ひいおばあ様の未来予知

こよい

ひいおばあ様の未来予知


「――ねえ、先生。聞きたいことがあるんだけど」


僕はビクリとした。

経験則から、美森ちゃんがこう言い出すときは厄介な問題を提示されると分かっていたからだ。しかし、大学生のアルバイトとはいえ、仮にも彼女の家庭教師である僕には、もちろん拒否する権利などなかった。


「……な、何かな。美森ちゃん」


算数ドリルを解きながら、美森ちゃんはまるで明日の天気でも聞くような気軽さでこう尋ねてきた。


「未来予知って、できるのかしら」


当然、僕は目を丸くした。


「みらいよち?」

「そう、未来予知」


先に言っておくが、僕が大学で所属しているのはごくごく普通の文学部で、『未来予知』なんてものとは縁もゆかりもない。

そんな僕がこの難題に答えられると本気で思っているのだろうか。

居住まいを正すと、僕は「美森ちゃん」と改まった声を出した。


「何度か言ってることだけど、『先生』と呼ばれる職業の人たちが何でも知ってると思っちゃいけないよ。先生でも分からないことや間違えることはあるし、自分の方が正しいと思ったなら誰が相手であろうと主張はするべきだ」

「そんなの知ってるわ。先生だって人間なんだから」


およそ小学六年生には相応しくない口調でそう言うと、美森ちゃんは問題を解き終えたらしく、ペンを置いた。

それから、猫のような目を僕に向け、上唇をぺろりと舐める。


「――けど、裕太先生は別。先生は何でも知ってるでしょ。さあ、答えて」


言葉だけ見れば、僕はこの教え子から随分信頼を寄せられているように思うだろう。

けれど、それは違う。

小さな猛獣である彼女は、ただ単に僕という非力な獲物を見つけて遊んでいるだけなのだ。

そして、こういう場合、いくら抵抗しても無駄だということを僕はよく理解していた。


「まずは詳しく話を聞こうか」




※ ※ ※




美森ちゃん曰く、美森ちゃんの曾祖母にあたる人には不思議な力があったらしい。

ずっと先の出来事を予見したような書を何枚も残しており、所謂「未来予知」ができたというのだ。

美森ちゃん一家が今、街で一番大きな屋敷に住んで、裕福な暮らしができているのもこの力によるところが少なからずあったのだとか。

しかし、そこまで話したところで、美森ちゃんは「……けどね」と声の調子を落とした。


「実際のところは、ひいおばあ様の未来予知はいつでも当たっていたわけではないようなの。我が家の蔵には、ひいおばあ様が残した書が大事に保管されていて見てみたことがあるけれど、『何月何日に、年号が変わる』『何月何日に、山火事がある』外れているものがほとんどだった」

「つまり、実情としては、数撃ちゃ当たる……だったわけだね」

「多分そう」


それだけたくさん書けば、確かに一二枚は当たっているものだって出てくるだろう。

その当たった部分だけが注目され、過大に評価されることになってしまったというわけか。


「だから、お母様なんかは、ひいおばあ様の未来予知を全然信じていない。蔵にある書も捨ててしまってもいいと思ってる。けど、お父様はひいおばあ様の力を信じていて、証拠を持ってるって言うのよ」

「証拠?」


思わず、僕は眉をひそめた。


「私、お父様が出張で数日いなかったときに、書斎に入って、その証拠を見つけたの。大事に額に入れられて仕舞われていたから、すぐに『これだ!』って分かったわ」


そこで、美森ちゃんは再びペンを手に取ると、ノートの真っ白いページを開いて何か書き出した。

書き終えると、それを僕に見せてくる。


「これよ」

「これが……証拠?」


そこには、こう書かれていた。


『2010年8月11日 子に、菖蒲が届く』


何だこれは、と僕は首を傾げた。


「最初に見たとき、私、拍子抜けしちゃった。証拠っていうから、てっきりもっとすごいことが書かれていると思ったのに」

「でも、美森ちゃんのお父さんはこれを大事に額にまで入れていたわけだろう? きっと何か意味が……」


日付は、12年前の明日。

『子』というのは、美森ちゃんのひいおばあさんの子どもということだろうか。

それとも、他所の子どもを指しているのか。

そもそも、『子』は『子ども』という認識で当たっているのか。

何か別の意味があるような気も……。

僕は考えながら、何かしらのヒントを探すように室内に何気なく首を巡らせた。

美森ちゃんの家族が暮らす屋敷は、初めて訪問した者は怖気づくほどに大きいが、そのなかにあるこの美森ちゃんの子ども部屋は普通の子のものとそう変わらない。

ベッドに、本棚、大きなクマのぬいぐるみ、壁に掛かったカレンダー……8月11日の部分には、ろうそくのささった可愛らしいケーキのシールが貼られている。

僕はハッとした。

それから、美森ちゃんにこう尋ねる。


「美森ちゃん、君は自分の出生時刻は知っているかい」

「出生時刻って……生まれた時間ってこと?」

「そう」


突飛な質問にも関わらず、美森ちゃんは驚くどころか、ニヤリとした顔をしたように見えた。

やっぱり、だ。


「私が生まれたのは、午後11時15分。日付が変わる少し前だったって聞いているわ」


それを聞き、僕の考えは確信に変わった。


「美森ちゃん、君のお父さんがこれを大事に持っていた理由が分かったよ」


僕はノートの『子』の字を指さした。


「まずは、ここ。これは、恐らく『子ども』の『こ』と呼んではダメなんだ。正しくは、『ね』。この字で、読み方が『ね』と言われればピンとくるだろう」


美森ちゃんはどことなく楽しそうに頷いて答える。


「干支ね。十二支のネズミは『子』と書いて『ね』と読むわ」

「その通り。そして、昔の人は、干支で時刻を表していた。それでいくと、『子』は午後11時から午前1時を指すけれど、ここでは日付が書かれているから11日の午後11時から59分までに起きたことだと分かる」

「そんな遅い時間に菖蒲が届いたの? 一体何のために?」


僕の指先は『子』から今度は『菖蒲』へと移る。


「もちろん、この菖蒲も、そのまま花を指しているわけじゃない。花には、それぞれが意味を持つ花言葉があるだろう? これは花屋でアルバイトをしている僕の姉さんから聞いた話なんだけど、菖蒲には『良い便り』『朗報』という意味があるらしい。つまり、この文は、『8月11日 午後11時から59分の間に、良い知らせが届く』ということ。で、実際、君のお父さんのところにどんな良い知らせが届いたかというと――……」


僕は徐に立ち上がると、カレンダーの側に行き、ケーキのシールが貼られた部分を示してみせた。


「8月11日――明日は、美森ちゃんの誕生日。12年前、君のお父さんのところに届いた良い知らせというのは『君が生まれた』ということだったんだ!」


一瞬の間の後、パチパチパチという拍手の音が部屋に響いた。


「お見事。さすが、先生」

「その反応……やっぱり美森ちゃん、最初から全部分かってやっていたんだろう」


すっかり美森ちゃんにのせられて名探偵さながらの謎解きを披露してしまったことが今更恥ずかしくなり、僕は顔を赤くして、座り直した。


「……けど、君のお父さんがこの文を証拠品として大切にしている理由は分かっても、結局、ひいおばあさんに未来予知の力が本当にあったのかどうかは謎のままだね」

「文なんて、後になってみればこじつけでどうとでも読めるもの。もしかしたら、ひいおばあ様は、本当に夜に花屋が来ると予想していたのかもしれないし」

「それにしても、美森ちゃん、明日誕生日だったのかー……知っていれば、何か気の利いたものを持ってきたのに。今、僕、あげられるものなんてこれしかないよ」


僕はリュックのなかから入りっぱなしになっていた飴玉を取り出し、美森ちゃんの前に置いた。

すると、苺柄の包装がされたそれを摘まみ上げて、彼女は目を見張った。


「……先生、ひいおばあ様、やっぱり未来が見えていたのかもしれないわ」

「え?」

「これ、今日、蔵から見つけてきたんだけど……」


美森ちゃんが棚の引き出しから紙を取り出し、僕の前に広げる。

そこにはこう書かれていた。


『2022年8月10日 先生から苺味の飴をもらう』





【了】




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