第一章 転生と成長編

第1話 転生した乳幼児・マリア


 

「――ギャアッ! ホギャアッ! ホギャアッ!」



 うるっさいなー。


 耳に飛び込んでくる声で意識が覚醒する。

 瞼は重く、まだ目を開けられない。



「おお! 産まれ…………アーナ!!」


「元……女の子です……!」


「女の子…………無事に……まれ……かった……良く……ったな、ジョアー……!!」


「…………りが……うアナタ。ほら、……の子よ。抱い……げて……」



 いやいや、アンタらおかしくない?

 どうしてヒトが寝てる傍でそんな騒いでんの!? 安眠妨害なんですけど!?  赤ちゃんもずっと泣いてて正直煩いって!!


 意識が段々と鮮明になってくる。と同時に、身体全体で何かに抱えられたような、そんな感覚と浮遊感を感じる。


 な、なんだあ!?

「ほぎゃあああっ!?」



 うるさっ!?


 ちょ! とにかく、赤ちゃん泣き止まさせてよ!



「ほ〜ら、パパだぞ〜♪ はじめまちて〜♪ おお、泣き止んだぞっ!」



 先程よりも声が鮮明に聴こえてくる……っていうか、近くない? まるで、顔を覗き込まれて声を掛けられているような……?


 恐る恐る、重い瞼を開く。眩しいな。


 目に映るのは、ボヤけた輪郭の、男の顔?


 視界が、やけに揺れている……というか、身体に感じた浮遊感も、抱擁感も継続中だし、揺らされている感覚もある。

 そしてその揺れが、視界の揺れと一致しているような……



「おお! はママにそっくりなエメラルドグリーンだな! これは将来絶対、美人になるぞぉ〜っ!」



 ――――これは、まさかそういうことなのか……?


 思うように動かない身体に鞭打って、右手をそろりと顔の前に動かす。


 目の前の男の顔に比べれば、ひどく小さな手。

 指も短く、プニっとしていて丸みを帯びている。


 念の為、手を閉じて、開いてみる。うん、動くね。


 ………………。



「ほ、ほんぎゃあああああああっ!!?(あ、赤ちゃんになっとるううう!!?)」



 どうやら、俺は赤ん坊に転生したらしい。





 ◇





 前世の俺は、地球生まれの日本人だ。それが何の因果か、こうして赤ちゃんの身体となってオギャッてるのだ。


 ラノベで定番の転生トラックにお遭いした訳でもないし、麗しき女神様に喚び出されて、なんやかや話して転生特典等を頂いた記憶も無い。

 最後の記憶でMMORPGをやっていた訳でもなければ、突如教室に魔法陣が出現してクラスメイト共々、王様やお姫様にお出迎えされた訳でもない。


 そもそも学生ちゃうし。


 おぼえているのは一人暮らしの部屋の中で、翌日の朝七時出勤に備えて、持ち帰ったプレゼン資料を仕上げてから午前三時過ぎくらいに就寝したことくらい。ちなみに、通勤時間は一時間掛かる。


 さて、記憶の整理が済んだところでだ。


 ……これ、ひょっとして過労死か?

 寝てる間に脳の血管でもブチ切れたかな。


 まあね、俺も薄々限界は感じてたよ?

 週休二日制をうたっておきながら、休日出勤は当たり前。世間様のように土日祝お休みという訳でもなく、シフト変更予定や変更は日常茶飯事。


 GWゴールデンウィーク? お盆休暇? SWシルバーウィーク? 正月休み? 有給休暇?

 何それ、どこの国の食べ物ですか美味しいんですかーってなもんだ。


 最期の時に寝たのだって、実は二日ぶりの睡眠だったし。



「あぶぁだぁだぁぶぅだあ……(転生できて幸運だったかもな……)」



 安アパートの畳の上で、物言わぬ屍に成り果てている自分の姿を想像する。

 管理人さん、ビックリするだろうなぁ……。事故物件になっちゃうし。それだけが心残りだな。


 既に両親は他界しており、俺はひとりっ子。親戚付き合いも薄く、良い仲の女性も居ない。

 俺が死んで困るのって、管理人さんと同僚くらいしか居ないという事実がまた、転生した俺の寂寥感を掻き立てる。



「あーうだうだうあばぶあ、だーう(なーにやってたんだろうな、俺って)」



 しかし前世の俺よ、転生させてくれた神様|(?)よ。

 一つだけ文句が有るぞ。


 俺は小さな赤子の両手を掲げ、勢いよく振り下ろす!



「ばーう、あぅだだぶうあばだあし!?(なんで、息子ちゃんを忘れて来たし!?)」



 うん、居ないの。俺の半身が……ムスコが……。

 まだまだ元気だったのに、活躍する時間はたっぷり有った筈なのに……!


 はぁ……。

 もうこの事を考えるのはよそう。


 は犠牲になったのだ……!

 多分俺の転生コストに、ナニかしらの理由でを生贄に捧げる必要が有ったんだろう。


 うむ。


 俺こと、八城要やしろかなめは、日本での生を終えて、どっか異国の、割と裕福そうな家庭の娘として転生しました!


 そして目下の問題としては、だ。赤ちゃんの身体に、大人の俺の人格が入ってるってことなのよね。


 身体は子供、頭脳は大人などこぞの名探偵の苦労なんぞ目じゃないぞ。


 何しろ思い通りに動かない。喋れない。

 そして尿意便意が耐えられない!!


 くそっ!


 俺がゴーダマ・シッダールダさんのように産まれた直後に立ち上がって歩ければ、自らトイレにおもむいて育児ママ様の関門の一つ、〝トイレトレーニング〟の手間を省いてやれるのにぃ!!


 あな口惜しや、憎らしやァ!!

 はい。何がとは言わないけど、出ちゃいました。そして。



「おぎゃああああっ! ほんぎゃあっ! あんぎゃーっ!!」



 極めつけは、コレだ。

 まあ、生存本能なんだろうけどさ。


 排泄の不快感や、空腹感や、眠気。

 それら諸々の感覚に我慢ってモンが出来ずに、泣き出しちゃうんだよねー。


 まあこの身体に転生して、既に数日経っているし。

 この後俺の身を襲う悲劇にも、随分と慣れちまったもんなんだけどさ。



「はいはい、オムツでちゅか〜?」



 常に開け放たれた部屋の扉から入って来たのは、今世の俺の母親である女性。

 名をジョアーナという。父親からは、よく愛称のヨナと呼ばれているけど。


 ゴージャスでサラサラなブロンドヘアーに、エメラルドグリーンの綺麗な瞳。人形のように整った配置の小さな顔は、どこか少女の面影を残していてあどけない。



「さあ、マリア。オムツを替えまちゅよ〜。はい、アンヨ高い高ーい♪」



 いやーん♡


 ふっ。我ながらこの適応力が恐ろしいぜ。

 羞恥心だ? そんなもん一日中何度もオムツ交換やられりゃあ悟りの境地だわ!!



「あだっ!? だーうあう!?(いたっ!? ちょっと!?)」


「あら、痛かった? ゴメンゴメン、強く拭きすぎちゃったわねー」



 今ではその手際に文句も言えるほどさ。


 ちなみにマリアってのが、今世の俺の名前ね。


 何が由来なんだろうな? 世界で一番有名な聖母さんかな? 喋れるようになったら訊いてみよう。



「はいっ、できまちたよ〜♪ あらあら、まだ泣き止まないのぉ?」


「あんぎゃーっ! ふんぎゃーっ! ほんぎゃーっ!!」



 どうやら、俺の身体は空腹を訴えているらしい。

 ろくに動かない手をジョアーナに向かって必死に伸ばして、泣き声を上げる。


 しかしマリアよ、もう少しお上品に泣けないものかね……。まあ、中身が俺じゃあ仕方ないかもしれないけど。



「はいはい、今度はおっぱいね。今あげるからね〜♪」



 恥ずかしげもなく、人様の前でその豊かな胸を露にするジョアーナ。

 二つのたわわに実った果実が、俺の目の前でプルルンと揺れる。


 よさないか! 君は人妻だろう!?


 ……はい、サーセン。おっぱいあざーす。


 オムツの時間とおっぱいの時間だけは、女の子に産まれて良かったと、本当にそう思う。女同士だと思えば、ちょっとは諦めもつくからね。


 親父がやろうとした時は断固拒否してやったけどな!!

 ああ、全力で泣いて追い払ってやったさ! 足でペチペチ蹴り飛ばしてやったさ!! だって、なんか乱暴にされそうで怖いんだもん!!


 と、他に思考を割いている間にママンのおミルクを飲み終わる。



「はいごちそうさまでちた〜♪ お背中トーントン♪」



 肩甲骨の間を、トントン叩かれる。

 別にDVって訳じゃないよ。これは、ゲップを促してるだけだからね。



「ぐぇーっぷ!」



 …………可愛げもへったくれもないゲップでごめんなさい。

 あたし、お淑やかになるから! きっとカワイイ女の子になるんだから!!



「ふふふっ。いつもながら、元気なゲップね♪ さあ、おねんねちまちょうね〜♪」



 横抱きに抱え直されて、ゆらゆらと。ゆっくり、ゆっくりと揺すられる。


 うむ。どうやら夢の使者との会談の時間が来たらしいな。であれば仕方ない。赤子の責務として、惰眠を貪るとしよう。



「あーう、あう……」


「おねむしなさいね〜。おやすみマリア、私の天使」



 うん。おやすみ、ジョアーナ。


 …………お母さん。




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