2.転校生の謎
文芸部室では、
「よし。全員集合だな」
「そう。全員集合」
「全員集合?」
「文芸部員は、私たち二人だけなんだ」
「ふぅん」
嘉良華リャカは、さっきまでの馴れ馴れしさとは打って変わって、他人行儀な返事をした。伊織瑞希がいるせいかもしれない。きっと知らない男子とは会話がしづらいタイプなのだろう。やっと嘉良華リャカの人間らしさを見れた気がした。
「でね、こうして来てもらったのには訳があるんだけど」
「文芸部に入って欲しい、とか?」
興味無さそうに答えながら、嘉良華リャカは本棚に並んだ文庫本を眺めていた。面白そうな本を探しているというよりは、どんな本があるかを観察するような眼差しだった。
「その通り。君、察しが良いね」
「そうだよ。君は恋愛小説が好きでしょう? でも書くのは上手くない」
伊織瑞希はギクリとして、苦笑いを浮かべる。
「確かに図星なんだが……もう転校生にそんなことを吹き込んだのかよ」
私は必死に首を振って否定した。
「いやいや、私はまだ何も。伊織君がいることすら言ってなかったし」
「じゃあどうして分かったのさ? ウチで出してる文集を読んだとか? 去年のアレは酷かったが」
毎年文化祭に文集を出すのが、文芸部の伝統行事である。昨年は当時の三年生と顧問の先生の二人と協力して、どうにか薄すぎない程度の文集を作ったのだった。
「いいえ。読んだことはない。でも本棚を見れば分かる」
その言葉に従って、伊織瑞希と私は本棚を覗き込んだ。歴代の文芸部員たちが各々の趣味で置いて行った本が、ざっくばらんに並んでいる。
「立てて並べずに手前に積んであるのは、伊織瑞希が最近読んだ本。だってル……
私と伊織瑞希は、途中から顔を見合わせて、その推理を聞いていた。我ながら、優秀な人材を発掘したらしい。
「ねぇ。リャカさん」
「リャカでいいよ」
やっと名前を読んでくれた、とでも言いたげに、嘉良華リャカの目は輝いていた。
「じゃあ……リャカに改めてお願いします。文芸部員が少ないとか、そんなことは抜きにして、リャカのような本に詳しくて観察力のある人が文芸部にいたらいいなって思うんだ。どうか、文芸部に入部してくれないかな?」
「仕方ない。入部してあげましょう」
続けて嘉良華リャカは、私にだけ聞こえる程度の小さい声で言う。
「ルリノにそう言われたら、断れないよ」
嘉良華リャカと視線が合う。お互いに自然と笑みを交わす。少し距離が縮まった気がした。
「そうと決まれば入部届だ。どこにあったかな?」
文芸部の資料ファイルが並んだ棚を伊織瑞希は漁っていた。それを眺めながら、私は嘉良華リャカに尋ねた。
「リャカは、どんな本が好き?」
「色々あるよ。例えば、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』とか。ブルカニロ博士が好きなんだ」
「へぇ。今度読んでみよう。じゃあリャカは童話を書いたりするの?」
その問いに嘉良華リャカは首を傾げた。
「私は書かないよ。書いたこと無いし。私は読むだけ。それでも文芸部員になれるでしょう?」
「そっか。まあ、それでもいいんだけど」
あれ? どうして私は、嘉良華リャカが小説を書くと決めつけていたのだろう。ああ、そうか。小説版・嘉良華リャカは、小説を書くのだっけ。
理想の親友、嘉良華リャカ。それは私の書いた小説の中の存在だ。確かに目の前にいる嘉良華リャカは、小説を書かないかもしれない。だが、だからといって、彼女は私の親友になれない訳ではない。そんなのは些細なことなのだ。無意識に理想を求め過ぎてはいけない。
しかしそれにしても、どうして嘉良華リャカは私が本を立てて並べるような性格であることを知っていたのだろうか?
その日の午後、私は一人、自転車を漕いでいた。文芸部室に寄った後は嘉良華リャカと遊びに行こうかと思っていたのだけれど、誘う前に「用事があるから」と言われて別れてしまった。距離感を詰め過ぎてウザがられただろうかと、私は不安に駆られた。でももし仮に親友になれたとしても、いつもべったりとしてはいられない。距離を縮めることよりも程よく距離を取ることの方が、より親友らしいのかもしれないとも思う。何が親友らしいのかも、よく分かっていないのだけれど。
学校を出た私は鴨川沿いに北上して、昼食をハンバーガーで済ませた。それから兄のいる大学へ向かうことにした。最近読み返している漫画の途中の巻を兄に貸したたままだったことを、フライドポテトを齧っている時に思い出したのだ。これは嫌がらせをしに行けというお告げだろう。フライドポテトの発明者に感謝。
百万遍の交差点を過ぎた所に、兄のいるキャンパスがある。初めは眼鏡に白衣の研究者っぽい人がうじゃうじゃいるのかと思っていた。でも実際に来てみると、白衣姿の人はあまり見かけることがない。それよりは、お洒落な人の方が多いのではなかろうか。カッコいい女性研究者も、よく見かける。そんな大人になってみたいなと憧れてしまうけれど、理系科目が苦手な私には無理な話だ。
私は兄のいる建物の前に自転車を停めて、中に入った。三階まで階段を昇り、廊下を右手に進んで二つ目の部屋をノックする。
「どうぞ」
聞き慣れた声とともに、扉が開いた。毛玉だらけのパーカーを羽織ったボサボサ頭の兄が出迎えた。
「なんだ、和泉か。お客さんかと思って焦ったじゃねぇか」
「私だってお客様でしょ」
部屋の中は、乾いた空気に化学薬品の混じった匂いがしていた。文芸部室と同じくらいの狭い部屋に、実験台が一つ。その上には、大小の薬品瓶と奇妙な機械達が並んでいる。その実験台の奥に、兄の使っている古い事務机が見える。ノートと印刷物の山に囲まれて、なんとかノートパソコンが使えるくらいのスペースが確保されていた。
「こっちは散らかってるから、お茶部屋に行こう」
「その前に、貸してた漫画返してよ」
「あぁ。それで来たのか」
兄は机の上の惨状を見遣ってから答えた。
「後で発掘しよう」
欠伸をしながら隣の部屋へ向かう兄の後に続く。
ちょうどそこがお茶飲み用の部屋になっていた。部屋の真ん中に大きなテーブルがあり、十個くらいの椅子がそれを囲んでいる。兄は、隅の流し台にある電気ポットでお湯を沸かし始めた。
「コーヒーでいいか? 紅茶は切れてるみたいだ」
「またコーヒー? せめてココアとか無いの?」
「コーヒーを馬鹿にするんじゃないぞ。いずれお前もコーヒーに感謝するようになる」
「仕事の虫なんて私は嫌だね。そんな大人にはなりたくないもん。何事も程々がいいんだよ。そうそう。お母さんがいつになったら帰ってくるのかって言ってた」
「親父が家から出て行ったら」
即答だった。
「お父さんに似て頑固だねぇ」
兄が研究室を寝床にするようになって、もう半年くらいになる。それまで兄は実家通いだった。しかし大学院に入った頃にシュレなんちゃらとかいう人の本を読んで、研究に目覚めたらしい。夜遅くまで実験をするようになったから、深夜帰りが多くなった。それを父は、夜遊びしていると思ったらしい。学部時代は麻雀漬けの生活を送っていた兄だから、そう思われるのも無理はなかった。そんなこんなで父と喧嘩した兄は、スーツケースに必要最低限のものだけ詰めて、実家を出て行った。でもアパートを借りるお金は無いし、深夜帰りだから友人の家に泊めてもらうのも気が引ける。そういう理由で、兄は研究室で生活している。コインランドリーとか銭湯とかを活用しているらしい。本人曰く、生活費と娯楽費の比率を概算すると、他の学生よりも優雅な生活を送れているそうだ。あのボサボサ頭で言われても説得力がないのだけれど。
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