第12話 ライブ
ライブ会場であるホールは、すでに来場客の熱気に溢れている。
人気ラーメン店の行列に並ぶことすら躊躇する横着者の僕は、この人混みに耐える音楽ファンに尊敬の念すら覚える。
朋香が取っていた席は、最前列だった。にわかファンなのかと思ったら結構入れ込んでいる。
ほとんどの客は、見たところ十代から二十代の若い男女だ。
あくまで、見たところだけでは。
近くにはきょろきょろと周囲を見回す挙動不審な女性が何人かいる。
一人で来て不安になった学生にも見えるし、慣れない文化に戸惑う『楼女』かもしれない。
あの子もそうだろうか、こちらは本物の高校生だろうか、と憶測をしかけたけどバカらしくなってすぐに止めた。
以前は町を歩く度に出会った女の子の実年齢を気にしていたけど、詮索はキリが無さ過ぎるということに最近やっと気づいた。
「忠清くん、誰か捜しているのかい?」
右隣に座っていた鈴さんが気遣わしげに僕の顔を見ていた。
僕が最も挙動不審だったようだ。
「いや、会場の平均年齢どれくらいかなーって」
冗談めかして言うと、くすくすと鈴さんが笑った。
「案外、朋香ちゃん以外はみんな、私と同じぐらいだったりするのかもねえ」
「鈴さん、洒落になってないから、それ……」
聞き耳を立てていた朋香が、顔を引きつらせていた。
「さすがに全員ってことはねーだろ~」
桐春が遠くから突っ込みを入れてきた。
「そりゃー俺らが思ってるより、割合は多いかもしれないけどな」
「そうね。私達から見ても、誰が若くて誰がお婆ちゃんなのかなんて、判断しきれないものね」
米子さんが冷静な分析をして。
「どーでもいいんじゃなーい? 要は気持ちの若さでしょ~?」
純さんが乱暴に笑い放つ。
その通りかもしれないが、純さんほどの気持ちの若さは鈴さん達には到底真似出来まい。
僕も無理だけど。
皆、苦笑いだった。
しばらくして、会場の照明が落ちた。
「お、始まるんじゃない?」
薄暗闇の向こう、興奮したえつさんの声。
ステージ上から、強烈なバックライトが客席に向けて当てられる。
目が眩むのと同時に、会場中から歓声が上がった。
逆光の中心に、四つの輪郭が見えた。
バックライトが切り替えられ、スポットライトに変わる。
四人の少女が立っていた。
ギターを持った少女は、ゴスロリ的なドレス姿だった。
垂れがちで大きい瞳が、子犬のようで愛らしい。
ベースを持った少女は、濃紺の着物姿だった。
二尾に結わえられた特徴的なツインテールのせいか、女子中学生が無理をして着飾っているように見えるが、表情は大人びている。
ドラムスティックを握る少女はジャージ姿。
米子さんの普段着とは色違いの赤が映えて、長い髪も赤く染めていた。
前に出ている眼鏡の少女は、ヴォーカルだろう。
健康的でスレンダーな体にTシャツにジーンズと、カジュアルだ。
おっと、訂正。
彼女達は『少女』では無く、『楼女』だということを忘れてはいけなかった。
演奏はすでに始まっている。
重低音のベースとドラムが、腹の底に伝わってきた。
ジャージ楼女のドラムスティックさばきは少々単調だが、女性のものとは思えないほど力強い。
大気に直接叩きつけているようかの振動だ。
着物のベース楼女も、軽やか、かつ滑らかに弦を爪弾く。
弾きながら客席をちらちら見て、色っぽく微笑んでいる。
純さんとは違う種類の艶やかさだ。
ギターのリフが重なっていく。
ギター楼女はクールなのか照れ屋なのか、俯きすぎて表情が全然見えない。
初っぱなから顔が見えないのもどうかと思うけど、手元は忙しく素早く動き回る。
テクニックについては僕は詳しくは無いが、僕が何年ギターを学んだ所で、あの演奏は無理だろう。
それらを纏めあげるように、ヴォーカル楼女が喉を奮わせる。
とんでもない声量だった。
第一声が会場全体に響き渡る。特徴的で、耳に残るビブラート。
しばらく聴いてみて、その発声が宅老所でよくかかっていた民謡の響きに似ていることに気づいた。
「すごいなー、この歌声……」
一曲目が終わりかけて、僕は誰にでもなく呻いた。
「でしょ?! パワフルだよね! ヴォーカルのふーちゃん、民謡の先生もやってるんだって!」
ハイテンションな朋香。
矢張り民謡だったか。しかもプロだった。
「あの人、ふーちゃんっていうの?」
「……呆れた。忠清、メンバーの名前も知らなかったの?」
軽蔑の眼差し。時代遅れで悪かったな。
「ヴォーカルの子が足立房江さん、ふーって呼ばれてるそうだよ」
教えてくれたのは、意外にも米子さんだった。
「ベースが座間七重さん、通称ナナさん。ドラムが日高綾子さん、通称アヤ。ギターが戸田幸さん、通称こー」
すらすらと、全員の紹介をしてくれる。
「米子さん、ひょっとして詳しいんですか?」
「そりゃあね。〝私達〟の中で、多分一番世の中に出てる人達だもの。気になるに決まってるでしょう?」
自分のことでも無いのに、米子さんの口調は誇らしげだ。
「頑張ってる子がいると、私達もまだいけるって気になるからね! あのアヤって子、私より年上だけど、きっと強くなるよ!」
ロックと闘争心の親和性が高かったのだろうか、目も充血し息も荒く、血湧き肉躍るといった感じのえつさんである。
ドラマーは強くなる必要は無いと思うが。
「あの子、若い子にモテそーねえ……」
純さんがライバル視しているのは、着物姿のベーシスト、ななさんだ。
「純さんの方が綺麗だって!」
「あらーありがと、桐春く~ん」
おべっかを使う桐春に、甘い声を出しながらべたべたする純さん。一生やっててくれ。
一方鈴さんは頬を紅潮させて、膝の上で小さく手を叩き、リズムを刻んでいた。
ロックが好きだったとは思えないのだけど、演奏が琴線に触れたようだ。
少々タイミングがずれて、慣れないリズムに乗りきれていない様が微笑ましい。
周囲から、再び歓声が響いた。
ヴォーカルのふーさん――敬称をつけると思いっきり違和感がある――が、マイクを持って客に語りかけ始めていた。
「みなさーん、こんにちは! こんな所まで、よーくこんなお婆ちゃん達の歌を聴きに来てくれたねー!」
どっと笑い声が巻き起こる。
ふーさんは全く嘘は言っていないのだが、あの健康的なTシャツの女の子の口から飛び出す『お婆ちゃん』という言葉は、ユーモアにしか聞こえない。
「私達が、こうしてステージに立ってみなさんの前で演奏出来るなんて、夢にも思っていませんでした! 古臭い、若返った私達にこんな音楽を薦めてくれたのは、バンド活動をしている孫達でした!」
ふーさんが、客席を手で示す。
ライトが当てられたそこに、恥ずかしそうにしている女の子達がいた。
ぺこぺこと頭を下げている彼女達が、ふーさん達の孫らしい。
一人はドラムのアヤさんとお揃いのジャージ姿だ。
アヤさんの方が、孫のお古を着ているのだろう。
言われなければ、どっちが孫なのか分からない。
「さっき聴いてもらったのは、私達が孫から教えてもらった音楽。でも私達は、古臭くて伝統的な音楽も大好きなんです。それが、私達の歩いてきた人生で、音楽だから。『楼女』と言われている私達の作った、古くて新しい音楽を、聴いてくださいねー!」
大歓声が上がった。
朋香も、米子さんも、えつさんも、純さんも、桐春も。
年齢性別、若者楼女問わず僕の友人達が、嬌声を上げる。
鈴さんも声こそ上げないが、力いっぱい拍手していた。
僕はと言うと。
――青臭いな、と正直思った。
けれどこの青臭い言葉が、あの『楼女』の人達から出ていると思うと感慨のようなものが湧いてくる。これが若さか、って奴だ。
青臭い高齢者。
変な響き。
「では次の曲、聴いてくださーい!」
ふーさんのコールで、照明が暗転した。
しばし静まる観客の声の中で、再びバックライトに影が浮かび上がる。
そこには、違和感があった。
ベースのななさんの前には、大正琴が乗った台が。
ギターのこーさんは、傍らに津軽三味線を置いて。
ドラムのアヤさんのドラムセットを見れば、バスドラの近くに和太鼓がある。
ロックバンドらしからぬ、混沌としたステージだった。
「あーこれこれ、本命!」
朋香のテンションがさらに上がる。
伴奏のドラムのリズムに、和太鼓の音が混入する。
ギター、ベースがその渦の中に乱れ入っていく。
ヴォーカルの抑揚の振幅も大きくなり、メロディにも独特な音階が現れる。
時折、ベースを置いて琴を演奏したり、ギターの変わりに三味線のソロが入る。
複雑怪奇なセッションだ。
和洋折衷のバンド編成は、多分今までも数限りなくあったんだろうと思う。
しかしこれは、このような若い外見のバンドが出す音にしては渋すぎて――。
――内面の年齢を考えると、乱暴すぎる。
半端であって熟達していて。
未熟かと思えば爛熟していて。
精緻にして奇矯だった。
大仰な言い方をすれば、『楼女』が生み出した、多分、初めての新しい文化。
知らず、僕は彼女達の音楽に魅入られたまま、長い時間を過ごした。
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