第9話-②

「……先生、私ね」

「うん」

「やっぱり、死ぬのが怖いの」

 もう、いつ死んでもおかしくない。

 その言葉が再び鼓膜の奥でこだまする。彼女の奥でグラフが不安気に揺れ動いた。

「仕方のないこと、逃げられないことだってわかってた。だからこれまでずっと、心の準備をしてきたつもり。後悔のないように生きて来たつもり。でも、いざ死ぬってなると、怖い」

「……僕に、どうしてほしい?」

 生まれた時からずっと、僕にとって死は遠くにいた。ずっと死と共に歩んできて、いよいよという彼女が何を望んでいるのか、どうすれば安心できるのか、僕にはわからない。

彼女が顔を上げる。

「いつか、どんな方法かはわからないけど、私が今度こそ健康で生きられるようになって、先生にまた会えたら、先生が見てきたものを教えて。こんな本が出たよ、とか、そんなんでいいから。私が見られなかった世界のことを教えて。約束してほしいの」

 僕は少し呆気に取られながら頷いた。何十年も前、僕に同じように言った女がいた。

 背後から射す陽を、風に靡いた彼女の髪がほんの少し遮る。

「それから、私のこと、忘れないでね。先生が私の……唯一の友達だったから。私のことも、先生の中で、生かしていてね」

 今ここにいる彼女のことも、何十年も前に僕の手の中から連れ去られてしまった彼女のことも、僕は忘れない。他のたくさんの命も、僕の中にいる。

「……忘れないよ。短かったかもしれないけれど、それでもぶっとく生きた君のことも、絶対に忘れない。僕は、細く長くしか生きられないけど、君は僕の人生の一部だ。これからずっと」

 百年待つと契った彼女が今も僕の中に居座り続けるように、テンポの早い音楽を刻み続けた彼女もまた、僕の中で囁き続けるに違いない。

 彼女はベッドの上でふにゃりと笑った。

「先生は、長くぶっとく生きなきゃだめよ」

「そうか、そうだね。どうせ長い人生なら太く生きなくてはね」

 忘れてはいけない。幼い頃からずっと、自分より遥かに大きく、恐怖を覚えさせるものに立ち向かい続けた彼女の強い生き様を忘れてはならない。そんなことをすれば、彼女は百年後、僕におぶわれに来てしまう。

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