第2話 最初の一日
チリトは地底船に乗って下へ向かって進んでいた。二日で地殻を突き抜けて、マントル対流層に入った。地底船は外部の熱を利用して動くので、燃料の心配はない。外部の熱で冷房を動かし、地底船の中を快適な温度に保つ。冷房が壊れたら死んでしまう。地底船が故障することもなく動くのかどうかは、ほとんど運任せだ。地底でどうすれば事故を起こさないでいられるかなんて、わかるわけなかった。
ヒトの一日の飲料の摂取量は2.5リットル。一日の食料の摂取量は310グラム。食料よりも飲料の方が重い。一年間の飲料は912.5リットルだ。およそ1トンになる。チリトの地底船には、10トンの水が積んである。チリトの慎重さは、この水の量が示している。
地底船は、外界を赤外線で岩盤を透過して見ることができる。
地底には、空や陸はないため、鳥や獣はいないだろう。地底の生物は、魚のように土砂の中を押し分けて進むのだろう。地上の生物は海底熱水孔で発生した深海起源である。一方、地底の生物は、地底で発生した地底起源である。地底起源の生物は、DNAを遺伝子とはしていない。もちろん、RNAを遺伝子とするウィルスでもない。地底の生物は、人類にとって、ウィルスよりも異質な生き物なのだ。
「一時間生きのびたものよ」
地底船で計器を見張っているチリトに、何ものかが話しかけてきた。
チリトは時計を見る。チリトがマントル対流層に入ってからちょうど一時間がたっている。
岩盤音波で話しかけられているようだ。音源探知をして赤外線で見ると、そこには体長一キロメートルを超える巨体の地底トドがいた。
「よく話しかけてくれた、地底トドよ。おれは人類。地底に興味があって探検に来た。地底のことを教えてくれ」
チリトが岩盤音波の送受信をして話すと、地底トドはその声を聞くことができるようだった。
「地底トドは愚かな生き物には興味がない。おまえたち人類は何を知っているのか」
地底トドがいう。
地底トドはいつ人類の言語を解読したのか。チリトは背筋がぞっとした。
「おれは元素周期表を知っている」
チリトが地底船の岩盤音波で会話する。
「それは何だ」
「あなたたちの体を作っているものだ」
「一時間生きのびたものよ。あなたが地底トドの何を知っているというのだ」
「あなたはおれがどこから来たのか興味があるか」
「ない」
地底トドはばっさりとチリトの期待を切って捨てて、行ってしまった。
地底トドは移動する魚型の生物だ。チリトは地底生物を、移動する魚型と、待機する貝型の二種類に分けて、観察記録をつけていった。
『地底トドは、マントル対流層に入って一時間たつと話しかけてくる巨大な移動型生物』
地底トドは、チリトがメモを付けた最初の地底生物になった。
チリトは食事をした後、睡眠をとった。起きると、地底船の安全を確認した。計器に異常はない。現在地は、地下300キロメートルあたりだ。
今日はどのくらい進めるだろうか。地底船を動かして、下へ向かう。
地底船の中は、大きさ百メートルくらいの居住区になっている。これくらいの大きさがないと、運動もできずに、身体が弱ってしまう。地底船がこれより小さいと散歩もできない。散歩もできない地底船で一年間を生きのびるのは不可能だ。地底船による地底探査には、ストレッチ運動と軽運動が必要だ。
地底船には、居住区以外にも、機械室や貯蔵庫がある。メンテナンスロボットが自動で巡回して、地底船の故障を発見して修理していく。チリト自身も、メンテナンスロボットに協力して修理を手伝わないと、地底船の状態を保つことはできない。
地底船の中は、電灯で明るくなっている。電灯が故障して、室内の灯りが消えたら、それだけで地底探査に失敗してしまうかもしれない。それくらいに、地底探査は怖い。電灯だけでなく、すべての生活インフラが故障するのが怖い。
地底船の窓の外には、ただ真っ黒なマントルがあるだけだ。地底船の船体の材質と同じくらいに丈夫な窓ガラスを作る技術は人類にはある。だから、地底船には窓がある。窓から直接、地底の景色が見えると、地底探査隊のやる気はがぜんと盛り上がる。
地底船の中の床は、地球の重力の方向を基本的に下とするが、地底船の移動において、必ずしも、重力の方向を下として維持できるわけではない。地底船の姿勢安定制御は、チリトには理解できていない技術だ。チリトは、地底船のすべてを理解しているわけではない。チリトが知らない箇所が壊れたら、復旧するのはとても難しい。壊れたら、地上へ帰らなければならない。地底船に故障が見つかった時に帰還を始めても、地上まで無事にたどりつける保障はない。故障が発見された時、地底探査を続行するか、あきらめて地上へ帰るかは、チリトの判断で決まることになる。続行か、帰還か、の二択ですら、選ぶのは度胸がいる。
それだけ危険でも、地底探査を行う覚悟が、チリトにはある。それだけの覚悟がなければ、地底探査を始めることすらするべきではないだろう。
「一日生きのびたものよ」
チリトが必死に忙しく作業をしていると、地底トドが話しかけてきた。もう、あれから一日がたったのか。
「ご機嫌よう、地底トドよ」
「ご機嫌よう、人類よ。どこへ行くつもりだ」
地底トドが岩盤音波で話すのを、チリトは赤外線の計器越しに見る。
「下へ向かう」
チリトが地底船でいう。
「それなら地底巻き貝を覚えておけ」
地底トドはそういって去っていった。
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