第14話 熱

 帰路に着く客の列で、会場の入り口付近は恐ろしく混雑している。


 熱が抜けていかない。

 朋香や米子さん達は、今日の演奏について熱く語りながら前を歩いている。


 僕はただ氷のように冷め切って、淡々と列を歩いていた。


「忠清くん、大丈夫?」


 後ろから鈴さんが心配そうに声をかけてくる。

 ついさっき、僕がかけたのと同じ言葉で。


 僕は振り返ることが出来ない。

 自分がとても情けない顔をしているように思えた。


「体でも壊しちゃったのかい? 何だか苦しそうだよ?」


「大丈夫だってば!」 


 振り返りもせずに、僕は無情な声で吐き捨ててしまった。


「た……忠清くん?」


 鈴さんの声が震え、息を飲んだのが分かった。


「気にしないでいいから」


 言葉に感情が篭もらない。

 僕は惨めで無意味な怨嗟に苛まれている。


 鈴さんからの返事も無い。


「おい、あれ『ぽたらか』のメンバーじゃないか!?」


 突然、列の後ろの方で男性が叫んだ。

 周囲の客が後ろを振り向きながら、にわかに騒ぎ始まる。


「どこ?」


「マジで?」


 という声がそこかしこから聞こえる。


 朋香達も反射的に振り向いた。

 僕だけが頑なに前を向いていて、あまりに不自然だった。


 居心地が悪い。


 鈴さんだって、気になって後ろを向いているだろうからきっと大丈夫だ。


 僕は誤魔化しがてら、意を決して振り返ったのだが――。


 ――鈴さんは。じっと、僕を見ていた。


 もの凄く心もとない顔で、周りの様子も気に掛けずに、漫然と、もごもご口を動かして。


 非道く混乱している。焦って、困っている。


 ――僕のせいか。


「ほら、やっぱりあそこにいるって!!」


 がなる男性の姿が目に入った。

 興奮した様子で、入り口を指差している。


 同時に、別の客が入り口を指差した。


 視線が逆流する。


 本当にそこにメンバーがいたのかどうかは定かではないが、頭に血が上った客達は我先にと、堰を切ったかの如くに動き出した。


 列の進むスピードが、一気に早まる。


 人、人、人。熱を帯びた人の波が押し寄せてくる。


 危険を感じた朋香達は、流れに逆らわず入り口へ向かったようだ。


 鈴さんは、それにすら気づかない。


 後ろから迫ってきた人達にぶつかられ、押され、はね飛ばされる。

 鈴さんはついに、人の波に飲み込まれてしまった。


「鈴さん!」


 僕は発作的に、波に突っ込んで、手を伸ばした。


 人を掻き分けて、体を押し込める。

 僕の指先に、小さな指先が触れる。


 その奥へ、さらに手を伸ばす。

 向こうも懸命に手を伸ばしてきて、僕の手の平に触れる。


 記憶にある温もり。

 思い出の温かさ。


 僕は全力でその温度を引っ張る。


 ひょっこりと銀髪が、跳ねるイルカの如く波の間から姿を現した。


「あわ、あわわわ……?」


 パニックになった鈴さんは、必死に僕の腕にしがみついてきた。


「鈴さん、絶対離さないで!」


「う、うん!」


 荒い呼吸と鼓動が、腕から直に伝わってきた。


 空が見えた。


 深海から突然海面に出たかのように、高く青く澄んで晴れ渡っている。


 会場を出て、僕達は駐車場まで来ていた。

 背後を大勢の人間が扇状に散っていく。


 結局、メンバーを見つけたと言うのは錯覚かデマだったのだろう。

 誰かが見つけたような気配は無いし、表の入り口にメンバーがいるのも不自然だ。


 朋香達の姿は、ここからは見えなかった。

 人混みを避けて、別の方角に行ってしまったらしい。


 みんな、あの人の流れで怪我をしていないといいけど。


 それにしても――右腕が重い。


「あの、鈴さん、もう大丈夫だから」


 鈴さんは僕の腕に腕を絡みつけて、痛いぐらいにしっかりしがみついていた。


「鈴さーん。もう安心ですよー」


「……忠清くん」


「はい?」


 ぶるぶる震えて。


「…………忠清くん」


「ここにいますよ」


「こ、こ、ここ、怖いよう」


 ガチガチと歯を鳴らしている。


 パニック状態から、ショック状態に移行してしまったようだ。


「怖いよう……」


 僕の腕にすがりついてくる。怯える少女そのものだ。


「す、鈴さん。え、えーと……」


 困った。

 動けない。


 僕は懊悩した末に、鈴さんの頭の上に手を乗せた。


「……よしよし」


 出来るだけ力を入れずに、その髪を撫でる。

 汗で湿っているせいか銀色は灰色にくすんでいて、手の平に髪が張りついてきた。


「ん……」


 目を細めて鈴さんは、身を任せてきた。


 親子二代で小さいころは鈴さんに頭を撫でられたものだったが、まさか自分が鈴さんの頭を撫でる日が来るとは思わなかった。


 悪い気分では無いけれど、大それたことをしている気分だ。


 しばらく撫で続けていたら、鈴さんの体の震えも小さくなってきた。


「ほ、ほら。もう大丈夫でしょ?」


「……うん」


 ゆっくりとしがみついた腕を離しながら、鈴さんは僕の顔を見上げる。


「ありがとう」


 健気に潤んだ瞳が、銀色のカーテンの向こうで僕を見つめる。


 ――うん。矢張り。


「……可愛いなあ」


「え?」


 鈴さんが、首を傾げた。

 

 ――やばい。


 心の声をそのまま口に出してしまった。


「あ、え、そ……その、鈴さんのその髪の毛とか、目がですね!」


 何も誤魔化せていないどころか、律儀に本音を付け足してしまった。

 自分の顔が火照って紅潮していくのが分かる。


 汗を大量にかいているのできっと元から赤い。


 そして、鈴さんも赤い。


 きっと、走りすぎたからだ。


 しどろもどろの僕を見て、鈴さんの顔の緊張がほぐれていく。


 やがて鈴さんはにっこり笑って。


「ありがとう、忠清くん」


 小さく、そう言った。


 色々と心が整理出来ていないけれど。これでいいや、と僕は思った。

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