第6話 若者の服を買おう
大きなデパートが軒並み潰れ始めて廃れる一方のA駅前の商店街に、僕と鈴さんは連れてこられた。
そこそこ潤っているショッピングモールもA市内にはあるけれど、駅前から出発するバスに二十分は揺られなければたどり着けないので今日は保留。
洒落にならないほどシャッターが下りている店が多いが、これでもA駅周辺の商店街の規模は県内最大級である。
泣けてくるが現実だ。
朋香達は、僕もよく利用するファッションセンターの前で足を止めた。
この店は衣料品チェーン店としてはかなり大きくかつ安いので、貧乏高校生である僕は重宝していた。全身のコーディネートをここで揃えることも多いけど意外とバレない。
僕が服装に無頓着だから、と言うのもある。
「ああ、ここは入ったことが無いねぇ……」
鈴さんは僕の後ろで、不思議そうに店舗を見上げていた。
朋香は、いつもの習慣にならって僕の手をしっかり握る鈴さんの横顔を眺めながら、不愉快そうに僕に耳打ちしてくる。
「……忠清さあ、鈴さんだってもう若いんだし、手を握って歩くのはどうなの?」
『もう大人なんだし』という言い回しはよく聞くけど、『もう若いんだし』は初耳だ。
「別にいいだろ、若くたって中身は鈴さんだし。どこかに送るときはいつも、僕がこーして手を引いてたんだから」
「ふーん……まあ、鈴さんだからいいんだけどね」
「何がいいの?」
「……何でも無い」
理不尽に機嫌を損ねかけた朋香を怪訝に思っていると、桐春が背中をつついてきた。
「おい、ぼそぼそ喋ってないで入るぞ。ある程度はおごってやる覚悟で来たんだからよー」
「何を?」
何だか疑問形だらけの僕である。翻弄されている。
「決まってるだろ。鈴さんを可愛くコーディネートしてやるんだよ。外見年齢、相応にな」
「ああ……そういうことだったのか」
目には目にを、歯には歯を。若返った『楼女』には若い服装を、ということか。
僕には無かった発想だけど、それじゃまるで鈴さんが着せかえ人形じゃないか。
抗議しようかと思ったが。
「何だか楽しそうだねえ」
鈴さんがはにかんだので、僕は流されることにした。
店に入ってからは、鈴さんの手を引く係は僕から朋香にバトンタッチされた。
朋香は適当にそこらのハンガーや服を手に取っては「これも!」「それも!」と僕や桐春に預けてくる。
「いっぱいあってさっぱり分からないねえ」
言われるがまま、されるがままの鈴さん。
レディースのコーナーなんて、考えてみたら幼稚園に通っていたときに、母さんに付き合わされて以来だ。
人目が気になることこの上無いが、周りからは微笑ましいおばちゃん達の笑顔ぐらいしか感じない。女友達の買い物に付き合わされた男ども、ぐらいにしか見えていないようだった。
大量の服を運び込み、広めの試着室を占領して、鈴さんのドレスアップショーが開催された。
いやただの早着替えだけど。
鈴さんが洋服に慣れていないこともあって、朋香が一緒に中に入って手伝っているらしい。
「まずはこれにしよっかー」
「朋香ちゃんに任せるよ」
会話が漏れ聞こえてくる。
まさかこの二人の年齢差が、六十歳以上もあるとは誰も思わないだろう。
僕と桐春が、缶コーヒー片手にしばらく待っていると。
「じゃーん!」
店内に響き渡るほどでかい朋香のコールで、カーテンが開いた。
瞬間、缶コーヒーを吹き出しかけた。
「何だか足がスースーするねえ……」
苦笑を浮かべて現れた鈴さんは、ピンクのキャミソールと膝上ギリギリのミニスカート姿だった。
肩も胸元も腕も足も、全て大胆に露出している。
柔そうな薄桃色の肌が丸見えだ。
「ふむう、これは」
桐春はなぜか横山光輝の描く軍師のような顔で、鈴さんの足を凝視している。
何でそんなに真剣な顔なんだ。孔明の罠か。
「と、朋香! いきなりこれは刺激が強すぎるだろ!」
鈴さんの体に視線を向けないようにしながら、僕は訴える。
「えー、セクシーでいいじゃん。ねえ鈴さん?」
「そ、そうなのかい? 腕が冷たいけどねえ」
鈴さんは肌寒そうに自分の体を抱きしめ、前かがみになり、足を擦りあわせる。
意に反して目はちらちら見てしまうこの背徳感。
胸が痛い。
そして悟ったような顔で凝視する桐春。もう駄目だこいつ。
「やっぱり駄目、却下! 鈴さんが体冷やしたらどうするんだよ!」
「若くなったんだから、血行だって良くなってるでしょー。まあいっか、まだまだあるし。次の合わせてみよ鈴さん」
「はい、朋香ちゃん」
従順な鈴さんの手を引いて、朋香は再びカーテンを閉める。
こんな調子で着替えが続くのか……。
「ふ。楽しみになって来やがった」
見たことも無いニヒルな顔で笑う桐春である。
「はい、次ー!」
再度のカーテンコール。
幼児の如くよちよち歩き辛そうに出てくる鈴さんに、僕は絶句する。
「今度のはごつごつしてるねえ……」
ウェスタン・シャツ、ウェスタン・ブーツ、ウェスタン・ジャケット、デニムのスカート。
極めつけはカウボーイハット。
文句のつけようが無い、ウェスタンスタイルだった。
「野性の魅力がコンセプトよ。鈴さん色白だから、ギャップを狙ってみました!」
「狙わなくていいから」
上半身はまだしも、太腿は矢張り露出している。
ハットからはみ出す触角のような銀髪は、確かに新鮮ではあるけれど――
さて、鈴さん自身の感想はどうだろう。
「この格好で、書道は出来るのかねぇ?」
もの凄く木訥な感想が出た。
確かに、デニムスカートは正座に向かない。
「ウェスタンか……これもまた悪くない」
矢張り凝視している桐春は、まばたき一つしない。
「お前ひょっとして露出度優先だろ?」
「そんなことは無いぜ」
星が飛び出しそうなウインクをされた。
ひょっとしてこいつ、リビドーを隠せば隠すほど爽やかになるのか。
長年付き合って初めて知る友の性質。一切知りたくなかった。
「悪くは無いが、鈴さんはまだまだポテンシャルを秘めているぞ忠清」
「何がポテンシャルだバカ」
「うふふ、二人とも私のコーディネート術に魅せられてるよーね!」
したり顔の朋香の横で、ぼんやりと立つ鈴さん。遊ばれていることに気づいていない。
僕のツッコミも追いつかぬまま、鈴さんのドレスアップは三着目に突入した。
「さて、こちらはいかがでしょうかー?」
「店員かよお前は」
僕がぼやこうと声をかけた、そこには。
自然な、どこにでもいそうな――
実際には、いるはずの無い女の子がいた。
ゆったりめの白い服は、チュニックワンピースと言うらしい。
裾がフリルで出来ていてちょっと少女趣味な気はしたけど、銀色の髪と合わせられると違和感が無い。
「おお……」
僕も桐春も見取れつつ、納得と感嘆のため息を吐いた。
「……どうかねぇ?」
頬を紅潮させながら、鈴さんが上目遣いに訊いてくる。
「足が冷えるの苦手だって言うから、レギンスも履いてもらったわ。ちょっと地味な気がするけど」
「いや……いいんじゃないか? 無駄な露出も無いし――似合ってると思う」
「本当かい? ……良かった」
僕が誉めると、鈴さんは嬉しそうにいつもの笑顔になった。
気に入ってるらしい。
「うむ……セクシーさには欠けるが、これはこれでそそる。アリだな」
深く頷く桐春。
暴力は嫌いだが、そろそろ制裁の意味でぶん殴るべきだろうか。
そもそもこいつは来た意味あるのか?
「朋香ちゃん、私もこの格好は動きやすくていいねぇ」
「そう? じゃ、これ買っていきましょ! なんだかんだでカジュアルにソフトな感じが、鈴さんには似合うね!」
「分かってるなら最初からそうしてくれ」
呆れた態度をとってはみたが、朋香には感謝していた。
ファッションで鈴さんを喜ばせるのは僕には到底無理だ。
鈴さんにとっても、同年代の女の子の友人が出来るのは良いことだろう――
って、同年代じゃなかった。
「あ……そうだ。一つ、試してみたいことがあったんだ!」
試着室から出かけていた朋香は、再び鈴さんを引っ張ってカーテンを閉めた。
まだ他にコーディネート案があるのだろうか?
もう充分な気がするけど、仕方ないので待ってみることにした。
数分後。
「ご、ごめん忠清。やりすぎた……」
なぜか朋香が謝罪しながら、カーテンを開けてきた。
申し訳なさそうな朋香の横にいる鈴さんを見て、僕も桐春も愕然とした。
鈴さんは、セーラー服を着ていた。短いスカートに、極めつけはニーソックス。
似合ってはいる。
似合いすぎている。
故にマニアックすぎる。
あまりにも無垢な、銀色の女子高生。
「何で私、これを着てるのかねえ…………?」
さすがの鈴さんも、自分が纏っている物が私服として着るものでは無いことぐらい分かる。
「何でセーラー服があるんだよ! っつか何でセーラー服なんだよ!」
僕は狼狽えて、朋香を責め立てる。
「あ、あはは……午前中部活に行くときに着ていって、そのままカバンに入れっぱなしだったから、つい」
朋香の笑い声は、気まずそうに渇いていた。
「写真一枚お願いします」
ごく自然に携帯電話を向ける桐春である。
鈴さんが呑気にピースをしかけたので、僕はケータイごと奪い取った。
朋香に命じて鈴さんを着替えさせながら、僕は真剣に思案する。
セーラー服は――
学生服は、それを着た人間の若さを試す記号でもある。
故にセーラー服は誤魔化しが効かない。
髪の色に違和感はあれど、鈴さんが僕達と同じ若さを持っていることを僕ははっきりと理解した。
なりきっている女子高生などとは違って、鈴さんは本当に若い。
老女ではなく少女でも無く、鈴さんはうら若き『楼女』なのだ――。
とか思ってみたがやっぱり真面目に語れば語るほどアホらしくなるのだった。
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