第16話

 ベンとリリー、それからトビーがダイニングで話を始めて約十数分後。


 ようやくトーマス伯爵夫妻がダイニングに姿を現した。



 これからディナーだと言うのに、伯爵も伯爵夫人もいつものような温和な表情ではなく、険しい表情だった。


 伯爵夫妻は一言も発さず、ベンとリリーの方を一瞥し、そのままいつもの所定の席に着席した。



 伯爵夫妻が着席すると、給仕係が伯爵夫妻、ベン、リリー、トビーのそれぞれの席にアミューズを給仕する。



 給仕係は続いて伯爵夫妻にはテーブルにセットしてあるワイングラスに白ワインを注ぐ。


 今日の白ワインは洋梨を思わせるようなフルーティーな香りがし、飲みやすく爽やかな風味のものだ。


 色は蜂蜜のような透き通る黄金色で、見るからに良いワインだとわかる。


 ベンと話す内容が恐らくドロドロしたものになるので、せめてワインは爽やかなものが飲みたいという伯爵からの希望で選ばれた。



「ベン。私に話したいことがあるようだが、ある程度食事をしてからお前とそこに同席しているお嬢さんの話を聞こう。お前の話の内容次第ではせっかくのディナーが不味くなってしまう。それでは食材や料理を作ってくれた者に対して失礼だ」


「そうね。それがいいわね。話は後にして、まずはお料理を頂きましょう」


 伯爵の提案に伯爵夫人も同意する。



「父上、母上。わかりました」


 ベンも異論はないので、了承する。



 一同はひとまず話は横に置いておいて、先に食事をすることになった。



 ディナーのメニューはフルコース料理だ。


 なので、食べ終わったら順番に次の料理が給仕される。



 最初に給仕されたアミューズは一口ひとくち二口ふたくちしかないので、全員あっと言う間に食べ終わる。



 次は前菜のオードブルだ。


 ベーコンとほうれん草のキッシュ、かぶと林檎のミルフィーユサラダ、白身魚のカルパッチョ。


 この三種類の料理が一枚の皿に載せられている。



 ここで早速、リリーは伯爵夫妻の前で醜態を晒す。


「ねえ、ベン。このナイフとフォークはどれから使えばいいの?」



 その瞬間、ダイニングの空気が凍った。


 リリーの質問は彼女が思っていたよりも声量が大きく、質問されたベン以外に、少し離れて座っている伯爵夫妻とトビーの耳にも入った。



 実はリリーはカトラリーの類を沢山使って食す料理は食べたことがない。


 その為、料理が乗っている皿を中心に左右対称にそれぞれ大きさの違う数本のナイフとフォークが並べてあっても、それらをどんな順番で使っていくのかわからないのだ。


 バーンズ伯爵邸であれ程”貴族が食べるようなフルコースの料理が食べたい”と口にしていた癖に、いざ(バーンズ伯爵邸ではない場所ではあるが)その時が来ると、カトラリーの使い方がわからない。



 フルコースの話は今は亡き父・ルパートからほんの少し聞きかじった程度で、お貴族様は何品も出て来るフルコースという豪華な料理を食べるという印象でしかなかった。


 だからフルコースの料理を食べる時にはテーブルマナーというものが存在し、ただ食べるだけでもテーブルマナーに従ってナイフとフォークを上手く使い、行儀よく食べるということを全く知らなかったのだ。


 そしてさらに言えば、リリーはフルコースの料理を食べる時、マナーが全くなっていなかったら容赦なく指摘が入る、又はマナーがきちんと身についていないとマイナスな評価を受けるということも知らない。



 貴族にとってはある意味食事も社交の場だ。


 他家の晩餐会に招待客として招待されたり、自分の家が他家から招待客を招いたりはその時々によりけりだが、美しい所作で食事を摂っていたら高評価に繋がるし、つたない所作だと評価が下がる。



 貴族はとにかく人の荒探しをする生き物だ。


 食事のマナーが一つ出来なくても、それを何倍にも誇張し、大袈裟に言って回る。


 たった少しの失敗が命取りになる。


 だからこそ相手に余計なことを言われる隙をなくす為に、マナーをしっかりと学ぶ。



 平民の食事のように一組のナイフとフォーク、そして一本のスプーンで食べ方は気にせず、ただ楽しく美味しく食べらればいいという話ではないのだ。



 因みにルパートの話は、”貴族だった頃はフルコースの料理を毎日食っていたのに、今じゃフルコースのフの字もねえ。久々にフルコースの料理が食いてえな”という愚痴だ。


 愚痴なのでマナーが云々という話が出る訳がない。



 何故このタイミングで発覚したのかと言うと、アミューズは手で掴んで食べる系統の料理だったので発覚しなかっただけだ。




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