第2話 私の名はコパルン

「お風呂出たよ……って、いないか」


 風呂から出ると、部屋に少女の姿はなかった。

 でも、うまく気配を消している様子はあってもどこか視線は感じる。

 出て行ったわけではないようだ。


「ま、こうして監視役としての役目を全うしてる以上は、あんまり細かいことは言わないでおくか」


 敢えて聞こえるように独り言を言ってから、東弥はさっさとベッドに入る。

 細かいことは言わない。

 隠れていてくれたらそれでいい。

 俺の青春を邪魔しなければそれでいい。


 そんなことを考えながら電気を消して目を閉じると、引っ越しの疲れがあったのか自然と意識が遠くなる。


 明日は高校の入学式だ。

 早く寝て、万全の状態で新しい生活に臨もう。

 そんな決意を胸に東弥はそのまま、眠りについた。



「……ちろり」


 深夜。

 クローゼットから目を凝らしてずっと東弥を見ていた少女は部屋に出てきて、床に布団を敷き始める。


 彼より後に寝て、彼より早く起きて姿を消す。

 それがここに泊めさせてもらう上での最低限のマナーだと自覚し、起こさないように忍び足で寝床を準備。


 そして完成。

 少しの間だがゆっくり寝れることに感謝しつつ、布団に入ろうとしたその時。


「う、うん……」


 寝返った東弥がこっちに顔を向けた。

 少女は特殊な訓練を受けているので暗闇でも目が利く。

 はっきり見える無防備な東弥の寝顔に、思わずきゅんとする。


「か、かわいい……東弥様、かわゆす」


 少しだけ、気配で起こさないように顔を近づけてみる。

 

「や、やばかわゆす」


 きゅんきゅんしていた。

 さっき優しくされたことで、少女の心にはぐさりと大きな矢が突き刺さり、そして燃え上がっていた。


「……み、見てるだけなら、いいよね?」


 そんな言い訳をしながらじっと東弥の顔を見つめる。

 ただ、もちろんそれだけでおさまるはずもない。


「……つん」


 軽く、頬を指でつつく。

 しかしもちろん反応はなく。

 ただ、あまりにもちもちとした感触にまた心奪われてしまう。


「す、すっごくいい感触。く、唇とかもいいかな?」


 つん。

 また、そっと撫でるように東弥の唇を指で触る。

 

 すると指にもちろんだけど唾液がついた。

 湿った自分の指を見つめながら少女は、少し興奮を覚える。


「……これが東弥様の唾液。ごくっ、の、飲んだら私、妊娠しちゃうのかな?」


 少女はずっと厳しい祖父に忍の末裔として立派に育つよう訓練を強いられていたこともあり、少々常識が乏しい。

 そして、生身の男性を見るのも祖父以外では東弥が初めて。

 もちろん、思春期の女子として異性に興味はあった。

 で、優しくされてきゅんとなる。

 実に単純な思考により、東弥に惚れてしまったのである。


「……はむ」


 東弥の唾液がついた自分の指をぱくり。

 味も何もしなかったけど、妙な背徳感と彼の寝顔がそばにあるというこの状況も重なって、体が熱くなる。


「と、東弥様がいけないんだから……私、もうほかの人のお嫁さんに行けない体になっちゃったんだから」


 暗闇で一人、体をよじらせながら何度も自分の指を咥えては東弥の寝顔を堪能して。


「東弥様……しゅき」


 そんなこんなを繰り返していると興奮してしまい、眠気が襲ってきたのは日が昇るころになって。


「ね、ねむい……だ、だめ、今寝たら……あうう」


 そのまま自分で敷いた布団にごろり。

 ぐっすりと眠りについたのであった。



「……ん」


 東弥は目が覚めた時、妙な感覚を覚えていた。

 一晩中じろじろと至近距離で誰かに見られてて、しかも顔や腕を触られたような感覚。

 ただ、自らの索敵センサーは、起きている時は敏感でも寝ている時は相手に殺意や明確な敵意がないと働かないようになっている。

 まあそれは当然ともいえる。

 寝ている時に何かの気配でいちいち目が覚めていたのでは睡眠なんてできやしないし、今までは護衛もたくさんいて、セキュリティ万全の実家にいたこともあってそこまで気を張る必要がなかったからというのもある。


 ただ、なんとなく夜に起こった出来事が記憶にある。

 まあ、その犯人が誰なのかは明確なのだが。


「……ぐーすか寝てるな」


 床にいつの間にか敷かれた布団の上で、白のTシャツ姿でおへそをだして寝る少女を見て呆れる。


「うー……東弥、しゃま……」

「俺が夢に出てるのか?」


 まあずいぶんかわいい寝顔だし、無防備さもあって少しばかりドキッとするが、しかしそれ以上に護衛として大丈夫なのかという心配が勝っていた。


「……ま、気持ちよさそうに寝てるからそのままにしとくか」


 特に害はなさそうだし。

 そう思って彼女を放置したまま着替えを済まして家を出る。


 朝食はあえて家で作らない。

 一度やってみたかったことがある。


「お、コンビニだ」


 コンビニで買い食い。

 これは新庄家では禁忌の一つであった。


 栄養が偏り、安い食材で体が構成されてしまい能力が下がる、すなわち新庄家にとっての損失となる。


 そんな、いかにも常識のない金持ちが考えそうなことを一生懸命語っていた父の言いつけを、それでもここまでは従順に守ってきた。

 が、それも昨日までの話。

 一人暮らしを勝ち取った以上、自分がどこで何を誰と食べようと勝手。

 やってみたいようにやらせてもらうさ。


「いらっしゃいませー」


 店内に入るとまず揚げ物のいい匂いに誘われる。

 ホットスナックというのはこれか。

 レジ横に並ぶ茶色のよくわからないものを眺めていると、店員から声をかけられた。


「あの、今ならチキンがお安くなってますけどいかがですか?」


 話しかけてきたのは茶髪のきれいな女の人だ。

 大学生あたりだろうかと名札を見ると、『広瀬』と書かれていた。

 

「あ、それじゃこれください広瀬さん」


 思わず名前を呼んでしまった。

 ちょっと気まずくなる。

 しかし、すぐに向こうが笑ってくれた。


「あはは、名前呼ばれるの初めてです。はい、すぐ準備しますね」


 その笑顔が東弥にはまぶしすぎた。

 屈託ない笑顔、そして忖度のない対応。

 これこそが自分の求めていたものだ。

 そして、すぐに持ってきてくれたホットスナックのチキンとやらも、一度食すことを願ってやまなかった品だ。


「ごくっ」

「あら、そんなにお腹すいてたんですか?」

「あ、いえすみません。ええと、いくらですか?」

「はい、百八十円です」

「やっす……」


 あまりの安さに驚愕。

 ただ、コンビニとはありえないほど安価でいいものが買える場所というのはネットで見たことがあった。


 つまりそういうことなのだろう。

 今度、どういう経営方法をとっているのか直接本部に問い合わせして聞いてみよう。


「はい、これで」

「千円からお預かりしますね」

「あ、あの。よかったらおつりで何か食べてください」

「え、でも」

「こ、小銭はあんまり持たないので。じゃ」

「あ」


 チキン一個に千円は少々高いかもしれないという自覚はあったけど。

 でも、初めてのコンビニでの買い物に親切に対応してくれたお姉さんへのチップを感謝の気持ちとして渡したかった。


 もちろん一万円でもよかったのだけど、あまり大金を人に渡すとかえって不審がられるというのは、今までの経験で学んでいる。

 小学校のころ、友達がゲームを貸してくれた時、母から「人からものを借りた後は、きちんとレンタル料を支払うべきよ」と言われ、友達に一万円を渡したところすごくひきつった笑顔を向けられたことがあった。


 のちにそれがどういう非常識な行為だったのかを知ることになるのだが、しかしそれ以来、その友人が執拗に俺に何かを貸そうとしていたことだけは覚えていた。

 すぐに相手の悪意を察した付き人がそいつをしかりつけてくれてたけど。


「いや、しかし気分のいい朝だ」


 学校に向かいながら、さっき受け取ったチキンを紙の包装から出してみると、油のにおいがふわっと鼻腔をくすぐる。

 これが、みんなが放課後にコンビニの前で群がってうまそうに食べていたものか。


 いつも送迎の車の車窓から眺めているだけだったが、ついにこれが食べられる。

 

「い、いただきます」


 興奮と緊張で手を震わせながら一口。

 

「……うまっ」


 食べたことのない、なんとも下品な味だがしかししつこいくらいに濃い味付けは癖になる。


「こんなうまいものがあんな値段とは……恐るべし、コンビニ」


 あっという間に完食。

 こんなことならもう一つ買っておけばよかったと悔やみながら、しかし時計を見ると時間は結構余裕がない。


 慌てて学校へ向かう。

 まあ、これから毎日食べられるわけだし慌てる必要はない。


 それより今日からの学校で、一緒に買い食いをしてくれる友人を探すことが先決だ。


 意気揚々と学校へ向かう途中、東弥はふと自分の部屋で寝ている護衛の少女のことを思い出した。


「そういや、名前なんて言うんだろ。それに、同い年なのに学校行かなくていいのかな」


 まあ、知ったことではないが。

 一応そのあたりも帰ったら聞いてみよう。


 なんて思っていたら学校が見えてきた。

 今日から三年間通うことになる学舎にまた胸が高鳴る。


 さて、自分のクラスはどこだ。

 勢いよく正門を抜けて、新入生らしき連中が群がる校庭隅へ。

 

 そこには『新入生クラス表』と書かれた大きな紙が、掲示板に貼られていた。


「ええと、俺のクラスは……あった。一組か」


 新庄東弥。

 その名前を見つけたと同時に、誰かが騒ぎ出す。


「おい、新庄っているぞ。あの新庄財閥のやつじゃねえか?」

「この辺で新庄なんて、きっとそうよ。え、どの人かな。私クラス一緒だから楽しみ」

「やばっ、ガチ有名人じゃん」


 その盛り上がりは瞬く間に伝染していく。

 さて、この中の誰が新庄東弥か。

 もちろんすぐにわかることなのだけど、こうしてどんな人なのかと皆が期待を膨らませる様を見るのはいつになっても気持ちのいいもの。

 ただ、中学の時は同じような反応から段々と金持ちが故の融通の利かなさやあまりに圧倒的すぎる格差によって一人、また一人と人が離れていった。


 もう、同じ過ちは繰り返さない。

 高校でこそ、人気者になって普通に青春をして、それこそ可愛い彼女でも見つける。


 そんな決意を胸に騒がしい校庭を離れ、我先にと教室へ向かう。


 廊下をまっすぐ抜けて奥の階段を上がった二階にあるのが一年生の教室。

 そこで一組の表札を探そうと見上げている時。


 視線を感じた。


「……ん、この気配は?」


 ジロっと探るような視線。

 最近感じた覚えがある。


 最近、というよりつい昨日だ。

 そうだ、これは昨日家に来たあの子の視線だ。


 しかしどこからだ。

 窓の外、対面にある旧校舎、廊下の奥まで気配を探ったがピンとこない。

 いかんせん学校という場所は人が多すぎるってのもあるが、今回ばかりはうまく隠れたものだと感心した。


 木を隠すなら森。

 これもまた忍としては最低限の常識といえる。


「ま、起きてあとをつけてきてその辺の木の上からでも俺を見てるんだろ」


 面倒になったので言い聞かせるように呟いて。

 一組の教室へ入る。


 すると数人の生徒がすでに中に。

 こちらをチラッと見てから、皆が皆、友人との会話に戻る。


 まあ、最初はこんなものか。

 でもこの中に、これから先、親友や恋人になるやつもいるのかも。

 そんな期待と共に席を探していると、ひとりの女子と目があった。


「……え」

「あ、お疲れ様です」


 そこに座っていたのは、おさげ髪の目のぱっちりした少し小柄な……


「何してんだお前」

「いえ、今日から東弥様の監視のために私も学校に」

「言えよそういうことは! え、クラスメイトなの?」

「はい。自己紹介が遅れました、小春といいます。コパルンって呼んでください」

「……」


 まさか、自分の護衛任務についた人間がクラスメイトとは。

 しかもこいつは今、自分の家に一時的とはいえ住まわせている。


 そんな高校生活のどこが普通だ。


 東弥はまた深々とため息をついてから、がっくしと項垂れた。


 一方でコパルンこと小春と名乗った護衛忍者は、嬉しそうに「でも、同じクラスは出来過ぎです。嬉しいです、東弥様」と言って顔を赤くする。


 波乱の予感しかしなかった。

 ある意味、昔以上にうんざりな学生生活が待っているのではないかと。


 そう考えるとまたため息が出て。

 少しだけ貧血のように体がふらついていた。


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