第6章 海浜都市レオーネ編 第2話(4)

 クラウズ市長に案内され、クラウディア達は特設会場になっている市長邸の屋上のテラスに通されていた。クランツとエメリア、それにカイルとメリィが同行している。特別な話だとカイルが説明すると、三人の青年は気前よく身を翻しパーティ会場に紛れていった。

 三階建ての屋上には夕涼みに使うようなガラス製のテーブルが白い椅子と共に設えられており、聖塔ほどではないにせよレオーネの町がよく見渡せた。天頂から傾きつつある太陽は少しずつ暮れの色を帯びながら海岸線を染め、眼下の庭では陽気な笑い声が絶えない。

「さて……まずはうちの若いの達が不躾な真似を済まなかったね、紅勇殿」

 クラウズの詫びの言葉に、クラウディアはたまりかねて口を開いた。

「申し遅れました。クラウディア・ローナライトと申します。以後、お見知りおきを」

「ふむ……英雄の称号で呼ばれるのは嫌いかね?」

 内心を見透かしたようなクラウズの言葉に、クラウディアは苦い思いで答える。

「私自身が好むようなものではありません。私はただ、王都の人々を守るために戦ったに過ぎない。栄誉や勲章など、私自身が求めたものではありません」

「クラウディア……」

 苦渋の表情を浮かべるクラウディアを気遣わしげに見つめるクランツを尻目に、

「ふむ、確かに。自分の知らぬ所で名前だけが独り歩きするというのも居心地が悪かろう。それでは貴殿も、貴殿の活躍に与えられた栄誉も不幸というものだな」

 そこまで言って、だが、とクラウズは言葉を継ぎ、クラウディアを見る。

「貴殿に与えられたその勲章も、その栄誉を与えられるに至った貴殿の活躍も、決して無意味なものではなかった。それだけは私達が確信を持って断言して差し上げることができる」

 そして、カイルとメリィに目を向け、興気な笑みを浮かべて、クラウディアに告げた。

「貴殿の活躍に勇気づけられたおかげで、今日のこの二人はあるようなものだからね」

「え……?」

 思わぬ話の展開に顔を上げたクラウディアに、クラウズは眼下で陽気に騒ぐ人々を眺めながら、過去を振り返るように言葉を継いだ。

「恥ずかしい話だが、つい数年前まで、このレオーネの治安は褒められたものではなかった。六星であるシャーリィ様の庇護のもと、町は観光都市としてそれなりの運営を行えていたが、その温床のような環境はこと若者達に力を持て余させてしまっていた。そこにいるカイルも含めて、この町の若者達は目途もない非行に走る者が後を絶たなかった。私もシャーリィ様もそのことに胸を痛めていたが、それを決定的に変える機会を持たなかった」

 クラウズの言葉に、クラウディアを始め、クランツも驚きを隠せなかった。

 この白く輝くレオーネの町が、かつては非行の絶えない町だった……?

「そんな……あのシャーリィ様の庇護下にありながら、そんなことが?」

「想像できんかね? だとしたらそれはこの町が文字通り白く見えるようになったということだろうな。今でもシャーリィ様や貴殿には頭が上がらぬ思いだ」

 言って、クラウズはカイルを一瞥し、再び屋上から見えるレオーネの町に目を向けた。

「それを決定的に変えてくれたのが、七年前――帝国による王都襲撃戦の際の、貴殿らの活躍の報だ。王都が侵略され、あわや王国が帝国の手に落ちようかという時、この町の誰もが平和を脅かされることの恐怖を覚え、安穏と続いていた日々への怠慢を悔いた。だが、獅子奮迅の活躍で王都を守ってくれた貴殿らの姿に、恐れを抱いていたこの町の誰もが感化された。行き場のない若さを中途半端な方向に持て余していた若者達は心機を一転し、この町の平和を守るための仕事に積極的に就くようになった。我が愚息の自警団入りも含めてね。レオーネは自警団の発足のおかげで……ひいては貴殿の活躍で正道に戻れたようなものだ」

「そんなことが……」

 言葉を失うクラウディアに、クラウズの後を受け、カイルが口を開いた。

「親父の言う通りだ。紅勇――いえ、クラウディアさん。あなた達の王都襲撃戦での活躍があったから、俺達は勇気を貰えた。町や家族を、愛する人を守ろうと改めて思えた」

「カイル……」

 隣で見上げるメリィの肩を抱き寄せ、カイルは改めて名乗りを上げる。

「俺は、カイル・ハイヴィント。レオーネ自警団のリーダーを担っています。俺達をここまで導いてくれたのはあなただ……お会いできて光栄です、クラウディアさん」

 そう言ってクラウディアを見つめるカイルの瞳は、今や一点の濁りもなく澄んでいた。

 クラウディアは、奇縁の末にしばし言葉を失っていたが、やがてカイルに言葉をかけた。

「君が……この町の自警団のリーダーなのか」

「かつては非行グループのヘッドでしたけどね。――あなたのおかげで、俺達は変われた」

 ほんのわずかに自嘲を混ぜ、再び澄んだ瞳をクラウディアに向けるカイル。

 その時の彼の瞳に映っていたのは、紛れもなく、彼女に貰った「勇気」だった。

 過去がどうであれ、今の彼は真っ当な人間として信頼できる――そんなことを傍から見ても感じさせるような強く真っ直ぐな瞳。クランツはその、語らずして伝わる彼のような瞳に映る力を羨ましいと思った。

「あ、あの……クラウディア、さん」

 続いて口を開いたのは、彼の腕に肩を抱かれていた花嫁、メリィだった。メリィはカイルの腕から離れて一歩前に出ると、前のめりになるかのごとくクラウディアに歩み寄った。

「私、メリィ・レインハルトっていいます。その……町のみんなを変えてくれて、ありがとうございました!」

 そして、勢いよく深々とお辞儀をした。これにはクラウディアも困惑してしまった。

「メリィさん、顔を上げてください。私自身が彼らに何をしたわけではない」

「で、でも! お父さんの言った通り、あの日からカイルもみんなも人が変わったみたいにしっかりするようになって……シャーリィ様の言うことだってちゃんと聞いてくれるようになったし、カイルもみんなもちゃんとしてくれるようになって、私、嬉しくて……!」

 涙ぐみそうになりながら笑顔になるメリィの肩を、隣に立ったカイルがそっと抱く。

「ごめんな。あの頃の俺らは、ホント馬鹿だったよ。お前を泣かせるなんてな」

「いいの……もう、いいの。だって今日、私達結婚したんだから」

 見上げるメリィと見つめ返すカイルの瞳には、綺麗な喜びと決意の光が宿っていた。

 それを見たクラウディアは、誰にともなく理解する。自分があの時のことをどう思っていたのであれ――自分の行動が彼らを変えたのは、どうやら事実であるらしい、と。

 クラウディアは単に、栄誉の名を印として自らが崇められるのを好まないだけだった。あの時、王都の人々を守るためにアルベルトやサリュー達と共に戦い、至らぬ身ながら王都の人々を守ることができたことは、彼女の心の中に誇りとして刻まれている。

 だから、会うなり『紅勇』の名で自分を見るレオーネの人々の視線に、最初は困惑を覚えた。だが事情を聞けば、彼らがそのような態度を取ることにも得心がいった。自分は、自分が思う以上に、彼らやこの町の人々にとって、それだけ大きな存在だったということだ。

 何より、それをきっかけに結ばれた目の前の二人の幸せそうな笑顔を見ていると、それも悪くないことのように思えてくる。――そう思って、クラウディアは遅れた言葉を告げた。

「遅きに失して失礼だが……カイル君、それにメリィさん。この度は、ご結婚おめでとう」

 自然と微笑みを浮かべていたクラウディアのその言葉に、カイルとメリィは瞳を輝かせんばかりに喜んだ。

「ありがとうございます! まさか貴女に祝ってもらえるなんて……ああ、女神様!」

「もう、カイルったら。でも、本当にありがとうございます、クラウディアさん。私からもお礼を言わせてください。あなたは私達の、そしてこの町の恩人です」

 二人から注がれる感謝感激の眼差しに、クラウディアは不思議と胸が熱く満たされるのを感じていた。彼女の少し後ろに控えるエメリアは上機嫌そうな笑みを浮かべながら、そしてクランツは少しばかり面白くなさそうな顔で、笑顔の溢れるその様を見ていた。

 と、そこにクラウズが口を挟んできた。

「ふむ……ところでクラウディア殿。我が愛娘と愚息の婚礼に立ち会っていただけたのは誠にありがたいことだが、本日はどのような用件でこのような辺境を訪れなさったのかな? 貴殿は本来王都勤めだったように記憶しているが」

 流れを仕切り直すその言葉に、クラウディアは即座に態勢を切り替える。さすがは市長というべきか、そのあたりの事情も汲んでくれていたようだった。

「ええ。本日は市長様にお話があって参りました。これを」

 そして、気持ちを切り替えたクラウディアは王都からの使者として、アルベルトから言付かっていた親書を渡し、クラウズがそれを受け取ったのを見て、さらに言葉を続けた。

「現在、私を始めとする王都自警団の一隊は、ある特殊任務のために王国を巡っています。指令の主は国府政務官にして元王都自警団団長、『白智』アルベルト・ハインツヴァイス公。内容は、ベリアル宰相の推進する『最終兵器』開発計画阻止のための協力者集めです」

「『最終兵器』……? 何やら物々しい響きだね」

「詳しくはアルベルトがその親書に記してくれているはずです。こちらからも順を追って説明します。おめでたい日に何ですが、中身を改めていただければ」

「ふむ……では失礼しよう」

 言って、クラウズは親書の封を開け、中身を広げてざっと目を通す。そしてややの時間を使って文面を洗い終わると、うぅむと難しそうな唸りを上げた。

「どうやら随分と機密性の高そうな話だね。ではこの二人は下げさせたほうがよいかな? 何なら我々も中に入るか、日を改めようか」

 カイル達を見ながらのクラウズの言葉に、クラウディアはわずかに考えた後、言った。

「いえ、彼がこの町の自警団のリーダーということなら、せっかくの機会です。この話はできるだけ力ある理解者がいてくれることが望ましい。市長様は元より、民間勢力である自警団の協力もあるに越したことはありません。ぜひ、彼らにも話を聞いてもらって協力を仰ぎたい」

「ふむ、了承した。では話を聞こう。そちらの二人の従者もそれでよいのだろうね?」

「無論です。クランツ、エメリア、いいな」

「は、はい!」「もちろんですぅ」

 確認のようにかけられた言葉に、クランツとエメリアは揃って返事を返す。それで心の準備ができたのか、クラウディアは説明を始めた。

 ベリアル宰相の押し進める『最終兵器』――『魔戒』開発計画について、現在わかっていること。魔女の魂を犠牲にするというその兵器の威力の規模と、地下空間で建造が進められているということ。そして、アルベルトに指令を受けて王国巡業を始めてから事あるごとに妨害を仕掛けてきた謎の勢力十二使徒の存在と、その背後に見え隠れする、彼らの大元であるだろう《六星の巫女》ゼノヴィア、そしてベリアル宰相の影。

 一通り話を聞き終えた後、クラウズは鬱然とした息を吐いた。

「どうやら、ベイル君から聞いていたのはこの件のことだったようだな。貴殿の話を聞いて、ようやく話が線で繋がったような気がしたよ」

「では……!」

 慎重に様子を窺うクラウディアに、クラウズは余裕の笑みすら浮かべて言った。

「そう畏まらないでくれたまえ、紅勇殿。我らが貴殿の信念に共感する者だということは、先の話から分かっていただけたものと思うが」

 クラウズの言葉に、クラウディアに代わりエメリアが前に身を乗り出した。

「じゃあ、協力していただけるんですね?」

「そのような計画を水面下で進める宰相殿の思惑も知れたものではないが、ことこのレオーネはシャーリィ様の庇護下にある町だ。シャーリィ様がそのような話を放っておくはずもなかろうし、この町の人々は皆シャーリィ様を愛している。そしてこの私とそこのカイル――市長と自警団、それに六星、この町の三頭が同意するとなれば、文句はなかろう」

「……ありがとうございます、市長様」

 痛み入る様子で頭を下げたクラウディアに、後ろからカイルが言葉をかけた。

「お礼を言うのはこっちですよ、クラウディアさん。俺達は、あの日のあなたみたいに、この町のみんなを危機から守りたいと思って頑張ってるんだ。もしもその話を知らないまま、町のみんなに危険が迫るのを放っておいていたら、俺達の活動の意味が無くなっちまう。こんな末端の俺達にそんな大きな情報を提供してくれて、感謝するよ。俺達もあなた達と共に戦う。この王国の人達の平和を、みんなで守ろう」

「カイル……」

 隣に並ぶメリィが彼の顔を見上げる中、熱い瞳を向けてくるカイルに、クラウディアは得体の知れない感慨が全身を満たしていくのを感じながら、それに答えた。

「カイル君……ありがとう。君も立派な自警団員だな」

「ッ……ありがとうございますッ! 貴女に続く者として、これからも頑張ります!」

 万感の思いと共に勢いよく頭を下げ、堂々と宣言してみせるカイル。それを呆れ半分ながら喜色を浮かべて見つめるメリィと、微笑ましげに見つめるクラウディア。

 何だか彼女の弟分が一人増えたようで、クランツは少し面白くない気分になった。

「さて、ひとまず話は済んだことだし、我々もそろそろ会場に戻ろうか。主賓が揃って場所を開けっぱなしでは、せっかくの会場も興が醒めてしまうだろう」

 そして、クラウズは優雅に身を翻すと、屋内に続く階段に足を向けながら、

「私は今日の内にシャーリィ様に会ってこの件について示し合わせた後、明日にも集会を開いて皆にこのことを伝える。カイル、お前の方もその後でいい、自警団の皆にこの話を伝えてやれ。ああ、今日でなくていいぞ。今夜は新婚の二人には大事な夜だからのう」

 はっはっは、と愉快そうに笑って、階段を降り、屋内へと消えていった。

「お、親父……」

「も、もう、お父さんったら……」

 クラウズの『置き土産』に揃って居たたまれなくなるカイルとメリィ。

「……? 大事な夜?」

 一方、その意味する所を汲み取れなかったクランツに、

「もう、クランツさんもやっぱりまだまだお子様ですねぇ。結婚初日の夜に新婚夫婦がやることなんて、一つしかないでしょう?」

「え……」

 その言葉が頭に沁み込むより早く、エメリアはクランツの耳元に口を当て、くすぐったい熱を帯びた吐息と共に囁いた。

「(初夜ですよ、初・夜。知りません?)」

 エメリアの、その感情まで伝わってきそうな熱を帯びた吐息に、全身が痺れそうになる。何というか、その言葉をその熱っぽい声で耳から直接流し込むのは、ずるい。

 ふと隣を見ると、クラウディアは早々に階段に向かうように、こちらに背を向けている。その体からほんのりと熱が漂っているのを、エメリアのみならずクランツも感じていた。

「……ここでの用は済んだ。行くぞ、クランツ、エメリア」

 そう言って早々とその場から立ち去ろうとするクラウディアの背中を眺めながら、エメリアが近臣の親しさを込めた笑みを漏らす。

「(ふふ、やっぱりお嬢様もまだまだ初心でらっしゃいますねぇ)」

「(君に言われると、誰でも形無しだよ……)」

 その言葉にクランツは頷き、エメリアと共に階段に向かうクラウディアの隣に並んだ。

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