第6章 海浜都市レオーネ編 第3話(4)

 嘲りの色を交えてかけられたその言葉に、聖塔の主シャーリィは厳しい眼で、月明かりを背に浴びるメアを直視した。視線を戦わせながら、シャーリィは口を開く。

「貴女かしら、クラウディアの言っていた、ゼノヴィアの使いというのは」

「あら、もうご存知でしたのね。なら話が省けて助かりますわ」

 余裕すら見せて返すメアに、シャーリィは切迫した声を飛ばす。

「貴女が何をするつもりかは知らないけれど、こちらの要求は一つだけよ。その手に抱えているメリィちゃんをこちらに渡しなさい。でなければ――――」

「へぇ、思っていたより強気ですのね。そうでなければ――どう私を裁くおつもりですの?」

 メアの言葉に、シャーリィは言葉を詰まらせる。その様子を見たメアは嘲笑を浮かべた。

「やはり、腐っても母様と同じ六星の巫女。自覚はおありのようですね」

「……ええ、そうね。私は貴女達を一方的に裁けるような立場ではないでしょう」

 言って、シャーリィは視線を一層鋭くして、この町を預かる者の目でメアを見据える。

「けれど、それでメリィちゃんや町の人達に危害を加えることを認めるわけにはいかないわ。私や貴女達がどんな因縁を抱えているとしても、それに罪のない人達を巻き込むのは筋違いよ」

「賢しいのですわね。そこまでわかっていてくださるのなら、やはり話は早いですわ」

 その視線を受けるメアは余裕の笑みを崩さず、平然と言った。

「こちらの要求も一つだけですの。貴女様の管理していらっしゃる《柱》の力の一端をこちらに分けていただきたいのですわ。《魔戒》の触媒として必要なもので」

「……それを果たせば、メリィちゃんを解放してくれる?」

「ええ、不承不承の気もありますが、天央に誓ってお約束いたしましょう。畏れ多くも女神に仕える六星の巫女様の手前、不実な真似をするわけには参りませんしね」

「断ったら?」

「その言葉が貴女の口から出てくることが、私は少し悲しいですわね……何のために貴女の庇護のもとにある民草を見殺しにすると?」

 その言葉に息を呑むシャーリィを前に、メアは腕の中に抱えたメリィの力のない表情を目にし、シャーリィに向き直ると、酷薄な笑みを浮かべながら言った。

「賢明にして慈悲深い巫女様がそんなことをするとは思えませんが……そうですわね。信義に反した罰として、この娘をこの高さから突き落として差し上げましょう」

「……わかったわ。今呼ぶから、少しだけ待っていて」

 降参したように言うと、シャーリィは腕を前に差し出すように伸ばした。その手の先に緑色の光を纏った風が集まっていき、清涼な香りの空気が塔頂の空間に満ちていく。

 やがて、その風の香りに誘われたかのように、一羽の小鳥がシャーリィの手の中に飛び込んできた。碧く光る風を包むシャーリィの手の中で羽ばたく小鳥の翼が、虹色を帯びていく。メアが見守る中、シャーリィは小鳥の嘴の先をそっとつつくと、それに応えるように虹色の翼を広げた小鳥から、羽を一枚抜き取った。

 虹色の光を失わない羽を目に、メアは訊く。

「それが触媒ですのね。ということは、その可愛い小鳥が《柱》ということですの?」

「……これ以上貴女に渡せるものはないわ。メリィちゃんをこちらに渡して」

 言葉と共に、シャーリィは手にしていた羽をメアに向けて投げ放つ。宙に放り出された羽は浮力を持つかのようにふわふわと空中を漂い、メアの眼前で静止した。メアはそれを手に取り、そこに流れる魔力の吟味を行うと、ようやく満足げに頷いて、

「間違いないようですわね……では約束通り、この娘をお返しいたしましょう」

 言うと、聖塔の中にゆっくりと踏み込み、シャーリィの前まで来てメリィの身を手渡した。シャーリィがメリィの身をその腕に預かり、状態を確認するのを目に、メアは満足げに言う。

「これで、お互いの要求は果たされたわけですわ。ようやく、険のないお話ができますわね」

 メアの言葉に、シャーリィはメリィを抱き締めながら顔を上げ、憂いを帯びた目でメアを見た。

「そうね。話さなければならないことは、お互いにたくさんある気がするわ。あなた達からは、私達の元を離れてから今ここにいるあなたが生れてしまった経緯を。私からは、あなた達をそんな道へ走らせてしまったことへの償いへの問いを」

「やはり、ちゃんと自覚しておいでですのね。貴女様があの時のことを忘れておられないのは、ささやかですが嬉しいことですわ」

「そう、あの時のことを忘れてなどいない……話は、そこから始めるべきよ」

 メアの言葉に、シャーリィは対抗するようにメアの目を見つめた。

「私もあなた達も、あの時のことで重い傷を負った。そしてそこから私達は道を違えた。けれど善悪は別にして、あなた達が選んだ道があなた達の果たすべきだと信じた道なら、その意志を否定したくはないわ。あなた達のしていることは、立場に囚われて感情を押し殺していつしかそれに順応して世界に刃向かうこともできなかった私よりも、ずっと正直。誰かがするべきだったことを、あなた達はしているだけ……私に、あなた達を責める権利はない」

 でも、と、シャーリィは諭すように口調を強くする。

「今の私達の始まりがあの時に負った傷であることは、私達もあなた達も変りがないはず。私達はずっと、同じ場所から始まっているのよ。だったら――――」

「だったら……こちら側に来ることも可能なはず、とでも仰るつもりですの?」

 割り込むように応じたメアの言葉は、明らかな怒りを帯びていた。

「母様を助けにも来なかったくせに、よくもそんなことが言えますわね。私達の悲しみや怒りを知ったような気でそんなことを口にできるのなら質が悪いですわ、この恥知らずが」

 言葉に胸を衝かれ息を呑んだシャーリィに、メアの鋭い舌鋒が次々と突き刺さっていく。

「私達と痛みを分かち合うなどと本気で仰るのなら、中途半端な聖人面はしないでくださいませ。貴女様のようにその感情を丸め込むことすらできなかったその果てに生まれたのが、人の世に怒りを示すことでしか己の存在を証しえない私達なのですから」

 メアの怒りに燃える目を浴びながら、シャーリィは力なく微笑み、重い口を開いた。

「その、海のような深い青の髪……背も随分伸びて、綺麗になったわね、ミラちゃん」

 唐突に名前を呼ばれたことに一瞬動揺しながらも、メアは平然を繕って答える。

「言っておきますけれど、懐柔しようとなさっても無駄ですわよ」

「そうでしょうね。貴女をそんなふうに頑なにしてしまったのも、きっと私達のせい……あの子――セレニアの死に連なる責任を果たそうとしてこなかった、その歪みのせいなのね」

 それに答えるシャーリィの声は、己が身に背負うはずだった罪を自覚し、突きつけられたそれに押しつぶされそうな、重く悲しいものだった。メアはシャーリィに問う。

「シャーリィ様、ひとつお訊ねしますわ。先程貴女は、同じ始まりを持っているならわかり合える、こちら側に来ることも可能だと仰られようとしていましたわね。であるならば……あなた様方がこちら側へ来ることも、可能ということなのではないですか?」

「ええ、そういうことになるわね。けれどごめんなさい、それはできないわ」

「なぜ?」

「今は、ここで守るべきものがあるから」

 そう答えたシャーリィは、碧い瞳に光を取り戻していた。メアは白むように息を吐く。

「ふん……そうですか。やはり所詮、私達はわかり合えないのですね」

「いいえ、そうは思わないわ。今すぐには難しいのかもしれないけれど、私達は同じ所に繋がっている。きっといつか、共に手を取り合える時が来る……そんな気がするわ」

 シャーリィの悟ったような言葉に、メアは、は、と吐き捨てるように言った。

「楽観主義的で結構ですこと。いつかそのお望みが叶うといいですわね。けれどそれまでに、あなたの庇護のもとにある命が、いったいいくつ失われることでしょうね?」

 その言葉に、シャーリィの顔色が変わった。メアはその様子を嘲るように言う。

「私を止めなければ、この綺麗なレオーネの町が人の血で汚れることになるでしょう。想像するだけでも吐き気がするような光景ですわね」

「ミラちゃん、貴女……!」

「今は《十二使徒》のメアですの。あの頃と同じ子供扱いはしないでくださいませ」

 言葉と共に、メアは月光の差し込む外に振り返り、シャーリィに背を向けた。

「それを阻止したいのなら、あなた方が取るべき行動は何か、よく考えた方がいいのではないですか? ……と、クララに伝えておいてくださいな」

「えっ……?」

 突然の依頼にシャーリィが面食らう隙に、メアは聖塔の桟に足をかけていた。

「それでは、今宵はこれで失礼いたしますわ。夜分の狼藉をお許しくださいませ、シャーリィ様。……ああ、あなた様にも問うておきたいことが一つございました」

 月光を浴びるメアは首だけを後ろに向け、赤を灯す深青の瞳で一言。

「罪のない人など、この世のどこにいるのか……今度また見えることがあれば、ぜひとも教えてくださいな」

 言い残し、そのまま桟を蹴って、夜の町へと逃げていった。

 後に残されたシャーリィは、多くの問いを前にしばらく無言で立ちすくんでいたが、

「悩むくらいなら、今できることをしましょう――貴女もそう言っていたわね、セレニア」

 意を決し、市長に連絡を取るべく、聖塔を下っていった。

 誰もいなくなった聖塔の展望台の中、ソファの肘掛けに停まった小鳥が、首を傾げていた。


 深夜、町の不穏なざわめきを感じて、クラウディアは目を覚ました。

「……?」

 そして、隣のベッドを見て、エメリアがいないことに気が付き、その不審を強くした。

 耳を澄ませば、深夜だというのに何やら緊迫した声が飛び交っているのが聞こえる。

 恐る恐る隣の部屋を見れば、案の定、クランツまでもいなくなっていた。

「何だ……? 何があった?」

 焦燥と共にクラウディアは急いで服を整え、ホテルの階下から町へと駆け出た。

 その彼女がメアからの伝言を受けたカイルと自警団員と鉢合わせ、程なくしてエメリアを背に抱えたクランツと鉢合わせたのは、それからすぐのことだった。

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