五分じゃ無理

キングスマン

五分じゃ無理

 この国にはおよそ五万五千店のコンビニエンスストアがあるという。


 そしてその五倍の数の探偵事務所が存在するという。


 事件は毎日どこかで発生しているものの、犯罪に対して探偵の数が多すぎる。


 当然、仕事は奪いあいとなり、大半の探偵は探偵だけでは食っていけない。


 残念ながら、僕もその食っていけてない側の探偵だ。


 普段はパン工場のバイトでなんとか食いつないでいる。


 幸か不幸か、自分はパン工場と相性がよかった。


 工場に入ってまず手洗いをして、それから更衣室でしのぶ気のない忍者みたいに真っ白な作業服に着替え、割り当てられたエリアに移動する。


 基本的にベルトコンベアから流れてくる大量のパンの中に混じっている不良品をはじいたり、裏返っているものをひっくりかえしたりする作業がほとんどだ。


 この驚くべき単純作業で精神を病む者は少なくないようで、多くの新人たちが数日で姿を消した。


 僕の知る最短記録保持者は運動部に所属しているという男子高校生だ。


 ネットでいろいろひどいこと書かれてるけど、俺は逆にそういう環境に燃えるほうなんで任せてくれよと胸を叩いた数分後、ちょっとトイレにいってくると言ったのを最後に、彼は戻ってこなかった。


 そんなこんなで国内シェア八十パーセントをほこる我らがマボロシパンの工場は全国で連日人手不足であり、おかげで時給は増額される一方で待遇も悪くない。


 休憩時間はパンを食べ放題、勤務後は持ち帰り放題。運がよければトンカツにサラダ、ケーキをもらえる日まである。


 僕はここでバイトをしていなければ、とっくに餓死していただろう。


 とはいえ、多くの求職者たちがとっとと辞めていくせいで、僕が主に入っている時間帯のシフトにはお馴染みの顔ぶれしか残っていない。


 やたら日本語の達者たっしゃな外国人少女、誰も聞いてないのに延々と落語をつぶやきつづける男性、緑のカラーコンタクトをつけている謎の中年女性マダム


 目元しか見えない職場で誰の素顔も見たことなく、会話もほとんどないけれど、目元だけで相手が識別できる程度にはお馴染みとなっていた。


 そんなパンたちと舞う日々の中、半年ぶりに探偵の仕事が舞い込んできた。


 しかも殺人事件。被害者は五十二歳の男性。名前は真幌志まぼろししげる


 国内シェア八十パーセントを誇るマボロシパンの現社長である。


 これは何かの運命か、それともただの偶然か。



 几帳面で巨大なカップケーキみたいな風貌の邸宅に足を踏み入れる。


 陸上競技に使えそうな長い長い廊下の先にあったのは、球技ができるくらい広い広いダイニングルームだった。


 二十人以上が難なく席につけそうな巨大なテーブルの足下で一人の男性が白いシャツを真っ赤に染めて仰向けに倒れている。そばにはナイフと木材の破片。


 男性から少し離れた位置にメイド服姿の少女がへたり込んでいる。黒いワンピースの左肩側をはだけさせ、鎖骨さこつと白い下着の肩紐かたひもがあらわになっていた。


 倒れた男性と項垂うなだれている少女から離れた場所に、この邸宅の住人と使用人たちも集まっている。


 僕は全員を前に、神妙な口調で告げる。


「みなさま、お忙しいところをお集まりいただき申し訳ありません。ご依頼いただきました案件は迅速に正確に確実に解決させていただきます。それではこれより五分間探偵を開始させていただきます」


 僕はスマートフォンを取り出し、タイマーをセットする。


 表示されている『300』の数字が一秒後には『299』に変化した。



 石を投げれば探偵にあたると揶揄やゆされる探偵社会の現代。


 したたちがなんとかして仕事を得るために編み出した苦肉の策。


 それが『五分間探偵』というシステムだ。


 読んで字のごとく、依頼された案件を五分で解決するのだ。


 そんなこと可能なのか? と首をかしげる人は少なくない。


 まあ、見てなさい。


 僕は犯行現場の要所要所に目を向けていく。長くて大きなテーブルの上には当然というべきなのか、パンがおいてある。


 マボロシパンのヒット商品『しあわせのラッキーハッピーほわいとパン』だ。


 白くてふわふわしたパンの中には、なめらかな舌ざわりで優しい口当たりのクリームがぎっしりと詰まっており、パンの表面には粉砂糖がたっぷりとまぶされている。


 僕もこのパンのファンであり、バイトの後は必ずもらって帰っている。


 その名に偽りなく、食べる者に多幸感を与えてくれるのだが、皮肉なことにこのパンの生みの親である男性は、すぐそばで命を奪われていた。


 テーブルの上には他にも、いかにも高級そうな車のおもちゃがいくつも並んでいる。


 ためしに手に取ってみるとボディとシャーシが分離して、車体上部だけを持ち上げるかたちになる。まだ作りかけなのか。


 当然、高級なのはおもちゃだけではない。視界に入るあらゆる調度品から高い価格設定を感じる。食器、カーテン、ゴミ箱にいたるまで。


 大富豪のゴミ箱には金塊でも入っているのではないかと、のぞいてみると、誰かの食べかけのパンが入っているだけだった。


 そして僕はこの事件の被害者とされているマボロシパン社長、真幌志まぼろししげる氏のご遺体と向きあう。


 白いシャツが赤く染まっているのは、彼の脇腹付近に転がっている果物ナイフでめった刺しにされたからだろう。ナイフの先端が赤くれている。


 彼の周辺には木材も散らばっており、それは破壊された椅子の姿だ。


 よほど力を込めて叩きつけたのか、椅子を固定していた金具の破片も散見される。


 僕は小さくうなずいて、今回の依頼人と目をあわせる。


「検証は完了しました」


「それだけで?」相手は驚きを隠せない様子だ。


「はい」僕はうなずく。


「それで……真相は?」


「ご依頼の内容である『マボロシパンの社長、真幌志まぼろししげる氏をナイフで刺し、椅子で殴打した犯人』は、こちらのメイ子さんで間違いありません」


 僕は死体のそばで肌をさらけて座り込んでいるメイド服の少女に手のひらを向ける。


 白湯乃さゆのメイ子、十六歳。真幌志まぼろし家で住み込みのメイドをしている。スカートは短いけれど長袖の黒いワンピースに黒のエプロン姿は一足先に主人のに服しているようにも見えた。


「嘘だ! 信じないぞ!」


 真相を伝えたはずなのに、依頼主はなぜかご立腹だ。


 真幌志まぼろし一郎いちろう、十七歳。僕と同い年だが学校もこれまでの生き方も、きっとまるで違うのだろう。


 国内最大手の製パン企業の社長殺害事件という『とてつもなくでかい案件』がなぜ僕のような無名の新人にまわってきたかというと、その理由は『シンデレラ事件』にある。


 白昼堂々、人前で誘拐され、誘拐からちょうど七十二時間後に被害者は解放された。


 解放された被害者たちはなぜかガラスの靴をかされ、そして手には大金あるいは美術品が持たされていた。なお、金も美術品も盗品である。


 この事件なのか慈善なのか判断に迷う事態が多発中のため、多くの名探偵がそこにり出されていたおかげで、現場近くに事務所を構えている僕に話が回ってきたという寸法すんぽうなのだ。


「信じていただけなくても事実は変わりません。詳細な調書はネットで本日中に、ご希望であれば紙に印字したものを一週間以内に郵送させていただきます、それでは」僕は事務的に告げた。


「俺は信じないぞ!」一郎氏はかたくなだ。「彼女が──メイ子が父を殺すなんてありえない!」


 一郎氏はメイ子を見つめている。厳密にその視線は彼女のむき出しの鎖骨と下着にそそがれていた。


「はい?」わざとらしくならない程度に僕は首をかしげた。「なぜそのような話になっているのです?」


「え?」一郎氏はきょを突かれた表情になる。


「自分が依頼主様である一郎様から受けたお話は『お父様である茂様をナイフで刺し、椅子で殴打した犯人を突きとめること』です。茂様がお亡くなりになった理由についてではなかったはずです。記録もあります。ご確認なさいますか?」


「待ってくれ……じゃあ、メイ子は父を殺してないんだな?」


「もちろんです」


「じゃあ、犯人は一体──」


 一郎氏の言葉をさえぎるように、僕のスマートフォンから短い電子音が鳴る。五分経過の合図だ。


「時間ですので、これで失礼します」僕は一礼する。


「待ってくれ、だったら誰が父を殺したんだ? みんなはメイ子が殺したと思っているし、メイ子も殺害を自供しているんだぞ?」


「──そうです! わ、わたしが旦那だんな様をナイフで──」


 動揺しながらメイ子が口を開いた。見た目と同じくかわいらしい声をしている。


 動揺は周囲にいる他の使用人や真幌志まぼろししげる氏の妻である、真幌志まぼろしともえ氏、四十四歳にも伝染していた。


 唯一、一郎氏の弟である真幌志まぼろし二郎じろう氏、六歳だけは手にした大きめのタブレットで動画を視聴していた。


「こうさくんの生配信がはじまった」と喜んでいる。


 こうさくんというのは『何でも工作くん』という名前の動画配信者の愛称で、簡単な工具を用いて身のまわりにあるものをおもちゃに改造させる動画をほぼ毎日配信して、子供たちから絶大な支持を得ていた。一度も動画を見たことない僕でも知っているほどの人気者だ。


「教えてくれ、誰が父を?」


「では、延長なさいますか? その場合はこちらの延長承認マークをタップしてください。延長は一分毎に追加料金をいただくことになりますが──」


 いいながら僕はスマートフォンの探偵アプリを開き、画面に緑色で大きく『承認』と描かれたマークを表示させる。


「かまわない、つづけてくれ!」


 説明を聞く時間も惜しいといわんばかりに一郎氏は画面をタップした。


「では結論から申します。茂様の死は事件ではなく、事故です」


「ち、違います! 旦那様を殺したのは私です!」メイ子が声を上げる。「ここに旦那様に呼ばれて、それで……真剣なまなざしで、私の、か、体を求めてこられまして……」


「つまり、茂様はメイ子さんの左肩を右手でつかんで強引に服を脱がそうとした──間違いありませんか?」


「……はい」


「それはおかしな話ですね」


 僕はゴミ箱に近づき、いつもポケットに入れてあるビニール手袋をはめて、ゴミ箱の中にある食べかけのパンを取り出した。それは『しあわせのラッキーハッピーほわいとパン』である。


「このパン、表面に白い粉砂糖がたっぷりとまぶされているので、手にたくさんそれがついちゃうんですよね、例えば……そこでお亡くなりになっている茂様のように」


 仰向けで倒れた茂氏の右手にはたっぷりの粉砂糖。


 失礼します、と一度相手の前で手をあわせてから、僕は茂氏の閉じた唇を手袋をつけた手の人さし指を使って開いた。そこには食べかけの白いパン。


「メイ子さん、あなたは茂様から肩をつかまれたとおっしゃいましたが、あなたの黒い服に粉砂糖はついていないみたいですね。それに強引に服を裂こうとしたら、そんなにふうに、まるで自分でボタンをはずして服をずらしたみたいに綺麗には脱げませんよ」


「…………」メイ子は沈黙する。


「ナイフで刺したのはあなたで間違いありません。しかし、ただ体のあちこちを軽く刺しただけです。ナイフの先端にしか血がついていませんし、致命傷にはなり得ません。椅子で叩きつけたのもあなたですが、椅子を破壊したのはあなたではありません」


「なぜそう言いきれるの?」巴氏が訊ねてきた。


「これはかなり頑丈な椅子です。失礼ながらメイ子さんの力では不可能でしょう。この椅子を破壊できるとすれば、例えば……一郎様は確か、レスリングの全国大会で優秀な成績を収めていらっしゃいましたよね?」


「お、俺が親父を殺したとでも?」一郎氏は声を荒げた。


「そうではありません。それにこれは事故だと説明したではありませんか。もったいぶる趣味はありませんので事故の原因をご覧下さい。ちょっと失礼しますよ──」


 そう言ってから僕は六歳の少年、二郎氏が手にしていたタブレットを取り上げて、画面を真幌志まぼろし家の人々にご覧いただいた。


「ようし、それじゃあ今日はロボットのおもちゃを分解して、恐竜に変身させてみよう!」


 画面の中で幼稚園児のような格好をした三十代の男性がおもちゃとドライバーを手に、にっこりほほえんでいる。人気動画配信者、こうさくんである。


「──まさか!」


 真相に一着でたどりついたのは茂氏の妻、巴氏だった。


 人気配信者に影響された六歳の少年は目に入るありとあらゆるネジをゆるめてまわった。テーブルの上にあるおもちゃから、椅子を固定している金具まで。


 その不安定な椅子に気づかず座った茂氏はテーブルの角で後頭部を強打し、あっけなく肉体から魂を解放させた。


 メイ子は茂氏に大きな恩があり、彼を心から尊敬していた。その茂氏は二郎少年の成長を何よりも楽しみにしていた。だから少年の人生に一生残る傷跡となりかねないその罪を隠蔽いんぺいするために、奇策に打って出たのだ。


「……ごめんなさい、私、旦那様は命の恩人なのに、浅はかな考えで旦那様に対してなんて無礼な……」メイドの少女は大粒の涙を流しながら謝罪を口にする。


「いいのよメイ子、あなたもつらかったでしょう。そこまでして私たち家族を守ろうとしてくれて、ありがとう」巴婦人の目にも涙。


 周りの使用人たちも鼻をすすっている。悲しいけれど、あたたかい光景だ。


 数分間、みんな、泣きつづけた。


 僕は腰のあたりにそっと視線をおとして、スマートフォンで動作しているタイマーの数字を確認した。


 調査時間を延長して、かれこれ三十分が経過しようとしている。


 思わずガッツポーズをとりそうになる手と笑顔を作りそうになる表情を、ぐっとこらえる。


 いいぞ、泣け、もっと泣いてくれ。


 調査延長は一分ごとに追加料金が発生し、それは依頼人が納得の申し出をするまでつづく。つまり、一郎氏がメイ子の話を聞き入っている現時点で、まだ料金は追加されつづけているのだ。


 いっそここから悲しい生い立ちや過去のトラウマ、好きなアーティストや血液型でも何を話してくれてもかまわない。


 そのたびに僕のふところうるおうのだ。


 いい感じに巴婦人が人生について大切なことを語りはじめた。これは長くなりそうだぞ。


 そのときだった。


 ある人物の些細ささいな動きを目撃して、僕の探偵としての直感と推理力が猛威を振るった。


 この中に一人、いま世間を騒がせているシンデレラ事件の犯人がいることに気づいてしまった。


 あいつ、悲しそうな顔してとんでもない悪党だぞ。


 ただ、真相を語る前にあなた・・・にお伝えしたいことがあります。


 ここまで僕の活躍を読んでくれてありがとうございます。


 あなたがここを読みはじめてそろそろ五分が経過しようとしています。


 つまり、調査報告はとりあえずここまでとなります。


 マボロシパン社長殺人事件は一応解決したけれど、今度はシンデレラ事件が幕を開けようとしています。


 この真相を知れば、あなたはきっと『あっ!』と驚かれることでしょう。


 どうです?


 延長なさいますか?

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