第21話 預言

「ふん、やっと来たか忠清」


 開口一番、祈祷師の奈恵さんは言い放った。


 玄関先で腕組みしながら、仁王立ちで僕を見下ろしている。


 黒レースに身を包んだその静かなる威容は相変わらずの死神っぷり。

 迫力と眼力が凄まじい。


 いつもはたじろいで物怖じしてしまう僕だが、今回ばかりはそうは行かない。


「奈恵さん、お久しぶりです。今日は折り入ってお願いがあるんですが……」


「上がって、奥の部屋で待ってな」


 奈恵さんが、僕の言葉を遮った。


「わしにも準備があるからね。まあ大したもんじゃないが」


「準備、ですか……?」


「訊きたいんだろう、鈴のこと」


 無愛想に、流し目で奈恵さんは告げる。


 ――この人は、何もかもお見通しなのか。


「……よろしくお願いします」


 僕が頭を下げると、菜恵さんは小さく頷いて近くの部屋に入っていった。

 開いた襖から、ちらりと箪笥と布団の端が見えた。


 寝室のようだ。


 家の中にいるはずの、奈恵さんの旦那さんには未だお目にかかれていない。


 なぜ姿を見せてくれないのだろう。

 いや、奈恵さんが見せてくれないのか。


 どうでもいいことを考えるのは止めにして、僕は言われた通りにあの奥の部屋へ入った。


 奇怪な祭壇。

 クーラーも無いのにひんやりとしている、暗い和室。


 藁にもすがる思いでここにやってきたが、自分が神頼みに走るとは僕も予想外だ。


 黙っていると、底冷えがしてくるような気がしてきた。

 季節外れにも程がある。


 僕はぼんやりと祭壇を眺めた。

 おもむろに、顔を近づけてみる。


 神棚――

 宮形の扉が少し開いていた。


 中に絵馬のような物が見える。あれは何の絵だろう。人の顔を持つ牛のような。


 まるで、ギリシャ神話に出てくる怪物のようで――。


「待たせたね」


「!」


 襖ががらりと開き、菜恵さんが入ってきた。


 僕は慌てて座布団に座り、姿勢を正して菜恵さんを見上げた――

 と同時に、面食らってしまった。


「な……奈恵さん、その格好は?!」 


 新雪のように真っ白な小袖、灼熱の炎のように真っ赤な緋袴。


 菜恵さんは、巫女装束に身を包んでいた。


「あー。忠清に見せるのは始めてだったか。祈祷や占いをやるときはいつもこの格好さ。幾分久しぶりだけどね」


「なんと言うか、め、目の毒と言うか……」 


 奈恵さんの着こなしは、大胆と言うか雑でだらしない。

 普段着のように胸元がはだけていて、豊満な胸がはみ出ている。

 どうやら白衣の下には何も着けていないようだ。


 ――ひょっとして、緋袴の下も履いてないのか?


 うっかり僕は、ごくりと息を飲んでしまった。


「……なんだ、忠清」


「い、いえ、何でもないです。巫女装束は綺麗だなあと一般男性の平均的な意見を申し上げただけです」


「そうか。ちなみに下着は、上下とも着けてないぞ」


「…………そうですか」


 見事に見透かされていた。


 僕がどうでもいい自責の念に苛まれて頭を垂れている間に、奈恵さんは祭壇に向かって正座した。


 一段と部屋の気温が下がる。

 ブツブツと、またしても聞き取れない言葉を奈恵さんは呟き出した。


 呟けば呟くほど緊張感が奈恵さんの体から放射状に放たれて、部屋に充満していく気がした。


 奈恵さんの背筋が、凛々しく張る。

 背中のラインがくっきりと見えて、細い項が薄暗闇に晒される。


 僕はまた邪念を見抜かれるような気がして、見ないようにした。


「さて、と。鈴の話だったね。行方が分からないんだろう?」 


 ほんの少し首を曲げて、こちらに視線を向けてくる奈恵さん。

 表情は読めない。


「今日僕が行ったときには、もう家にいなかったので……何日も前から、家にはいなかったんだと思います」


「ふん。『みしるし』を忘れちゃいけない、と言っておいたのにね――『運命の数』からは逃れられないと、そう忠告したはずだよ」


 忌まわしそうに奈恵さんが呻く。


「『運命の数』って、『寿命』のことだったんですね。見た目が若いのに寿命だけがそのまま襲ってくるなんて、予想もしてませんでした」


「だから、誤魔化しだと言っただろう。外見が変わろうと、変わらないものは変わらない。みしるしがある限り、その者は『運命の数』に縛られておる。楽しんではいけない。喜んではいけない。やってくるものからは逃げられない」


「そんなの、残酷すぎますよ……」


 それでは、何のための若返りなのか。


 何のために、新たな人生を『楼女』達は選択したのか。


「残酷なのさ、神さんの気紛れは。生贄だけを求めて、秩序の可能性を見ているだけ。数多に重なる那由多の世界で繰り返された、最良の結果だけを一つの世界にお纏めする。ここは地の獄の一つに過ぎない。それが阿傍の神のなさりようさ」


 菜恵さんの言葉は抽象的すぎて、僕には理解出来ない。

 けれど僕が聞いたことの無いその神様は、決して温情ある存在では無いようだ。


「その試しからは、わしだって逃げられん。だから以前と変わらず生活しておる。何も求めちゃおらんわい」


「そうするしか無いって言うんですか。それが幸せだって言うんですか」


「少なくとも、苦しまずにはすむじゃろう。あがいた所で意味など無い。わしは早くからそれを知っておったが、誰にも言わなんだ。わしは――」


 ――わしは皆を止められんかった。


 奈恵さんは、煩悶するような声で囁いた。


 僕はこの人の祈祷や予言の力を、信じきっていたわけではない。

 だからその辛さを想像したことは無かった。


 『楼女』達がどんな運命を背負っているかを、自分だけが知っていたとしたら。

 僕だって、告げられなかっただろう。


 真実を突きつけることなんて、出来なかっただろう。


 鈴さんも、えつさんも、米子さんも、純さんも、若返ったことで失った喜びや新たな幸福を得ていた。


 それを奪う勇気は、僕には無い。


「優しいんですね、奈恵さんも」


「はん――弱いだけさわしは。真実を告げるのが仕事なのに、告げることを厭うてしまった。もう遅いがな。運命の数の正体に気づいてしまった者達の顔がそこら中に溢れておる。哀れで見てられん……わしにほんのちょっとの未来を教えてくれる神さんは、教えてくれる以上のことはしてくれんからね……」


 唱えるように、奈恵さんは呻く。


「鈴さんは、自分がどうなるか気づいてしまったから――だから、いなくなってしまったんでしょうか?」


「じゃろうな……鈴はな。今までずっと一人で生きてきた。共に生きようと誓った者を失って、その上でずっと一人でな」


 奈恵さんが、横目で僕を睨む。


「その気持ちが分かるか、忠清?」


 数十年分の孤独の重さ。

 未熟者の僕なんかには、分かるわけが無かったけれど。


「これから一緒に、分かってあげようとすることは出来ます。陳腐な言い方ですけど」


「それがどれだけ、短い時間になろうともか? それに意味があると言えるか」


「時間なんて最初からどうでもいいんです。だって――相手は鈴さんですから」


 理由にならない理由を、僕は告げる。


 軽く笑って、奈恵さんは


 「いいだろう」


 と深く頷いた。


「鈴は今、本来行くべきだった場所におる。『本人にとってのあるべき場所』にな。そこは――」

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