第64話 借用書の束

 ヘイエルを出て11日目にゲドラスの街に到着、エレウス通りのクロドス商会に向かう。

 店の前には立派な馬車が横付けされていたので、ミューザに指示して裏口に回させる。

 店の者が不思議そうな顔で馬車を見ていたが、俺が馬車から顔を見せると顔見知りの使用人が頷いて案内して呉れた。

 表の馬車は貴族のもので賓客とは言えない厄介な奴の様で、旦那様も持て余しているのですと心配顔で教えてくれた。


 裏口から店の方に向かうと、大声が聞こえて来る。


 「此れほど頼んでも断るのか、我が領地に支店を出す事を許し融通してやった恩を忘れ・・・」


 「フェリザイ様、ご融資した金貨4,500枚の利息すら返済頂いておりません。これ以上のご融資は無理で御座います。私どもも商いです、これ以上は私どもの商いに支障をきたしますので、お断り致します」


 「おのれ! 商人風情の分際で伯爵たる我に、その物言いは許せん! 我が頭を下げての頼みを断るなら、相応の覚悟をしておるのだな」


 「相応の覚悟って、面白い事を仰いますなフェリザイ伯爵様」


 「誰だ、その方は無礼であろう」


 護衛の騎士達が腰の剣に手をやるが、殺気を飛ばして牽制する。


 「失礼しました。私はこういった者です」


 コーエン侯爵様発行の身分証を見せる。


 「ふん、コーエン侯爵殿の使用人か。なら貴族の話に口を挟めば、斬り捨てられても文句は有るまいな」


 「それは重々承知致しておりますが、私も主人の名代として、クロドス商会にやって参りました」


 「ほう、コーエン侯爵殿の代理人としてだと」


 「はい、その為に身分証をご覧頂きました。クロドス商会とは浅からぬ縁が有り、黙って見過ごせば主人からお叱りを受けます。クロドス様も無理と申しておりますので、今日の所はお引き取りを願います」


 「ふん、良かろう。だがその方の事は忘れぬぞ」


 黙って頭を下げると、足音荒く帰って行った。


 「ハルト様、大丈夫なんですか? その、あれの事は存じていますが、伯爵様相手にあの様な物言いをして」


 「大丈夫ですよ。以前もお達しが出て静かになったでしょう。フィシアちゃんのお加減は如何ですか」


 姉とミリーネを紹介して、その日はクロドス商会に一泊する事になり、食事の後サロンでフェリザイ伯爵の事を詳しく尋ねてみた。

 

 ダルヴァ・フェリザイ伯爵ハイベルグ領ザイントの領主である。

 塩・砂糖・香辛料等を取り扱う問屋が無いので、ザイントの街に店を出して貰えないかと持ちかけられたのが付き合いの始まりだと。


 その後は便宜を図った見返りに度々金貨を要求、質の悪い事に借用証を書いて差し出す。

 踏み倒したり無理難題を言って、金を巻き上げている訳では無いとの体裁は整えている。

 なかなか律儀な悪党の様だ、ならその律儀さを利用させて貰おう。


 「クロドスさん、フェリザイ伯爵の借用書を、金貨4,500枚で引き取らせて貰えませんか」


 クロドスさんも、婿のランドやマーリンも俺が何を言っているのが理解出来ない様で、ポカンとしている。


 「なに損をする気はさらさらありませんので大丈夫ですよ。フェリザイ伯爵が何か言ってきたら、身分証の事と何故王家のお達しが出たのか話してくれて構いません」


 翌日ゲドラスの商業ギルドにクロドスさんと共に出向き、金貨4,500枚をクロドスさんの口座に振り込む。

 クロドスさんからは、フェリザイ伯爵の借用書九枚と金貨4,500枚の受取証を貰い、王都に向けて旅立った。


 「ハルト大丈夫なの、相手は伯爵様なのよ」


 「大丈夫だよ、姉さん。利子をたっぷり搾り取ってやるさ」


 たっぷりとね、奴が後悔する程搾り取るとは口に出さないでおく。

 その代わり、安心させる為にコーエン侯爵様の身分証を見せて解説しておく。


 「侯爵様の身分証、此れって侯爵様の代理人扱いなんだけど、もう一つ強力なのを持っているんだ。まあ、押しつけられたってのが正しいんだけどね」


 侯爵様の身分証と並べて王国の身分証を見せて、説明する。


 「こっちは王国発行の身分証、信じられないだろうけど宰相閣下や公爵閣下と同等の威力・・・権威が有るものなんだ。何故俺が持っているかの説明は、長くなるから暇な時にするよ。本物だとの証明は王都に入るときに判るよ」


 * * * * * * *


 〈どけどけ! ダルヴァ・フェリザイ伯爵様の馬車だ! 道を空けろ!〉


 護衛騎士の隊列が、怒鳴りながら俺達の馬車を追い越していき、華麗な彫刻を施した馬車が横に並び掛けてきた。


 〈バッシーン〉馬車の車体が音を立てる。

 〈パシーン〉二度目のムチの音と〈アーッ〉と御者席から悲鳴が聞こえ、馬車が揺れ出し傾いて止まった。


 姉が泣きそうなミリーネを抱きしめて、世話係のエラーシャも心配気だ。


 「ミューラどうした」


 「ハルト、奴等追い越し様に鞭打って行きやがった」


 「ヤハン達に怪我は無いか」


 「俺達は避けたから大丈夫だが、馬車とミューラを鞭打ちして行きやがった」


 傾いて止まった馬車から下りると、ミューラが顔を押さえていて指の間から血がしたたり落ちている。

 ミューラの傷は、顔を斜めに鞭打たれて皮膚が弾けて無残な有様で、片目も潰れている。

 急いで怪我を治療する為に御者台に上り、ミューラの傷に手を当て魔力を流し込み身体全体に張り巡らせる。


 〈えぇーッ・・・まさか・・・そんなぁ〉


 「ミューラ、傷は痛むか」


 「えっと・・・大丈夫です、痛みは無くなりました」


 「目も見えるな」


 「目・・・ですか、見えますけど?」


 「ハルトって治癒魔法も使えるんだ」

 「俺、初めて見た」

 「ホヘッ、ハルトが治してくれたの?」


 「それは良いけど、ダルヴァ・フェリザイ伯爵と抜かしていたな」


 「茨の輪に、交差するエルクの角の紋章だったぜ」

 「ああ、笑いながら通り過ぎて行きやがったよ」


 ミリーネに怪我が無くて幸いだったが、許してはおけんな。

 路外に落ちた車輪を持ち上げて、壊れた所がないか確認して出発する。


 夕暮れ前混雑する王都入り口、貴族達の馬車も多数並び入場待ちをしている。

 最後尾に止まると、ヤハンが少し前に交差したエルクの角の紋章が見えると言ってきた。

 丁度良い、満座の中で恥を掻かせてやる。取り立ては後日、俺にちょっかい掛けた事を後悔するほど搾り取ってやるぞ。


 ヤハンに侯爵様の身分証を預けて、他の貴族や衛兵に文句を言わせるなと言いおき、馬車列の横を通って前に出る。

 駆けつけてきた衛兵に王国発行の身分証を示して、衛兵隊長と手すきの兵を呼べと命令する。

 直立不動で敬礼して、慌てて隊長を呼びに駆け戻っていく。


 部下を引き連れ駆けてくる衛兵隊長が俺の前で敬礼するのを、居並ぶ貴族の護衛達が興味津々で見ている。

 身分証を見せると、敬礼の後問いかけてくる。


 「如何なさいましたか、ハルト様」


 「悪いが後ろにいる、ダルヴァ・フェリザイ伯爵の前後を固めろ。俺が許可するまで一歩も動かせるな」


 敬礼と共に部下に指示を出し、ダルヴァ・フェリザイ伯爵の隊列の前後に兵を配置する。

 フェリザイ伯爵の馬車に向かいながら、護衛の騎士達に殺気を浴びせていく。

 馬の怯えたいななきと蒼白になる護衛の騎士達、俺の横を歩く衛兵隊長が異変を察して緊張している。

 御者席に座り震える男を、襟を掴んで引きずり落とし、〈鞭の返礼だ〉と言って顔に木剣の一撃を喰らわせて顔の形を変えてやる。


 「フェリザイ伯爵、馬車から下りろ!」


 馬車の窓が下がり、汚い顔が覗く。


 「何だ貴様は、コーエン侯爵殿の身分証を持つとは言え、無礼千万であろう!」


 「ツベコベ言わずに下りろ!」


 「お前達、何をやっている! この無礼者を斬り捨てろ!」


 馬車の後方に控える騎士達が下馬して向かって来るが、殺気を浴びせると足が止まる。

 面倒なのでアイスバレットで馬車を穴だらけにしてやったら〈ヒッ、ヒィー、たっ、助けてー〉何て情けない悲鳴を上げている。

 壊れたドアをこじ開けて、傷だらけのフェリザイ伯爵に下りろと命じる。

 馬車の中で嫌々をする伯爵の顔面に、アイスバレットを射ち込むと血塗れの顔で必死に下りてきた。


 「よくも御者と馬車を鞭打ち、路外に落としてくれたな。お前には貴族の品位などは無いのか、貴族の名を声高に叫び、傍若無人に往来を闊歩する屑が」


 「おっ、お許しを」


 「クロドス商会での事も許しがたいが、後日改めて今日の礼をするので覚悟をしておけ!」


 そう言ってクロドス会長から貰った、金貨4,500枚分の借用書の束と領収書を目の前に突き付ける。


 「お前の代わりに金は払っておいた。つまり取り立ては俺がするので、元金と利子を用意しておけ」


 借用書と領収書を交互に見て、呆然とするフェリザイ伯爵の顔を蹴りつけてから、衛兵に馬車を通して良しと許可して、自分の馬車に戻る。

 フェリザイ伯爵も注目の的だが、俺も顔をしっかり見られてしまい恥ずかしいぜ。

 まあ、穴だらけの馬車で王都と貴族街を通るのは、俺より恥ずかしいだろうから良しとする。


 * * * * * * *


 グランツ・ホテルに泊まるには人数が多すぎるので、馬車を預けられる〔ドブルク・ホテル〕を紹介して貰う。

 王都の名を冠するホテルだけありちょっと気位が高く、ロビーに入ると眉をひそめられたが、王国の身分証はよい働きをした。

 この程度には王国の身分証も役に立つと、認識を新たにする。


 * * * * * * *


 ハルトがのんびり王国の身分証の権威について考えている頃、衛兵が王城に駆け込み、ダルヴァ・フェリザイ伯爵の一件を報告していた。

 ブルーゼン宰相の、眠れぬ夜の幕開けである。

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