第15話 浮気?

「……ん、朝か」


 ぐっすりと眠っていた東弥は目を覚ましてすぐ隣を見る。


 ただ、そこに小春の姿はなかった。


「いいつけ、ちゃんと守ったんだな」


 普段何一つ約束を守らず仕事もできない小春だからこそ、些細なことができるだけで感心してしまう。


「……まあ、たまにはちゃんとしてくれないとな」


 ゆっくり布団から出て、東弥はキッチンへ。

 今日は休み。

 学校がないからだらだらしてもいいかと思ってしまうところだが、新庄家では休日こそ早起きなのだ。


 時間の有効活用。

 何をするというわけでもないが、とにかく早起きをして読書なり運動なりと、時間を無駄にしないという教えを幼少から叩き込まれてきた東弥は、体に染みついた習慣によってばっちりと目が覚める。

 

 で、とりあえずコーヒーをいれる。


 いつもなら朝食の際に最高級の豆からひいたものが勝手に食卓に出されるのだが、今は一人暮らし。


 その辺で買ってきたインスタント―コーヒーをお湯で溶く。


「……ん、なんか案外いい香りだな」


 父や従者たちは、インスタントのものや安いものを毛嫌いすることが多かったが。

 コンビニのホットスナック然り、安い=悪ではないと東弥は思っている。


 多くの人が安価で楽しめるもの。

 それもまた世の中に必要なもの。

 そしてそういうありふれたものを愛せる感性があるほうがいいと。


 最近は好んでインスタントのものに手を出している。


「……でも、小春のやつどこにいったんだろ。今日、休みなのに」


 コーヒーを飲みながらクローゼットを開けてみる。

 が、もちろん誰もいない。

 そもそも気配がしない。

 小春は今、近くにはいないようだ。


「……学校がない日くらいは、ゆっくりさせてやってもいいかもな」


 今日はあいにく晴天で、外も涼しく過ごしやすい。


 ただ、梅雨時期や夏場、寒い冬なんかに外に放り出すのはどうなんだと。

 東弥がそんなことを考えていると、電話が鳴る。


「父さん? ……もしもし」

「おお、東弥か。まずはおめでとう」

「……?」


 突然の父からの電話。

 そして謎の祝福。


「とぼけなくてもよいぞ東弥。お前も一人前の男になったのだからな」

「いや、だからなんの話?」

「はは、小春ちゃんと昨日一緒に寝たことを父さんは知っているぞ」

「なっ……そ、それ誰から聞いたの?」

「照れるでない。私の目を誤魔化すなど十年早いと言いたいが、しかし今はそんな話よりもだな。どうだ、おなごをその手に抱いた責任感は」

「は? 何言ってるんだよ。添い寝しただけだぞ」

「……は? いや、同じ布団で寝たのだろう?」

「そうだけど。小春、先に寝たし」

「ま、待て待て。まさか東弥、あんなにかわいらしい子と同衾して、何もなかったと?」

「あるわけないじゃん。俺、そんな節操ない人間に育てられた覚えはないよ」


 新庄家の嫡子たるもの、常に周りの目を気にし、誰に見られても恥ずかしくない人間になれ。


 これは父、玄弥からの教えである。

 そしてその教えを実直に守っているのが東弥である。


「……東弥、お前まさか」

「なんだよ父さん」

「まさか、勃たなかったのか?」

「……ちゃんと正常だよ。ていうか、従者に手出すなんていつの時代の貴族だよ。俺、その辺はちゃんとしてるから。じゃ」

「あ、おい」


 東弥は、くだらない電話だったと呆れながら父の電話を切る。


「まったく、何を期待してるんだ父さんは。まるで俺が小春を抱くことを望んでいたような……ん、いや、まさかな」


 まさか。

 小春と同じ部屋に住むことになったことや、そもそも従者に小春が選ばれたこともまた、そういう意図があったとしたら。


 しかし東弥は勘ぐってはみたものの証拠のない推論をすぐにかき消す。


「いや、父さんに限ってそれはないよ。普段からチャラチャラするなってうるさい人だし」


 東弥は基本的に父のことを信用していた。

 だから盲目になる。


 父親の目的とやらを、見逃してしまう。



「……すまぬ甲賀殿。息子のムスコが頼りないばかりに」

「顔を上げてくだされ玄弥様。なんの、初夜の際は緊張でうまく勃たないことなどよくある話。次こそ決めてくれるでしょうぞ」


 玄弥と太助は今、朝から繁華街に来ている。

 そして特別に開けてもらった居酒屋の個室で日本酒を飲みかわしながら悩む。


「ふむ、しかし小春殿は容姿も忍者としての資質も申し分ないはず。と、すればだが……やはり原因は東弥の方にあるはずだ」

「しかし東弥様は立派に育たれた。問題などあろうはずも……まさか」

「そうだ、まさか東弥のやつ、すでに女遊びをしておるのではないか?」

「そ、それは困りまする。小春は東弥様のことをすでに好いておる故、もしそんなことがわかったら……」

「なんの、心配は無用。こうなれば新しい刺客を用意し、東弥の浮気を妨害するまでよ」

「な、何から何まですみませぬ。玄弥様、このご恩は一生」

「構わぬ甲賀殿。我々は近い将来、親戚になるのだからな」

「玄弥様……では二件目は私の奢りで」

「いいお店があるのか?」

「ええ、ばにーがあるといううさぎちゃんが可愛いお店ですぞ」

「ほほう、それは楽しみだ」

「ふふっ、ははは」

「はっはっは」



「……なんか寒い」


 あたたかいコーヒーを飲んでいるのに東弥はなぜか寒気を感じた。


「……ん、小春?」


 そして寒気の中に独特の気配を感じた。

 必死に気を消し、潜むようにこっちを見つめるそんな気配。


 ただ、東弥は気配に敏感だ。


 すぐにその出どころを突き止めると、それは玄関の向こうからだった。


「……ったく、今度は竹やりでももってきたのか? おい、小春いい加減に……ん?」

「新庄東弥だな」

「え、あ、あれ?」


 立っていたのはスラっと背の高い美人な女性。

 白いシャツにジーパン姿の、大学生くらいの人だ。


「私は君の父、玄弥様からの使いだ」

「父の? ええと、何の用ですか?」

「……東弥様の浮気者」

「え?」

「東弥様の浮気者!」

「は?」

「知らない! わーん!」

「……」


 冷静で冷酷そうな目をしていた彼女は、急に泣きながら去っていった。


 で、それがどういうことなのかについてはもちろん、東弥はさっぱり理解できず。


 首を傾げたまましばらく玄関に立ち尽くしていた。

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