第6章 海浜都市レオーネ編 第2話(3)
レオーネ西通りの奥にある市長邸の敷地まで辿り着くと、既に場は盛況を呈していた。
こじんまりとしながら整然とした印象の緑の広がる庭先にはたくさんの人々が正装で集まり、飲み物の入ったグラスを手に華やかに談笑している。所々に並べられた白いクロスの引かれたテーブルには給仕役が忙しなく料理や皿を運び、落ち着きのない参列客の子供達がその中を陽気に駆け回っていた。
誰もが今日の主役のために幸せを祝い、喜びを分け合う場所――クランツにとってそこは、思っていた以上に胸に沁みるものがあった。
いつか、自分もこの場所に立てる日が来るのだろうか――無論、彼女と一緒に。
そんなことを思いながら隣に立つクラウディアを見上げようとしたクランツに、
「お、紅い髪の姉ちゃ~ん!」
すっかり忘れ去りかけていた男達の声が聞こえてきた。
声のした方に顔を向けると、三人の青年がこちらに近付いて来ていた。
レオーネの町に入り際に出会った、あの三人だ。三人とも片手に淡い白葡萄色の酒の入ったグラスを持ち、赤くなった顔はすっかり上機嫌に緩んでいる。
「やっぱ来てくれたんすね!」
「君達か……先程は互いに失礼したな」
やりにくそうに言葉を濁すクラウディアに、三人の青年は遠慮なく絡んでくる。
「へへ、固いこと言いっこなし! 今日は俺達の、そしてこの町の最高の日なんだからさ。姉ちゃんもせっかく来てくれたんだから、存分に楽しんでってくれって!」
「おい、それ招待されてるお前が言うことじゃないだろ」
「何だよ、それだったらお前だって――――」
上機嫌でもみ合う青年達の間に巻き込まれてやりづらそうにしているクラウディアに、心配と警戒の目を向けるクランツ。と、クラウディアが咳払いと共にふいに口を開いた。
「――そうだな。時に、今回ご結婚なさったのは、市長様のご子息だと聞いたのだが」
「お、よく知ってるな姉ちゃん。どこで聞いたんだ、それ?」
「どこだっていいだろ、ホントのことなんだから」
「そりゃそうだ。それにそのことを知らない人間はこのレオーネにいるもんか」
愉快そうに笑う三人を前に、クラウディアは気勢を正して、三人に言う。
「せっかくの奇縁だ、私達も祝福のご挨拶がしたい。ご子息か市長様の元へ案内してはもらえないだろうか」
「おっ、了解! おい、カイル! どこだ? とびっきりのサプライズが来たぞ!」
「目の覚めるような美人のご指名だぜ! ぶったまげやがれ!」
「新婚早々目移りしてメリィに叱られんじゃねえぞ、新郎が!」
陽気な大声を上げながら、三人は固まって人波をかき分けていく。それを目で追いながら、クラウディアは振り返って、エメリアと、半ば呆然としていたクランツに言った。
「行こう、二人とも。まずは祝宴の主役と市長様にご挨拶だ」
「了解ですぅ。ほら行きましょクランツさん」
エメリアに回り込まれて背中を押され、クラウディアの後に続いて歩き出したクランツ。その最中、隣を歩くエメリアのあまりの平然っぷりに、訊かずにはいられなかった。
「エメリア……」
「ん~? お嬢様が心配じゃなかったのか……そんなことでも言いたげなお顔ですねぇ」
こちらの疑問を違わず先回りで読み取って小悪魔的に微笑むエメリアに、クランツは肝が冷えるのを感じる。エメリアは何でもないことのようにその問いに答えた。
「お嬢様があんな『男慣れしてない』程度で失態を晒すような方なわけがないでしょう? お嬢様だってもういいお歳の女性ですし、今はもはや責任あるお方ですもの。いくら男慣れしてなかろうがやる時はしっかりなさいます。クランツさんやエメリアちゃんと違って大人なんですよ、オ・ト・ナ♡」
「それは、そうだろうけど……心配にならない?」
続けたクランツの問いに、エメリアは物憂げなため息をこれ見よがしにふぅと吐いて、
「愚問ですねぇクランツさん。そりゃあもちろんなりますよぉ。お嬢様ももういいお歳の女性ですし、側仕えの身としては男性関係は元より婚期のことだって気になります。いくらお嬢様が色褪せることのない麗しのお方でしてもやっぱり一番いい時期っていうのもありますし、何かいいご縁がないかとエメリアちゃんも陰ながら猫の目を光らせて――」
「エメリア、聞こえているぞ」
「あら、それじゃあ一緒にご縁を探しましょうお嬢様♡ せっかく良縁に恵まれた場にお邪魔できたことですし、お近くに素敵な殿方はいらっしゃいますか?」
エメリアの返す言葉に、クラウディアは、ふん、と照れ隠しのように口を噤み前を行く。何ともわかりやすいその様子に、エメリアが心配になるのもわかる気がする、とクランツは思った。自分が言えることでもないが、彼女は歳の割には男を知らなさすぎるのか。
(って、本当に僕が言えることじゃないよな……はは)
そう思って、彼女以上に未熟な自身の思い上がりを、クランツは自嘲する。
だがそう思った途端、彼の体にこれまでに彼女と重ねてきた時間の記憶が、まるで髄に焼き付いた烙印のように熱を持って蘇る。王都ブライトハイト、霊谷カルデニア、農村都市ローエンツ、商業都市ハーメス、そして彼女と出逢った、燃え上がるあの日の記憶。
あの日から、彼女に近付けるよう精一杯の努力を重ねてきたつもりだった。そしてその甲斐あってかどうかはわからないが、彼女の護衛役に選ばれ、こうして旅路を共にしている。その中で彼女と共に難局を乗り越えたこともあった。出過ぎを承知で言えるのならば、着実に彼女と重ねた経験は積まれているはずだった。
なのに、自分はいまだ、彼女に迫れている気がしない――その「一歩」が感じられない。
出過ぎた考えなのかもしれないのはわかっている。
それでも、その実感が欲しいと望んでいる自分の本心を感じる。
彼女の奥に踏み込めないのが、もどかしい。
今、自分は彼女にとって、どのくらいの距離にいられているのだろうか……?
《せっかく良縁に恵まれた場にお邪魔できたことですし、お近くに素敵な殿方はいらっしゃいますか?》
エメリアのお道化た言葉に、クランツは体の奥が熱くなるのを感じる。
彼女が自分以外の男に縁を持たれると考えるだけで、体中が煮え滾るようだ。
まして、あれが自分のことを暗に示してくれていたと思うのは、考え過ぎだろうか。
(――悩んでても仕方ない。今は今、僕にできることをやろう)
近頃自警団チームで暗黙の了解になっている信条を心中で呟き、クランツも気勢を正す。
そんなことをクランツが考えている内に、前を歩くクラウディアが足を止めた。
彼女の背中から脇に出て、彼女の前に現れたその男の姿を見て――クランツは、天を仰ぎたくなった。
彼女の目の前にいたのは、白い礼服に身を包んだ、短い金髪をした長身の青年だった。細身の体躯は健康的に引き締まっているのが服の上からでもわかり、空色の瞳は清く澄んで、クラウディアに注ぐ視線は一点の濁りもなく、それでいて情熱的な光に満ちていた。極めつけに、溢れんばかりの輝きに満ちたその青年は、傍らに色とりどりの花飾りに彩られたサマードレスに身を包んだ花嫁を従えていた。
何というか――今のクランツでは太刀打ちできそうにない輝きを放つ男がそこにいた。
クランツの内心をよそに、現れた新郎の青年はしばし言葉を失っていた。それをどう勘違いしたのか、彼を連れてきた三人の青年が、口々に彼をはやし立てる。
「おいおい、どうしたぁ? まさかホントにタマ抜かれちまったんじゃねえだろうな?」
「メリィの目の前で失礼な奴だぜ。新婚だろお前!」
「ちょっとあなた達やめてよ! カイルはそんな人じゃないでしょ!」
「どうだかなぁ。メリィも十分綺麗だが、この姉ちゃんも侮れねえんじゃねえか?」
「もう! あんた達、カイルにもお客さんにも失礼よ!」
花嫁に一喝され、三人の青年は興気に肩をすくめる。威勢のいい花嫁さんだな、とクランツが感心する中、呆然としていた新郎――カイルに、花嫁メリィが怪訝に思って声をかけた。
「どうしたの、カイル? まさか……本当に目移りしたんじゃないでしょうね?」
詰るような声をかけるメリィの言葉に、カイルは意識を取り戻したように口を開いた。
「その、紅い髪と紅玉の瞳――まさか、貴女は……あの『紅勇』ですか?」
カイルが感激すら伴って口にしたその名を聞いた途端、その場にいたメリィと三人の青年の空気が、途端に色を変えた。
「へ……『紅勇』って、あの?」
「王都襲撃戦の時の……自警団の団長⁉」
「おいおい……伝説の英雄様じゃねえか!」
三人の青年が口々に昂ぶった声を上げ、カイルの後ろにいるメリィですら驚きに言葉を失っている。その反応に、クランツは歯噛みしたくなる。
どうして、この町の人達はそんなに『紅勇』の名前を崇めるんだ。
彼女は、不用意に過去に触れられることを好まないのに――!
やり場のない鬱憤とした思いから、思わず声を上げようとした所に、
「はっはっは、何やら面白いことになっているようだね、カイル」
緊迫しかけた空気に似合わない、飄々とした声が、クランツの背後から聞こえてきた。
クランツが背後を振り返ると、そこには一風変わった空気を纏う中年紳士が立っていた。灰色の混じった頭髪に鼻の下を飾る整った髭、白いスーツを優雅に着こなし不敵に笑うその出で立ちには、風紀と年紀を感じさせる余裕が見える。
「親父……」
その紳士を目にしたカイルの漏らした呟きを聞き、クラウディアは得心する。
市長の息子であるカイルの父親――つまり、この人が。
クラウディアの思考を先読みしたように、紳士はグラスを傾けながら慇懃に一礼し、
「レオーネ市長、クラウズ・レインハルトだ。宜しければ少し話さないかね、『紅勇』殿」
カイルとメリィ、それにクラウディア達に視線をぐるりと回した後、そう誘いをかけた。
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