第5話 アリだよな

 鈴さんが戻ってきてから、最初の土曜日が訪れた。


 若返った所で、鈴さんは家に一人きりだ。なまじ動ける分どう過ごしているんだろうかと気になって、僕は以前よりも鈴さんの元へ足を運ぶようになってしまった。


 今日は久しぶりに書道を教えてもらえるということで、僕も楽しみにたっぷり時間を取っておいた。


 ……だと言うのに。余計なオプションが二人ほどついてきた。


 朋香と桐春だ。


 二人はまだ、若返った鈴さんと顔を合わせていない。


 朋香はまだしも、桐春の方は以前の鈴さんともほとんど話したことが無いくせに、軽薄な好奇心でわざわざ出向いてきた。


 面白くは無かったが、一応鈴さんに確認したら「いつでも連れておいてね」と言われたので、ご好意に甘えさせてやった。僕もなかなかに甘い。


 春もほぼ終わり、町は曇天に包まれて肌寒い。朋香が午前中は学校でバドミントン部の朝練があると言うので、集まる時間は午後になってしまった。


 湿った空気が張りついてきて気持ちのいい気候では無いが、慣れてしまえばどうってことはない。三人で鈴さんの家へと向かっていると、桐春が軽口を叩いた。


「うちの婆ちゃんも、思いも寄らないほど可愛かったからさ。鈴さんって人とどっちが可愛いかなーってよ」


「そういう言い方はよせよ……」


 さすがに不愉快すぎる。まあ、僕も今のえつさんには会ってみたいけど。


「そうよ、そういう言い方は無いでしょ、桐春! 鈴さんは私や忠清にとって、大切な、家族も同然のお婆ちゃんなんだから」


 朋香が睨んで、桐春を窘める。


「いいこと言うじゃないか、朋香。桐春、余計なことを鈴さんの前で言わないでくれよ」


「へーへー」


 おどけて背中を丸める桐春。大人しくしておけば少女と見紛うほどに可愛い顔をしているのに、全く勿体ない奴だ。


「でも、私も『楼女』になった知り合いと会うの、実は初めてなんだよね。ちょっと楽しみだな~」


「……どっちもどっちじゃないか」


 高ぶった声を出す朋香に呆れ果てた所で、鈴さん家の前にたどり着いてしまった。

 僕は急遽、自分の表情に宿るマイナス要素を追い出して、玄関のドアをノックする。


「鈴さーん、忠清でーす」 


 大きな声で呼びかけると、程なくして中から、


「はぁい、今開けるねぇ」


 遠い返事が帰ってきた。


 朋香が目を丸くして、僕の服の袖を引っ張ってくる。


「うっそ、今の鈴さんの声? 全然違うじゃん?!」


「そりゃ、喉だって声だって老化するからな……朋香の知ってる鈴さんの声とはちょっと違うよ」


「そうなんだ! わくわくするねー」


「美人なのかね~」


 イヤらしい顔でにやにやしている桐春。一人で出直したくなってきた。

 鈴さんは見せ物じゃないぞと叱りつけてやろうか。けれど叫んだらまた鈴さんが怯えるだろうし――という僕の迷いなど気にもかけずに、ドアは迷うこと無く開いた。


「いらっしゃい、みんな」


 開いたドアの向こうで、笑みをこぼしている鈴さん。


 髪は変わらず光に透ける銀色で、服もいつもの割烹着。母親の料理の手伝いをする、昭和の女の子って感じだ。かつては曲がり始めていた背中も、ぴんと伸びている。


「朋香ちゃん、久しぶりねえ。そちらはええと、えっちゃんのお孫さんの、忠清くん、だったかしらね

ぇ?」


 か細い声で頭を傾け、優しく笑いかけてくる鈴さんに対して、朋香と桐春は呆然――とうか、見取れて陶然としていた。


「か……かっわいいーー! 鈴さん、超かわいいじゃん! 髪、染めてないのに綺麗な銀色とか何?! 羨ましいし! 二重瞼とか気づかなかったよ! まつ毛ながーい! 顔ちっちゃーい!」


「マジだ! 正当派美少女じゃねーか! うちの婆ちゃんも可愛いロリババアだったけど、こっちも今でも通用するぜ! この儚げな感じ、俺の周りの一部の男子には特に受けるぞー!」


「うるせえバカども!!」 


 僕は平手で二人の頭をはたいた。さすがにここはキレさせていただいた。

 なのに二人はお構いなしで、互いの顔を見合わせる。


「アリだよね」


「アリだな」


 無礼極まり無い。鈴さんも、笑顔が硬直してしまっているじゃないか。


「ごめんね鈴さん、こんな奴ら連れて来ちゃって」


 僕が深々頭を下げると、さらに鈴さんが当惑してしまった。


「う、うん……ええと、私、誉めてもらっちゃったのかな、忠清くん? 朋香ちゃんが言ってること、私にはよく分からないんだけど……」


「それは――うーん」


 怪訝に見ると二人は、「その通り」とでも言うかのように何度も頷きながら、僕と鈴さんの顔を交互に見ていた。調子に乗らせたくないけど、否定するのも面倒くさい。


「……そうみたい。鈴さんが可愛いってさ、二人とも」 


「そうなの? 恥ずかしいなあ。可愛いなんて、そんなことないよぅ?」


 もじもじと指をいじりながら、鈴さんは赤くなった顔で、伏し目がちに呻いた。


 ――同類だとは思われたくない。


 ――無いけど、その姿で仕草は反則です鈴さん。決定打です。


 硬直してしまった僕は、朋香と桐春が背後でひそひそと相談していることに気づけなかった。


「忠清っ!! 鈴さんっ!」


 朋香が、これまでにない大声を出した。

 僕も鈴さんもビクっと振り返る。


「書道なんてやってる場合じゃないわ!」


 なぜか拳を握りしめて、真顔で叫ぶ朋香。力が入りすぎて眉間に皺がよっている。その横で桐春も、力強く頷いた。どちらにもついていけない。


「はあ……?」


「私、何か変なこと言ったかねえ……?」


 僕と鈴さんは顔を見合わせて、首を傾げる。


「若い奴らには、若い奴らの楽しみ方ってもんがあるんだよ! 今の鈴さんはもう婆ちゃんじゃねえ。可愛い『楼女』なんだ!」


「その通りよ! 世界は正しく可愛くあるべきよ!」


 どこから涌いて出たのかこの論客達は。叱りつけるどころか蹂躙されそうな勢いだ。


「何を熱くなってるんだ、二人とも……?」


「さあ、町へ向かうわよっ!」


「っしゃあ!」 


 聞いてないし、問答無用だった。この後僕と鈴さんは、理由も分からないまま朋香達に引きずられて、拉致されてしまった。


「お国から迎えに来た人もここまで強引じゃなかったねえ」


 と後に鈴さんは語っている。


 相当怖かったらしい。僕も怖かった。

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