第6章 海浜都市レオーネ編 第2話(2)
自警団協会レオーネ支部は、レオーネ東通りの中程に居を構えていた。円環に剣と盾を重ねた自警団協会の紋章を彫られた看板が、軒先に掲げられている。
クラウディア達がドアを開けると、こじんまりした部屋の中、民間からの依頼書を所狭しと張られた掲示板と、その奥で欠伸をしていた鳶色の髪の青年の姿が目に入った。青年は入ってきたクラウディア達に気が付くと、特に悪びれる様子もなく、おもむろに言葉を投げてきた。
「いらっしゃい。君達かな、王都からの派遣組っていうのは?」
初見でしれっと所属を見抜いた穏やかな瞳の青年に、クランツが呆気に取られる中、クラウディアは動じることなく受付に近付き、青年に名乗る言葉を返した。
「クラウディア・ローナライト以下三名、王都ブライトハイトからの派遣組で間違いないわ。私達のことを知っているということは、ハーメスから連絡を受けてくれていたのかしら?」
「もちろん。ゴールディさんや市長の爺さんにも随分気に入られてたみたいだったね。ま、あなたが旗振り役なら、それも道理ってもんか」
言うと、青年はおもむろに立ち上がり、クラウディアに深く一礼し、改めて名乗った。
「僕の名前はベイル。レオーネ支部で受付をしています。ようこそレオーネ支部へ。そして、お会いできて光栄です、『紅勇』――クラウディア・ローナライトさん」
飄々としながら誠意を感じさせる返礼に、クラウディアはどこかやりにくそうな表情になって、ベイル青年に言った。
「シャーリィ様もそうだったが……君達は随分と『あの頃』の私を覚えているようだな」
「そりゃそうですよ。今のレオーネがあるのはこの自警団があるおかげ、そしてそれがあるのはあなたの『あの時』の活躍があってこそなんですから。はぁ、カイルにも会わせてあげたいなぁ」
「カイル?」
訊ね返したクラウディアに、ベイル青年は溜め息混じりに言った。
「市長の息子で、僕達の仲間で、このレオーネ自警団のリーダー、そして今日聖塔で結婚式を挙げてた男、今日の主役ですよ。あなたがこの町に来てると知ったら喜ぶだろうなぁ。あ、結婚式のことは知ってますか? 僕も行きたかったんだけど、留守番を離れるわけにはいかなくってねぇ」
苦笑して言うベイル青年の言葉に、クラウディアは首肯した。
「ああ、シャーリィ様に挨拶がてら、様子を見させてもらった。シャーリィ様に紹介を頂いたので、これから市長様の方にもご挨拶に伺うつもりだ」
「ならぜひ行ってあげてください。カイルも喜ぶと思うし、僕らやレオーネが何であなたにそこまで影響を受けてるのか、きっとわかると思いますよ。それと、あなた達の『事情』の件ですが」
さらりと口にされた重大案件に、クラウディアすら一瞬硬直する。
この青年、無害そうな顔して心臓に悪い――後ろにいたクランツはそう思った。
「そのことまで、もう伝わっているのか」
「ハーメスから連絡が来た時、ざっと断片的にですけどね」
驚くクラウディアを尻目に、ベイル青年はあくまで穏やかな口調で言った。
「こっちでも話し合って、だいたい統一見解は出てるんですけど……ま、そこもカイルや市長さんと話してみて決めてください。たぶんそれで『答え』は出るはずですから」
「ああ、わかった。話を早くに回してくれて感謝する」
「いえいえ、何でもないことですよ。僕達は、貴女に連なる自警団の人間ですから」
ベイル青年はそう言って。クラウディアの紅玉の瞳をあくまで穏やかな視線で見つめた。なぜか、その瞳に己の器を見られている気がして、クラウディアはどこか所在なさげだった。そこに、エメリアが割って入る。
「ベイルさん、エメリアちゃん達の今夜の宿の手配をお願いしてもいいですかぁ? エメリアちゃん達、一刻も早くカイルさんと市長さん達の所にご挨拶に行きたいのでぇ」
「おっと、そういうことか。なら任せておきなよエメリアちゃん」
エメリアの依頼に軽く返し、色男めいたウィンクなど飛ばしてみせるベイル。
その軽い様に、クランツは先程町に入り際に会った三人の青年と重なるものを感じた。
ベイルに宿の確保を頼むと、三人はギルドの詰所を出て、その足で市長邸へ向かった。
「ん~、何かこの町のお兄さん達に大人気みたいですねぇ、お嬢様」
翳りを帯び始めた陽の光を浴びる白石葺きの道を歩きながら、エメリアが何の気なしに零す。クラウディアは何を言うこともないと思っているのか、特に何も返さず足を急がせる。
言葉にこそせずなれど、クランツもそれは同じ印象だった。ベイルにしろ、これから会うカイルやレオーネ市長、そして六星の巫女シャーリィでさえ、皆クラウディアを一様の印象で評価していた。
すなわち、『紅勇』――七年前の戦乱の時に彼女に付けられた英雄の称号。
実際、彼女の活躍と自警団の設立は王国の人々に勇気と希望を与えるものだったろうし、それにカイルやベイル、この町の自警団が何か影響を受けているのは事実なのだろう。だから彼らの彼女を見る視線には、おそらく一切の害意がない。
しかし、とクランツは思う。彼女自身はおそらく、その二つ名で呼ばれることをあまり好んでいない。彼女にとってそれは人々の視線から与えられた後付けのものだし、それに何より、彼女にとって過去の話はデリケートな問題だということを、自分はもうわかっている。彼女が救いきれなかった人も多くいたはずのあの戦乱の時のことを含め、彼女の過去に不用意に触れてはならない。それをあの人達は、きっとあまり考えていない。
過度な英雄視は、彼女を悩ませる――そこまで考えて、クランツは彼女のその悩みを解きほぐすために何の言葉をかけることもできない自分の奥手さにまた胸が重くなるのを感じた。そういう所は、エメリアやあの三人のナンパ青年達を見習いたいとすら思う。
と、当のエメリアがクラウディアの隣に並び、固い面持ちの彼女に話しかけた。
「どうかなさいましたか、お嬢様? お顔の色が優れないようですけど」
「いや……お前の言った通りだと思ってな、エメリア」
ふぇ?と小首を傾げるエメリアを穏やかな眼差しで見ながら、クラウディアは言った。
「この町の人々は随分と『あの時』の私のことが印象深いらしい。何故だろうかと思ってな」
そう語るクラウディアの声にしかし、微かな陰りが混じっていたのを、クランツは聞き逃さなかった。それはおそらくエメリアもそうだったろう。
そして自分はそこから先に踏み込めなかった。エメリアなら、この先どうする……?
クランツのそんな思惑を知ってか、エメリアは驚くほど平然とした様子で言葉を返した。
「ん~、どうしてでしょうねぇ。やっぱり、あの時のお嬢様がカッコよかったからじゃないですかぁ? お嬢様のご活躍は今でも王国中で持ちきりでしょうし」
「そんな、理由で……」
クラウディアが小さく歯軋りをする音が聞こえた気がした。慌てて考えもなく仲裁に入りかけたクランツを、エメリアの続く言葉が押しとどめた。
「でも、それはそれ。あの方達はあの方達の色眼鏡でお嬢様を見ているだけです。お嬢様がそこまで気にする必要はありません。誰がどう見ようが、お嬢様はお嬢様自身なんですから」
その言葉に、クランツのみならず、クラウディアまでが思わず息を呑む。エメリアはいつもならぬ真剣な調子で、淡々と言葉を続けた。
「お嬢様やアルベルト様達の働きが、あの日の王都を救い、クランツさん達を救い、窮地に陥りかけた王国を支えたのは事実です。けど、それを美談にして語って酔いたいのは人の勝手。お嬢様の人としての芯には、一切関わりのないことです」
そして、背の高いクラウディアの瞳を、魂を注ぎ込むように見つめながら、決然と言った。
「私の愛する、誇り高きクラウディアお嬢様が、人の顔色を窺って気分を削がれるようなことはありません。でしょう?」
「…………!」
言葉を失くしたクラウディアの心から、黒い霧が晴れていくのが見えた気がした。
それを見て、聞いた時――クランツは、やはり、敵わない、と思った。
一切の無理なく、自然に、彼女の深い所まで辿り着き、それを難なく解きほぐしてみせる。
それは、彼女がクラウディアのことを長い付き合いの中でよく理解しているからだ。
やはり、自分などでは、まだ――――、
「ほらぁ、クランツさんからも何か言ってあげてくださいよぉ」
「……え?」
失意に沈みかけていたクランツは、呼びかけるエメリアの言葉で我に返った。見ると、エメリアは何やら含みのあるにっこにこスマイルでこちらを向いている。
「エメリアちゃんからの励ましタイムは終わり。今度はクランツさんの番ですよぉ。まさかお嬢様の騎士様クランツさんが、お嬢様のお悩みに何も励ましを言えないなんてこと、ないですよねぇ?」
「う……」
まるでこちらの不安を見透かしたような言葉。試されている、とクランツは直感した。
ふと見ると、クラウディアまでもこちらを見ている。その瞳には明らかな憂いが見えた。
(……やるしか、ないか)
小細工や屁理屈は意味がない。自分の気持ちに素直になるしかなかった。
彼女のその愁いの色を晴らすべく、クランツは心を正し、おもむろに口を開いた。
「クラウディア……エメリアの言う通りだと思います。誰がどんな目であなたのことを見ようが、今のあなたの心には関係ない。それに、あなたが過去にどんな傷を抱えていても、今のあなたはここにいるし……僕は、今のあなたが好きですから」
「ッ……」
不器用ながら真っ直ぐに奥を突くクランツの言葉に、クラウディアがわずかに唇を噛む。
マズったか、と肝を冷やすクランツに、即座にエメリアから陽気なツッコミが入った。
「んもぉ、クランツさん。そういう時は『あなたを涙させる奴は皆ぶっ飛ばしてやる』くらい言って差し上げるのが殿方のお役目でしょぉ? まだまだですねぇ」
「え、っ……そ、そういうものなの……?」
言葉を失くしかけるクランツだが、茶化すエメリアの目にはもう試すような色はなく、いつものハッピーモードに戻っていた。どうにか彼女のジャッジには合格したのだろうか。
「……ふふ」
そこに、小さな笑い声が入り込む。
見ると、クラウディアが微笑を漏らして、二人を見ていた。その瞳にはもう先程までのような憂いの色はなく、表情もどこか吹っ切れたように穏やかだった。
「すまないな、二人とも……つまらないことで心配をかけてしまった」
「いえいえ~、エメリアちゃんはお嬢様が大好きでお助けしたいだけですからぁ。クランツさんも、ね?」
クラウディアの言葉に嬉々として答え、エメリアは平然とクランツに話を振ってくる。それを感謝すべきなのかどうなのか迷いながらも、クランツも素直な気持ちを口にした。
「いちいち先回りされるのも何だけど……僕達のことなら気にしないでください、クラウディア。僕達はただ、少しでもあなたの力になりたいだけですから」
「そうか……ありがとう、クランツ、エメリア」
クラウディアはそう言って、朝露の雫のような微笑みを零した。憑き物が一つ落ちたようなその微笑みに、クランツは自らも心が洗われていくのを感じた。
「それでは、お嬢様の憂鬱も晴れたことですし、市長様のお宅へ急ぎましょうかぁ。早くしないと、パーティ終わっちゃうかもですよぉ。早足早足ぃ~!」
クラウディアの気が晴れたのを確認し、意気揚々と先頭を引っ張るエメリアに景気づけられ、クランツとクラウディアは視線を交わし、彼女に続いて市長邸へと急いだ。
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