空蝉の定義
葦沢かもめ
1.生きてるって、どういうこと?
「生きてるって、どういうことだと思う?」
転校生と交わす初めての会話とは、こうあるべきだ。ちょうど空いていた隣の席に転校生、
しかし残念なお知らせが一つ。私にはユーモアが致命的に欠けている。
「生きてるっていうのは、死んでないってことだよ」
苦し紛れの答えを、私は口にするしかなかった。私の浅はかさを、初対面の少女に明かすしかなかった。
やはり嘉良華リャカは納得してくれない。
「じゃあ石ころは、死なないから、生きてるってこと?」
純粋な眼が、でまかせばかりで生きてきた私に「生きるとは何か」を問うてくる。私に、心の声で答えろと迫ってくる。まるで私がそれを知っているとでも言うかのように。
「そうかも」
そして私は付け足す。
「まだ誰も石ころに話しかけたことがないから、みんな知らないだけなんだ。きっと」
「なんだ、話しかけたことないの?」
まるで石ころとお喋りするのが日課とでも言うかのように、彼女は首を傾げた。こちらをじっと見つめる水晶のような瞳が、私の気を狂わせる。このまま嘉良華リャカと会話が噛み合わなければ、目の前にいる妖精が不意に消えてしまうのではないか。でもここで焦って捕まえようとしても逆効果ではないか。次から次へと新たな不安が浮かんでは、私の心を掻き乱していく。
もっとコミュニケーション能力があったらよかったのに。いつもの言葉を心の中で呟く。自己嫌悪が私の心の中を支配していくのが分かる。
でも、彼女はそれを許さなかった。
「……と言っておきながら、私も石ころと会話したことなんてないんだけどさ」
嘉良華リャカが、笑った。私の下手くそなユーモアで、この女の子は笑ってくれた。嘉良華リャカとなら親友になれるかもしれない。いや、親友にならなければならない。
だって嘉良華リャカは、私が創作した、私の理想の、私の親友なのだから。
嘉良華リャカは二人いる。
一人は、我がクラスに転入した女子生徒、嘉良華リャカだ。目鼻立ちの整った顔は一見大人びているが、その瞳は子供のような好奇心に満ちている。肩口まで伸びた黒髪と色白の肌も相まって、ずっと病室に閉じ込められていた少女が、ようやく外の世界に出られたかのような雰囲気があった。
もう一人は、私がかつて書いた小説に出てくるキャラクター、嘉良華リャカだ。小説といっても、大したものではない。中学生の頃、オンライン小説投稿サイトで書いていたもので、趣味の範疇を越えるものではない。実際、読まれた回数もさほど多くなかったと記憶している。そんな素人小説の山に埋もれた一篇の物語に、嘉良華リャカは登場する。容姿は転校生の方の嘉良華リャカと瓜二つ。哲学的な問答を好む性格だった。小説の中で嘉良華リャカは、私をモチーフにした主人公と出会い、無二の親友となる役割を担う。当然、それを書いた時には、現実に同姓同名の少女がいるなんて思いもしなかった。
これは果たして偶然なのだろうか。
もっとも有り得そうな筋書きは、現実版・嘉良華リャカが、小説版・嘉良華リャカを読み、そのキャラクターを模倣している可能性だ。誰しも一度は自分の名前を検索するものだ。ましてや珍しい名前なら、ヒットしたサイトに興味を持つのは想像に難くない。そうして私の小説を読み、小説版・嘉良華リャカに憧れ、哲学少女を気取るようになった。しかし転校した先で隣の席になった相手が作者だとは思うまい。だってその小説を書いたのが私だと知っているのは、私だけなのだから。
その日は、始業式が終わるとお昼には下校となった。多くの生徒は昇降口へと真っ直ぐに向かっていくが、私にはやるべきことがあった。早速、嘉良華リャカとの距離を縮めるのである。
だが心の中では、逆風が吹き荒れていた。私は会話が苦手で、特に話しかけることに大きなハードルを感じてしまうのである。今まで友達と呼べる存在は数えるほどしかいないし、私はいつもお喋りの聞き手になることが多い。できるだけ話しかけることから逃げてきた。
それでも私は直感を信じることにした。勇気を出して、通学鞄を肩にかけて帰ろうとしている嘉良華リャカに話しかけた。
「良かったら、部室に来てみない? 私、文芸部なんだ」
「本当に? それは楽しみ。だって
それは突然の告白だった。瑠璃音ルリノは、私がオンライン小説投稿サイトで嘉良華リャカを書いた時に使ったペンネームだ。ネット上で小説を公開していることは、文芸部員にすら教えていない、私だけの秘密のはずである。
私は他の誰にも聞かれてないことを確認してから、彼女の耳元で尋ねる。
「どうしてそれを知ってるの?」
「何でだと思う? 当てられたら教えてあげる」
嘉良華リャカは不敵な笑みを浮かべていた。どうせ私には分からないと、高を括っているようだった。
「さ、文芸部室へ連れて行ってください、ルリノ。それとも私がご案内しましょうか?」
北棟の三階にある空き教室。そこが文芸部室であることくらい、嘉良華リャカは知っている。そう言われても信じてしまいそうなくらいに、自身に満ちた表情を浮かべていた。
でも流石に、転校生がそんなことまで知っているだろうか。去年まで、文芸部室は南棟二階の家庭科室だった。副顧問の家庭科の先生に頼んで、使わせてもらっていたのである。それが去年の副顧問の退職に伴って、今年から半分くらいの大きさの空き教室へ移ることになった。ただでさえ影が薄い部活である。文芸部があることさえ知らない生徒も多いだろう。
だからきっと彼女の言葉は、はったりだ。文芸部室の場所を知っていると見せかけているだけだろう。それが嘉良華リャカ流の冗談なのだと、私は理解することにした。そうそう、嘉良華リャカもそんなキャラクターだった。
「いいよ、私が案内するから。あとその名前では、今後絶対呼ばないように」
「つまり、二人だけの秘密ってことね」
私の耳元で嬉しそうに囁いた嘉良華リャカは、生きるのがとても楽しくてたまらないといったふうに、北棟につながる渡り廊下へと駆け出した。
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