とピンクと紫とクリアをご用意しました~。どれにする? せっかくだから全色作っちゃう?」
「赤だけで良いです」
「……やだぁつまんないぃ! なんで亥刀の子たちってみんなお洒落に興味ないの~ッ!」
そう言われましても環境的に制限が多いので……と苦笑しながら、シュユは花のような形に並べられたサンプルチップを、テーブル上から一つ摘まみ上げた。
カードの半分ほどの大きさで、見た目はただの透明な楕円のプラスチック板だ。新素材というからには何かしら新しい機能が備わった代物なのだろうが。
一応ケイはぶちぶちと「これはねぇ最近開発したポリマーが云々、柔軟性と強度はもちろん耐熱耐冷性を兼ね備えたシリコンがどうのこうの、機能性に加えて最高の透明度を実現して~」と恨みがましそうな早口で説明してくれている。シュユには半分も理解できないけれど。
「あー……たしかに、すごく綺麗な透明ですね。色も鮮やかだし」
「でしょ!? ちょぉおっと成型に時間かかるけど、クリアベースにカラフルな立体の小花柄とかやってみたくない!?」
「……、じゃあ、予備のほうはケイさんにお任せします。メインは赤一色のままでください」
「やった~♪」
子どものようにはしゃぎながら、ケイはチップをかき集める。そしてそれを宝物のように、お菓子の空き箱と思われる洒落たデザインの缶に、一枚ずつしまい始めた。
この人はもう三十過ぎのはずだけれど、ときどき
だからたまに羨ましい。戦いに明け暮れる
シュユもこちらに移れないか、と夢想してしまう――そうしたら、片時にザコだなんだと罵られなくても済むだろうか、と。
もちろんそう簡単な話じゃないことはわかっているのだ。鳥渡には高い知性と、ともすれば戦闘以上に非情な場面に耐えうる精神力が必要になる……楽な仕事なんてどこにもない。
ともかくシュユは無事に元の眼鏡を受け取った。そもそも調整を行っていたのはレンズのほうで、新素材のデザインフレームの話は完全にケイの趣味に付き合わされただけ、要するに蛇足である。
試着用の姿見の前で慣れ親しんだ赤色をまとうと、妙な安心感が湧いてきた。もはやこれは顔の一部というか、何しろ銀縁を使っていたのも五年近く前だし、なんだか鏡に他人が映るようで落ち着かなかったのだ。
「へー、それそんなに気に入ってるの~?」
「え……ええ、まあ」
満足げなのをケイに悟られたのはちょっと気恥ずかしいが、まあいいか。
ちなみに今さらだが、シュユは視力が悪いわけではない。忍にそれはありえない。逆で、中学生のころに受けた強化手術の影響で『見えすぎる』――主に夜間視力が。ともすれば昼間の日常生活にまで支障をきたすほどに。
眼鏡は集光能力を一般レベルに抑える、つまりマイナスに補正する道具だ。
……なんでそんな手術を受けたかというと、当時から片時の暴言に晒されていたからだったりする。奴を無視するために少しでも強くなりたくて、手っ取り早く能力を上げられないかと、開発中の身体拡張技術の被験者に立候補した。
まあその結果はお察しのとおりで、視力強化技術も一旦開発中止になった。なので現在シュユの他に逆補正眼鏡を必要とする者はいない。
つまり片時のせいで望まぬ眼鏡っ娘になったと言える。で、案の定あの野郎はというと、最初に支給された銀縁眼鏡姿を見るなり開口一番「うわブッサ……」とほざきやがった。
忍とはいえどシュユも乙女である。容姿を貶める心無い発言に、ひとかけらも傷つかないわけではない。
だからせめてもと、デザイン変更をそれとなくケイに頼んでおいたら、ちょうど高校入学の春に出されたのがこの赤フレームの眼鏡だった。
結果的に高校デビューする形になって、周囲にもわりと好評だったのだが、何よりこれについては片時から罵られていない。それもあって馴染んでいる。
・*・
「ケイさん、ありがとうございました」
「はいは~い」
空の紙コップが見事な放物線を描き、カコンと軽快な音を立ててゴミ箱に吸い込まれた。名残にパタパタと揺れる蓋がまるで拍手しているようだ。
ここへ来たときの連勤残業明け限界OLみたいだった顔も一緒に放って、すっかり気を持ち直したようすで帰っていくシュユを、ケイもにっこりしながら見送る。
ウェアラブルアイテムの開発者として、着用者に満足してもらえるのはどんな理由でも嬉しい。
それに今回は戦果もある。ケイのモットーは『高性能はそのまま、ビジュアルも極めてこその機能美』、ここからが
装備開発デザイナーはさっそくスマホを取り出し、忍宗専用の電話帳を開いた。応答を待つ間に自分のコーヒーを淹れ直し、デスクに戻ってノートPCを開いて、デザインソフトを立ち上げる。
「――あ、もしもし~? ねっ聞いて聞いて! シュユの眼鏡のね、予備のデザイン、任せてもらえたのよ~。でね、案を何パターンか送るから意見くれない?
え? だってほら、アンタが提案した赤いのはすごく気に入ってるみたいだし、趣味合うんじゃない? うん、そうそう、それそれ。ね~、あの時は驚いたけど。
あ~、わかってるって、本人には言わないわよぉ。アハハハ、じゃあね~」
ほとんど一方的にまくし立てたあと、ケイは笑ったまま通話終了をタップして、デスク上に端末をぽいと置いた。
それから鼻歌交じりにソフトの操作を始める。人体工学と化学と色彩美術の調和を夢見て、作業画面はあっという間に色とりどりの妄想に彩られていった。
煌々と輝くPCの横で、暗転してスリープモードに落ちる直前、端末のディスプレイが表示していた文字列は――
『通話終了: 亥刀 片時』
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