第4話 楼女達

 朝になるまで各種メディアの報道は続き、近所でもネット上でも情報が錯綜して大混乱だった。


 目に見える重傷者はほとんどいないので、皆ただ面白がるか、未知への不安に対して意味の無い憶測に怯えている。


 その時点で分かっていたことは、停電と若返りの現象が起きたのは僕達の住むA市に限定されている、ということだけ。人類史上類例も前例も無いので、誰も対処のしようがない。


 一方鈴さんは、一夜明けても女の子のままだった。


 寝ぼけ眼で


「おはよう、忠清くん」


 と微笑む鈴さんの前に、集団催眠や集団白昼夢の可能性も否定された。


 朝になってダイヤも復活し父も帰ってくるとのことなので、僕は鈴さんを連れて宅老所のメンバーの様子を見に行こうかと考えていた。

 

 しかし事態は、もうちょっと複雑になった。


 集団で高齢者女性が若返る、というあまりに異常な事態に、政府(この地方都市で聞くと滑稽な響きだ)は町を隔離する、と発表したのだ。

 理由は明かでは無いが、危険なウイルスが出回ったのではないか、BC兵器によるテロではないか、という憶測がなされていたという噂だ。公正な事実の報道なんて政府に期待しちゃいないけど、一夜にして人が若返る病気なんて万能の魔法より真実味が薄い。


 自衛隊に町を包囲される、という最近はアニメでも見なかった光景を僕は目の当たりにしてしまった。その日の内に、これまた荒唐無稽なガスマスクを被った白い無菌服の人間達がA市にやってきて、検査のためと称して『若返った高齢者女性』を次々と連れていった。まるでこの町が爆心地になったみたいな扱いだった。


 恐怖を感じた僕は、鈴さんだけは何とか家で匿おうと思ったのだけど、


「私も自分の体が変だってことぐらい、分かってるからねえ。なあに、ちょっと調べてもらってすぐ帰ってくるから」


 鈴さんはそう言って笑って、自分から家を出ていってしまった。 


 鈴さんの様子には緊張感や焦燥感が全く無かったので、僕も母もうっかり止めることも忘れてしまった。実際、鈴さんが取り返しのつかない病気なのだとしたら、僕達には手の施しようが無い。

 僕は、忸怩たる思いで見送ることしか出来なかった。


 鈴さん達が政府の研究機関とやらで検査を受けている間、ネット上ではこの現象に対する憶測がさらに広がり続けていた。

 皮肉なことに、若返った身近な高齢者に出会って初めて、高齢者が同じ社会に属していることを意識した者が少なくないようだった。


 世間を見る目が変わってしまった、という者もいる。

 日頃鈴さんや宅老所のメンバーと触れ合っていた僕には、それは腹立たしい言われようでもあったけれど。


 その内にネットの住人達は、若返った高齢者女性達に、呼び名を与えた。


 その名も『楼女(ろーじょ)』。


 ネットスラング、という奴らしい。『楼』という字は遠くを見渡せるように高く作られた建物に使われる言葉で、その他旅館や料亭など、別の意味で高い場所にも使われる。


 『老』という言葉はマイナスイメージだと考えた者達が、若返った高齢者達を差別化する意味で生み出したとかで、確かに崇高な感じはするけど、ただネタ扱いしたいだけにも思える。


 ――と言うか、ただの当て字だ。


 若くて可愛いお婆ちゃんを特別扱いしたい、と、それだけのことなんだろう。

 そう思いながらも、僕も『楼女』という字面を気に入ってしまったのだけれど。

 

 それから何週間か経って、『楼女』という言葉がネット以外でも浸透してしまったころに、鈴さん達は帰ってきた。


 検査の結果、『楼女』達の体にはウイルスや病原体は一切確認出来なかったそうだ。様々な検証の結果、感染爆発(パンデミック)などの危険も無いと判断された。 


 定期的な検査の義務化と、念のためにA市からは出ないことを条件として、『楼女』達は我が家に帰ることを許された。どうやら、大勢の『楼女』達を保護したまま検査を続けるだけの財力は無い、とこの国の政府は判断したようだ。

 大災害というわけでも無いし、募金も集めようが無い。


 緩いと言うかなんと言うか、危機感の少なさが、いかにも平和なこの国らしい。


 結局一部の身よりの無い『楼女』達が国への協力という形で研究機関に残っただけで、ほとんどの者が帰ってきた。


 『楼女』達は基本的に健康そのもので、痴呆が始まっていた者達ですら、その症状が改善されていた。

 ただし。それぞれ個人差はあるが――『楼女』達の体には、『老化の名残』があった。

 例えば鈴さんの銀髪がそれだ。聴力や脚力が実際の十代の少女に比べて著しく低い、という者達もいた。

 こちらも原因は不明だが、ややこしいことに、楼女達は完全に若返っているわけでは無いということらしい。

 それでも介護や看病の必要がある者は少ないので、ほとんどの家族はこの事態を歓迎していたようだった。


 そうやってあっさりと戻ってきた鈴さんは、


「ただいま、忠清くん」


 と、疲れた様子も見せずにマンションまで挨拶に訪れた。


「お帰り鈴さん」


 僕も以前と変わらない言葉を返して、そのまま鈴さんを家まで送った。

 それ以外は何も変わっていない。それ以外は何も分からない。


 分からないまま、日常はズれた形で再開された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る