第6章 海浜都市レオーネ編 第3話(3)
カイルの部屋を飛び出したエメリアが壁を蹴って屋根の上に登った頃には、屋根を蹴って移動するメアの姿が遠方に見えていた。向かっている先は、おそらく聖塔。予想通りだ。
「わかりやすいニオイを残す方ですねぇ……エメリアちゃんから逃げられるネズミさんはいないんですよぉ」
一言呟き、エメリアはその身に宿る魔力を解放、その力を四肢に余す所なく行き渡らせる。溢れんばかりの魔力が金色の鱗粉となって夜闇に散る中、エメリアは軽いステップで走り出し、豹に迫るほどの速度で屋根を駆け、メアを追跡し始めた。
自警団に並ぶもののない機動力を誇るエメリアと、メリィを片腕に抱えたメアでは、移動速度の差は歴然。徐々にエメリアは遥か前方を行っていたメアに追いついていく。
(向かう先が聖塔ということは……本当の狙いはどう考えてもシャーリィ様ですよねぇ)
疾駆しながら、エメリアは花嫁を攫った彼女――メアの狙いを分析していた。
彼女が《十二使徒》の一角であるのなら、おそらく今回もアルベルトや自分達の対抗する《計画》の進行のために動いているはずだ。加えてここレオーネは《六星の巫女》が統治する場所として、かつて訪れた農村都市ローエンツと状況が酷似している。ローエンツで彼らが六星の巫女に何をしたかを思い出せば、十二使徒メアの狙いも知れるというものだった。
おそらく――メアは、シャーリィの管理している《柱》の力を欲しがっている。
それがローエンツの時のようにどのような形を取っているのかまではエメリアにはわからず、またよく考えればそれが彼らの計画にどのように必要となっているのかもよくは知らなかったが、いずれにせよ彼女――メアの目的がそれにあるのはほぼ間違いなかった。だとすると、それをシャーリィから強硬手段以外で手に入れるためには、どうするか。
(新婚の花嫁さんを人質に取るなんて、随分いい趣味してらっしゃいますねぇ)
つまり、メリィはメアにとって、それを手に入れるための交渉材料――人質なのだ。
そう考えるからこそ彼女が殺されることはないと判断できるとはいえ、さすがのエメリアも、微かな義憤を覚えざるを得ない。アルベルトがかつての仲間である彼らの計画を止めたくなる気持ちが、ほんの少しだけわかった気がした。
そんなことを考えている内に、メアの姿と聖塔の威容が見る見る内に眼前に迫っていた。メアはメリィを抱えたまま一足、力を入れて跳躍すると、空中に浮いたその足元に、魔術で小さな水のボールを作った。そのボールは弾力性があるらしく、メアはそれを足場に次々と上方、聖塔のバルコニーへと昇っていく。
「エメリアちゃんにお空の動きで勝ろうだなんて……無茶なお方ですねぇっ!」
一息、エメリアは聖塔の壁に張り付くと、そのまま壁を駆け上り始めた。上に行く速度では、エメリアの方が早い。目的地である聖塔の展望台までギリギリの勝負になっていた。
やがて、頂上に至る所で、エメリアはついに先行していたメアに肉薄する。距離の差がなくなれば、空中戦でエメリアに敵う相手はいない。
「ちょっと痛いかもしれませんけどご容赦くださいねぇ、十二使徒さん!」
エメリアは勝負とばかりに、わずか上方にいたメアに跳びかかった。メアからメリィを奪い返し、メアを突き放して、自らはメリィと共に着地する手筈だった。
と、くすり、という声と共に――メアがふいに、メリィの体を下方へ放り投げた。
「え、っ……!」
意表を突かれたエメリアは、落ちてゆくメリィを救うべく空中で挙動を下方に強引に修正するしかなかった。そして、その隙を仕掛けたメアが見逃すはずがなかった。
目を逸らさざるを得なかったエメリアの後頭部に、強烈な蹴撃が叩き込まれた。
「が、ぁ……ッ!」
衝撃に脳を揺さぶられ、体を動かせなくなったエメリアは、なす術もなく地に落ちてゆく。その間にメアはメリィを回収し、とどめとばかりにエメリアに向けて魔術を放った。
「さようなら、仔猫ちゃん。機動力なら負けはないと高を括ったのが運の尽きだったわね」
嘲るように放たれた言葉と同時、空中にあった足場が水の槍へと形を変え、落ち行くエメリアに襲いかかる。エメリアはかろうじて地面に叩きつけられる寸前に四肢を曲げて衝撃を殺し受け身を取ったが、脳を揺さぶられている影響で咄嗟に動き出すことができない。
(ダメ、間に合わない……!)
何をするにももう遅いと、エメリアが目を閉じかけた時。
「エメリア――――!」
後ろから駆けてきた声と共に、瞬間的に展開された魔力の障壁が、エメリアに迫っていた水の尖牙を弾き飛ばした。朦朧とする意識の中、エメリアは眼前に立つ声の主を見る。
「クランツ、さん……?」
エメリアの力なく呼びかける声に振り向いたクランツは、必死の表情でエメリアを見た。
「エメリア、やっぱり……! 大丈夫?」
「はあぃ、助かりましたぁ……クランツさんまで命の恩人になっちゃいましたねぇ……どうやってお礼を、しましょう、か……ねぇ……」
力なく笑ったエメリアは、そのまま意識を失い、前のめりに倒れた。その華奢な体を真ん前から抱き止めたクランツは、エメリアの呼吸と鼓動を胸越しに感じ、安堵の息を一つ。
「こんな時まで冗談言わなくたっていいって……」
呆れと共に呟いたクランツは、頭上、エメリアが向かおうとしていた場所、聖塔の頂上を見る。遥か高くに聳えるそこには、彼女が追いかけていた何者かが入ったようだが、地上からでは何が起きているのかわからない。見た所騒ぎのような様子は見えないが、エメリアがわざわざ危険を察して追いかけた相手だ。楽観はできない。
(どうする……?)
クランツは胸の中で意識を失い、苦しそうな表情で呼吸をするエメリアを目に、考えた。
そして、一つ覚悟を決めるように息を吸うと、エメリアの身を背に担ぎ直し、走り出した。
力の抜けたエメリアの体は、魂の抜けた人形のように、不安になるほど軽かった。
猊下、仕留めそこなった少女を担いで走り出した少年らしき影を目に、メアは憮然と一息。
(あれが、カルロスの言っていた少年ね……クララもあんなちんちくりんのどこが良いのかしら)
クラウディアの側仕えにして、彼女が信頼を寄せている少年、と、報告は受けている。また、水の槍を弾いたあの『魔力を使役する能力』についても彼らの報告の通りらしい。
何より、この場の状況よりも身内の無事を優先して逃げ帰ったことが、メアにはなぜか腹立たしかった。未熟な義憤にでも駆られて昇ってくれば、追いかけてきた小娘共々始末するチャンスだったというのに。そういう所は、あの小娘には気に入られそうなタイプに見えた。
(小賢しい……近い内に消しておく必要がありそうね。けど、今はそれよりも)
一息、メアは身を塔の中に向くように翻し、月の光を背にその場所の主に声をかけた。
「御機嫌よう、《翠遊の風星》シャーリィ・ミュネルネ様。月の綺麗な夜ですわね」
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