第5話 愛情をコトコト

「ちろり」


 東弥が眠ったのを気配で察知した小春は、台所へ。

 さっき微量の眠気薬の粉末を撒いて、それが東弥に効いたのだろう。

 壁にもたれかかったまま眠る東弥の姿がそこにあった。

 

「東弥様の寝顔、きゃわわ……」


 小春はそろりと近づいてみる。

 そして、


「つんつん」


 また、東弥の頬をつんつんする。

 すると、偶然姿勢を崩した東弥の唇が小春の手の甲に当たる。


「あ……き、キス、されちゃった」


 その手の甲を見ながら、小春は固まる。

 キスというのは、山籠もりの生活の中でも祖父から聞いたことがあった。

 婚姻の際に、唇を相手に当てて、生涯を共にすると誓う行為だと。


「ど、どうしよう……き、キスでも子供、できちゃう可能性あるんだよね?」


 小春は長らくの山籠もり生活によって、少々常識に乏しい。

 しかし、思春期の女子とあって中途半端な知識くらいは持ち合わせているため、己の中ではキス=結婚=妊娠? てな具合の構図になっている。


 当然、興奮が収まらない。

 

「さ、さっそくおじい様に連絡しなければ」


 胸元から取り出した半紙に、筆ペンで手紙を書く。

 

『東弥様にキスされた、妊娠したかも』


 そしてそれを一度部屋に戻って紙飛行機で窓から飛ばす。

 甲賀流オリジナルの折り方で折られた紙飛行機は正確に狙いの場所まで飛んでいく。

 距離にすれば百キロくらいまでであれば飛行可能。

 現代では何の役にも立たない秘儀である。


「……さてと、東弥様はまだ寝てるし、料理も作りかけみたいだから、私が続きやっちゃおうかな」


 キッチンに戻ってから、小春はカレーの入った鍋を火にかける。


「……このあと、どうしたらいいのかな? ええと、確かおじい様が料理のさしすせそがどうのって言ってたような」


 砂糖、塩、酢、醤油、みそ。

 料理には欠かせないものがこれだという知識しか小春にはない。

 で、目の前にはなんとそのすべてがあった。


「さすが東弥様。ええと、これを全部入れて混ぜたらいいのかな?」


 小春が料理音痴なのはちなみに山籠もり生活とはなんら関係がない。

 別に川でとってきた魚を食べたり、山で捕獲したイノシシをさばいていたわけではなく、単に祖父が身の回りの世話をしてくれていたからという理由。


「……なんか変なにおいする。で、でも混ぜたらきっとおいしくなるはず。そうだ、おいしくなあれって混ぜたらいいって、誰かに聞いたことがある」


 その情報源も祖父である。

 メイドカフェに通うのが好きな祖父は、あろうことか店で体験したことの一部を孫娘に常識のように語っていた。

 で、間違った知識を持った小春が完成。

 今まさに、おいしくないカレーを必死においしくなれと混ぜているところ。


「……これできっと東弥様もいちころのはず。ふふっ、東弥様が起きるのが楽しみ」


 ぐつぐつと沸いたところで火を切って。

 まだ眠っている東弥の隣に腰かけてみる。


「な、なんかドキドキする。も、もう少しこのままでもいいかな?」


 胸の高鳴りがおさまらない小春は、しばらく東弥の隣を満喫した。

 そして、あまりの緊張で疲れたのと、自らまいた眠気薬を自分も吸ってしまったせいで、だんだんと眠くなってくる。


「……だ、だめ。今寝たら東弥様に怒られるの、に……ぐー、ぐー」


 そのまま就寝。

 ご丁寧に東弥の肩を借りて眠る小春の顔は少しにやついていた。



「……ん?」


 肩に重みを感じて、東弥は目が覚める。

 ふと隣を見ると、すやすや眠る小春の顔がすぐそこにあった。


「わっ……寝てるのか? ていうかなんでここで?」


 そっと小春の体を支えながら、倒れないように壁にもたれかけさせて立ち上がると小春は寝言で「東弥様にきしゅされちゃったあ」と。


「夢の中で俺と何をしてるんだこいつは」


 ただ、呆れてはみたもののその寝顔はかわいい。

 もともと小春は美人だし、派手なギャルとかがあまり好きでない東弥にとってはドストライクな容姿である。


 だからちょっと見蕩れる。

 そして彼女のみずみずしい唇を見ながら、よからぬことを考えて生唾を飲む。


「……い、いかんいかん。こいつは俺の護衛なんだ。こんなとこで押し倒してどうする」


 首を振って邪念を払ってから。

 東弥は再びキッチンに立つ。


 すると、なぜかカレーが温まっている。

 湯気がふわっと立ち込めていて、炊飯器も止まっていた。


「こいつがやってくれたのか? まったく、手伝わなくていいっていったのに」


 言いながらも、ちょっと嬉しかった。

 そして、ご飯をついでからあったかいカレーをかける。


 ……なんかちょっと独特なにおいがするけど、気のせいか?


 いや、レトルトカレーなんてそんなものなのかもしれない。

 いつも食べていたのは専従シェフがスパイスから作る本格的なカレーばかりだったから。

 だんだんこういう庶民の味にも舌が慣れてくるだろう。


 そんな軽い気持ちで東弥はスプーンでカレーを人掬い。


「いただきまーす」


 行儀は悪いが、そのままキッチンでカレーをいただく。

 こういう無作法なことも自由の身になったからこそできることだと、少し浮足立っていた。


「ん、これはなかなか……ん、甘い……辛い……ぐえっ!!」


 しかしクソまずくて吐いた。

 そこにシンクがあってよかった。

 部屋なら大惨事だった。


「おえーっ! な、なんだこのカレーは……な、なんか舌がピリピリする」


 食べたものをすべて吐き出してから慌てて水で口を濯ぐ。


 その時、昨日買ったはずの砂糖や塩、醤油などがキッチンから姿を消していることに気づく。


「……まさか、あれを全部入れたのか?」


 だとすればうまくなるはずがない。

 どころか、塩分や糖分の塊と化したカレー色の何かでしかない。


 そんなものを食べたんだとわかると、東弥は途端に気分が悪くなってきた。


「うっ……な、なんか頭がくらくらする……こいつ、起きたら絶対クビにして、や、る……」


 いくら忍者の血が入っていようと、基本的に育ちのいい東弥にとって劇薬のようなクソまずカレーはあまりに刺激が強すぎて。


 その味にショックを覚えて意識が遠くなる。

 で、またしても気を失ってしまった。

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