第10話 帰り道
菜恵さんの家からの帰り道、鈴さんの買い物に付き合ってスーパーに寄ることになった。
以前はヘルパーを呼ぶことも多かったけど、今は鈴さんも体力を気にせず買い物を楽しむことが出来る。
時刻はもう少しで昼の三時。
「今日はねぇ、たまごのタイムセールがあるんだよ」
満面の笑みで店に入っていく鈴さんが、買い物カゴを持ってすでに混みあっていた列の後ろに付く。
この列にいる女性の何人かが『楼女』なのかも、と考えながら僕もカートを押して一緒に並ぶ。
「久しぶりに、オムライスでも作ろうかねぇ」
鈴さんは思い出すように呟く。
小学生のころ、書道の練習が終わった後に、鈴さんが作ってくれたオムライスを食べたことがある。
レストランのようなびっくりする美味しさは無かったけど、ケチャップしかかかっていない、素朴でほっとする味だった。
「たまには一緒に晩ご飯作るのもいいかもしれませんね。鈴さんの家でも、僕の家でもいいし」
「そうだねぇ。忠清くんのお母さんと一緒でもいいね」
母さんと若返った鈴さんが、並んで料理をしている光景を想像する。
何という幸福な団欒――
平和そのものだ。
「へへへ……」
「うん? どうしたんだい忠清くん?」
僕はいつの間にかへらへら笑っていた。
鈴さんだけでなく、行列の客もちらちら怪訝そうにこちらを見ている。
「あ、あはは……なんでもないです、ごめんなさい」
謎の愛想笑いで誤魔化す僕。
桐春の性格が移ってしまったか。
今までこんな妄想をしたことは無ったのに、自分が怖くなってきた。
買い物を終えてスーパーから出ると、日射しはまた強くなってきていた。
直射日光に肌があぶられるようだ。
鶏肉や豆腐も買ったし、悪くなる前に帰った方が良さそうだ。
「一度鈴さんの家によってから、僕の家に来ますか?」
「うん、そうだねえ。オムライス、昔みたいに美味しく出来るといいんだけどねぇ」
心配しながら笑う鈴さんが、買い物袋を持って歩き出す。
買い物袋は二つあって、いつものように僕は両方持とうとした。
だけど鈴さんは、
「これぐらい持てるよ」
と、袋の一つを両手で強引に持った。
食料品だけなのでそんなに重くはないが、小柄な鈴さんが持つと大荷物に見える。
手も塞がっているので、いざという時に手を引いてあげられない。
そういえば最近僕は、鈴さんの手を引いていない。
最後に手を引いて歩いたのは、いつのことだったろう?
『楼女』になって、体も若返った鈴さんには、それは必要の無いお節介なのかもしれない。
最初に若返った鈴さんを家に連れていったときは、ごく自然に手を差し出してきた。
今は違う。
鈴さんも、己の体に慣れたんだろう。
寂しくないと言えば、嘘になる。
そんな僕達の前を、仲睦まじく指を絡ませ合ったカップルが通りかかった。
「……若いなあ」
僕はつい老熟した言葉を吐いて、そのカップルの顔をちらりと見た。
女性の方は若い。
僕と同じぐらいで、鈴さんら『楼女』達とも大差無い年齢だろう。
それでいて、華美だ。
ローライズジーンズがくっきりとヒップラインを浮かび上がらせ、胸の膨らみがタイトなカットソーの上からも分かる。
ボブに近い短い髪を金色に染めて、首にはネックレス、耳には派手な銀色のピアス、メイクもばっちり決まっている。
若さを全面に出したフェロモン全開の女の子だった。
一方、相手の男性は――。
「――桐春? 桐春か?」
女の子と手を繋いでいたのは、桐春だった。
僕と鈴さんに気づいて、桐春が「あ」と小さく声を上げる。
硬直する表情。
引きつった笑み。
会いたくなかった、と言わんばかりの倦厭そうな顔。
「あら、桐春くん。お友達かい?」
呑気に話しかける鈴さんに対して、驚いているのは桐春だけでは無かった。
女の子の方も、僕や鈴さんを見て笑顔を歪ませている。
そして、気まずそうに。
「鈴ちゃん」
と囁いた。
若さに似合わない皺が、眉間に寄っている。
「うん? もしかして――貴方」
顔を伏せようとする女の子を、まじまじと見つめる鈴さん。
「鈴さん、この子と知り合いなの?」
「……純ちゃんよねえ?」
鈴さんが、嬉しそうに告げる。
鈴さんをちゃんづけで呼ぶのは、宅老所のメンバーだけだ。
僕の知り合いでもあり、『楼女』に決まっている。
それにしても――
それにしてもだ。まさかこの人が。
「本当に純さんなんですか!」
「――うふん。実は純でした!」
開き直った純さんは、顔を上げて、色っぽくウインクしてきた。
「ほぅ~」
なぜか感嘆する鈴さんである。
「ず、ずいぶん若々しい格好ですね。朋香もそこまでセクシーじゃありませんよ」
と言うか、問題はそこでは無いのだけど。
「純ちゃん、桐春くんと仲が良かったんだったかねぇ?」
鈴さんがあっさり代わりに尋ねてくれた。
桐春は、ずっと所在無げに視線を泳がせている。
「どうしようっか桐春くん、バレちゃったー」
「ああ、まあその内バレるとは思ってたけど……」
ぼそぼそと相談している純さんと桐春さん。
純さん、しゃべり方が大幅に変わっている気がする。
「もーいいわ、桐春くんから言っちゃって」
「マジっすかー……はあ、しょうがないか」
心底面倒そうにため息を吐いて、桐春は俺に向き直る。
「よう、忠清。俺だ。桐春だ」
「知ってる」
「うん、そうか。そうだよな――実は俺ら、付き合ってるんだ」
「へえ……………は?」
言葉を頭で咀嚼するのに、時間がかかった。
鈴さんも横で言葉を失っていた。
「つ、付き合うって……じゃあ、お前の新しい彼女って――純さんなの? 純さん、桐春と付き合ってるの?」
桐春と純さんは、照れ臭そうに顔を見合わせて、声を揃えて「うん」と返事した。
冗談には見えない照れ方だった。本気なのか。
「純ちゃんが、若い子と……それは……まあ、へえ……そ、そうなのかい……」
鈴さんも動揺を隠しきれない。僕も同じだ。
今まで『楼女』になった人達と会ってきて、一番の衝撃だったかもしれない。
「お前、お年寄りは苦手だって言ってたじゃないか。なのに、いきなり純さんを彼女にするって、どういう心境の変化なんだ?」
「心境は変わってねーよ。俺が苦手なのは、見た目が年取ってる奴だけだよ。ちゃんと女の子っぽくて可愛くて、話も合うんだったら、中身が年寄りだろうがガキだろうが関係無いだろ?」
得意げに語る桐春。
きっぱりと、迷いの無い口ぶりだった。
「お前、そんな単純なことみたいに……純さんはいいんですか? こいつの彼女なんて、大変ですよ」
「うふ。私も全然問題無いわよー。だってさ、せっかく若返ったんだから、本気で楽しまなきゃつまんないでしょ? そのために、若い子の本読んで、若い子と話して、服も見繕ったんだから。年金、貯まってたんだもん」
わざとらしく、腰を揺らして科を作る純さん。
菜恵さんだけは例外だったが、えつさんも米子さんも、鈴さんでさえも、若返った体を受け入れて楽しんではいた。
けど、それぞれの若さへの取り組み方は、今までの人生の延長線、拡張した円の中にあった。
純さんはまたひと味違う。
桐春という若い恋人を得て、生活や生き方そのものを一変させようとしている。
ここまでシンプルに若さを受け入れて、本気で若さを謳歌しようとする気迫と気概は純さんにしか無かった。
「純ちゃん、思い切ったのねえ……」
ぽかんとしている鈴さん。
その耳に、純さんが唇を寄せて囁き出した。
「鈴ちゃんもさあ、恋しなきゃ勿体ないよ? 好きな男が出来たら、遠慮なんてしちゃ駄目よ。私も鈴ちゃんも、連れ合いはとっくの昔に死んじゃってるんだからさあ」
内緒話が、こちらにしっかりと漏れてしまっている。
「…………」
鈴さんは答えない。
ほんのり顔を赤くして困ったように笑っているが、慌てているわけでもなかった。
その様を見て、つまらなそうに純さんが唇を離す。
「うふん。鈴ちゃんは昔から純情だもんね。まあ、最初の旦那様に操を立てて、子どもも作らなかったんだものねー。それは偉いと思うけど、私は無理。私は孫とも今は会えてないし、今をもっと楽しみたいの」
べったりと粘り着くような笑顔。
宅老所でいつも会っていた、純さんが見せたことの無い顔だ。
これも若さか。
菜恵さんといい、純さんといい、人はここまで複雑に表情を隠しているものか。
「…………」
鈴さんは、俯いたまま何も言わない。
口の端が引きつっているように見えた。
異様な空気を、桐春も察したようだった。
「もう行こうぜ。せっかくの日曜なんだからよ」
純さんの手を引いて、さっさと去ろうとしてる。
「うふ、そうね。じゃあね、鈴ちゃん、忠清くん」
純さんも、無言の鈴さんを気にもかけず去っていこうとする。
「待て、桐春」
一つだけ気になることがあって、僕は桐春を止める。
「何だよー忠清……恋愛ぐらい、俺の好きにさせろよ。俺は彼女がいねーと、耐えられない生き物なんだって」
「別に止めないよ。お前や『楼女』の人がどう生きようと勝手だし。ただ、一応訊かせてくれないかな」
「何をだよ。純さんの前でエロ質問は止めろよ」
「……しないっつの、お前じゃあるまいし。お前、純さんと付き合ってみて、違和感は無いか? 目が悪いとか、物覚えが悪いとか」
僕の言葉に、真っ先に顔を青くしたのは純さんの方だった。
笑顔が崩れ、僕を睥睨してくる。
「余計なことは言うな」
と気圧してきている。
「はあ? 別に無いけど……ああ、純さんたまに胸が痛くなるみたいで、早く走ったりすると怒られるけど」
「それか……」
それが――純さんの『みしるし』。
『楼女』であることを忘れないための傷痕か。
「で、それが何だって……」
桐春が窺った純さんの眉間には、老齢を刻みつけたかのような、苦々しい皺がある。
「純さん……? どうしたんだよ」
「え? うん、そーね。ほら、もう行きましょ、桐春くん」
「お、おう?」
純さんは狼狽しながら、先ほどとは逆に桐春の手をしっかり握って、さっさとどこかに行こうとする。
どうやら純さんは、自分の体に残る老いの痕跡である『みしるし』を桐春に隠しているようだ。
――怖いのだろう。
誰だって、自分の欠点を新しい恋人に晒すのは躊躇う。
『楼女』であろうと、若者であろうと。
「桐春。ちゃんと気をつけてやれよ!」
僕の叫び声を訊いた桐春は、首を傾げながら振り向き、そのまま去っていった。
「帰ろう、鈴さん。オムライス作ろう」
「……うん、忠清くん」
鈴さんは、顔を上げてぎこちなく言う。
そのぎこちなさを、僕はもっと深く考えてやるべきだった。
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