第56話 さようなら、実花

気が付くと、私は何も無くただ薄暗い空間に立っていた。

「あれ? ここは……どこ?」

一体何が……起きているんだ、の?

ちょっと記憶がはっきりしないな。なら順を追って整理して……


まず私はどうやってここに来た?

ええと、自分からここに来た記憶は……無いな。

て事は意識が途切れている間にここに流れ着いたのか、それとも誰かに運ばれたのか?

ん…………誰かに?

今一瞬何かが閃いた気がする。私が最後一緒にいた誰かと言えば――


そうだ!!

「バステト様! アヌビス様! 何処!?」

一緒に空間の穴に吸い込まれたんだった!!

慌てて辺りを見回し少し離れた場所に見えたのは、灰色の地面に横たわる二つのモフモフ!

急いで駆け寄り、まずバステト様を抱き起こ……して……


バステト様の身体は私の手で起こされた背中から首も腕も力無く垂れ下がり、まるで糸の切れた操り人形のような――

「ひゃうっ……」

その身体からはバステト様の意思――どころか存在すらも全く感じられなかった。


そのあまりの衝撃に一瞬力が緩み、そのせいでバステト様の身体が私の手からずり落ちそうになる。だめっ!

慌てて両手でしっかりと支え直すと、そのままその身体をそっと地面に下ろした。


まさか……そんな……まさか……

バステト様が…………………………死んじゃった!?


「そうだ、アヌビス様は!?」

そうだよ、アヌビス様は死を司る冥界の神様だったはず。

それならアヌビス様の力でバステト様を――


一縷の希望に縋り、私はすぐ横に横たわるアヌビス様を抱き起こした。でも――

「嘘……そんな……アヌビス様まで……」

そのアヌビス様もまた、抱き寄せた身体から一切の力も存在も感じる事は無かった。

どう……したら……




……それからどれくらい経っただろう。

モフモフの奥に悲しい冷たさを感じさせる二人の身体。その温かみの無いモフモフをギュッと抱きしめた私はもう何も考える事が出来ず、その場に蹲ったままただただ時が流れるのだけを感じていた。

とその時――


「見つけたっ!」

私の目の前に突如として白い光が溢れ、周囲の薄暗さを消し飛ばした。

そしてその光の中から現れたのは――

「天照、さま……?」


ああ、ずっと会いたかった懐かしいその姿……

そしてじっとわたしを見つめるその顔には以前と変わらぬ穏やかな笑みが……

「うわああああああぁぁぁん!!」

――その瞬間、私の感情は一気に爆発した。




泣きじゃくる私をただ黙って抱き寄せてくれる天照さま。その胸から伝わる暖かさに私の感情は高まり波打ち、そして涙腺には新たな熱が生じ――

そんな永遠とも思える時間が流れていったけど、やがて……


ようやく落ち着いた私は天照さまの胸から一歩下がり、そして天照さまにこの大変な事態を伝えた。

「天照さまっ、バステト様とアヌビス様が――」

そんな私の言葉を遮るように天照さまは優しく微笑み、そして……

私が一番聞きたかった言葉を掛けてくれた。


「大丈夫、大丈夫よ。ふたりは大丈夫。だからね、安心して」


大丈夫……そうか、二人とも大丈夫なんだ……

そうかぁ……よかった……うう、よかったよぉ……


ほっとした私は力の抜けた表情で天照さまに視線を返し、その笑顔を見てようやく自分がまだ大事な一言を伝えていなかった事に気付いた。

「天照さま、ただいま!」

…………あれ?




一体どうしたんだろう。

私の『ただいま』にすぐ『お帰りなさい、実花』って返してくれると思ってたのに、天照さまから返ってきたのはただただ悲しげな表情だけだった。


「天照……さま?」

私の訝しげな表情に気付いたんだろう。一瞬ハッとした表情を見せた天照さまだけど、すぐに表情を改め……そして私の運命を告げるその一言を発した。


「ご苦労様、そしてこれまでありがとう……




――――嗚呼ああ




その瞬間、私は悟った。

悟ってしまった。

私の中に……『実花』がいない事に!

そう、私は……私は………………


「そっか……『実花』は……天照さまの元へと帰った、だの?」

「ええ。今まであなたの中にいた実花は、空間の断裂が生んだ渦にあなたと共に巻き込まれ……その強い歪みによってあなたと分離してしまったの。そしてバステト様やアヌビス様の本体と一緒に、私達の住む神界へと流れ着いたの。あなたがさっきそこに投げ捨てた身体はその抜け殻なの」

あ、私……天照さまに抱きつく前にあの二人を放り投げてたの!




――私の中から去ってしまった実花。

でもその記憶は今も全部私の中に残っている。

小さな頃の思い出、日本での生活の日々、突然巻き込まれた事故、それに神界での天照さま達との日々……

そんな実花の記憶が私の中に全部残っているんだ。


「そうね。その記憶を持つ今のあなたは『もう一人の実花』と言える存在だわ。だって、実花もまた『ミカ』としての全ての記憶を持ち帰ってきているのだから」


そうだの、遠い異世界で事故死したもう一人の私は、今神界で第二の人生を送っているの。おかしな神様達が訪れる素敵なお店で……


だから私も彼女に――実花に負けない人生を送ろう。

まず最初にやるのは……そう、私の世界で実花のやりたかった事を実現させ――

「っそれはやめてね!?」

……うん、多分そう言われると思ったの。

だって……だって、ホントは私も『それはやっちゃダメ』って思ってるんだの!

ミカは常識的なドワーフ少女だの!




「それでは最後に私からあなたへお礼とプレゼントよ」

そう言って空中に差し出した天照さまの手のひら、するとそこから二つの温かみのある光の珠がふわふわと浮かび上がり、そのキラキラのふわふわはもふもふの中へと吸い込まれていった。

そして――


「にゃあ! 無事に入れたにゃ! 折角馴染んできたこの身体とはにゃれるも惜しいって思ってたから丁度良かったにゃ」

「ワン! それに我はあちらの世界ももっとゆっくり見て回りたかったワン。アディショナルタイムは長めに頼むワン」


ああ……

あああ……

ああああっ!!


「バステト様ぁ! アヌビス様ぁ!」

再び動き出した愛らしいもふもふ達を、私はぎゅうっと抱き締めた。

「ミカ、くっ苦しいにゃ……」

「て、手加減を求む……折角入れたこの身体から……また魂が押し出されそうだワン」


そんな私達を微笑ましそうに見ていた天照さまだったけど……私が落ち着いたのを見て、一体どういう事なのかを説明してくれた。

「この子達の身体に入ったのはね、バステト様とアヌビス様の『分御霊わけみたま』――つまり魂の欠片みたいなものなの。分御霊はその身体を維持して動かせる程度の神力しか持っていないから……まあ言ってみればただ可愛いだけの役立たずね」

「にゃんて事言うにゃ!?」

「お主、実は毒舌キャラだったワン?」


見上げる二人の可愛い猛抗議をサラッと受け流し、最後に天照さまは笑顔でこう締めくくった。

「まあでも個性的で賑やかな二人だから、一緒にいたら寂しさとか感じる暇はなくなっちゃうと思うわ」




そうだの、二人がいればきっと寂しくたって平気だの!

一人のミカに戻った私は、これから一人でミカとして生きていくだの!

バステト様、アヌビス様、そんな私をどうかよろしくだの!

そして天照さま、素敵なプレゼントをありがとうだの!

それから――




さようなら、実花。もう一人の私!

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