第8話 ヨウコ。お弁当をお届け!
一か月が経過した平日の朝。
「ん、臭いな」
何やら焦げ臭い匂いが鼻をくすぐったあことにより、サエナイは意識を覚醒させた。
ベッドの上で寝ぼけたまま数秒が経過し。
「焦げ臭い!?」
布団を盛大にどかし、勢いよくベッドから飛び起きると、急いで自室を出て一階へかけ向かう。
リビングへの扉を勢いに任せて開き、台所に行くとそこにはヨウコがフライパンの上に黒い物体を作りながら唸っていた。
「ん~、なかなかうまくできないわね。気が付いたら黒くなったわ」
「ヨウコさん何やってるんですか!?」
サエナイの言葉を聞いて存在に気が付いたヨウコが顔を向ける。
「朝食を用意しようと思ったのですが、上手くできなくて……」
「そ、そうですか」
家事を教えてからヨウコは率先して家事に取り組んでいた。
勉学にもぬかりなく、ヨウコは字をしっかり読めるようにまでなっていたのだ。
しかし、料理だけは苦手なようで、時折り料理を教えてほしいと頼み込んできては、一生懸命に取り組むのだがこれがなかなか上手くいっていない。
「目玉焼きを作っていたのですが……」
そう言ってヨウコはフライパンの上にある真っ黒な物体を見て、尻尾と耳を垂らして落ち込んでいる。
そんなヨウコにどう言葉をかけてやればいいのか分からない。
目玉焼きは生卵をフライパンの上で軽く火を通せば出来上がる初歩中の初歩と言っても過言ではないものだ。
それだけ簡単なものなのだが、こうして墨のように黒くしてしまうほど料理が壊滅的。
「ま、まあ、料理は難しいですから、少しずつできるようになっていけばいいと思いますよ」
「そうですね」
そう言いながら、サエナイはヨウコの代わりに朝食の用意をした。
「今日はお弁当が二つありますね」
「ああ、自分も今日はお弁当にしようと思いまして」
テーブルの上には二段弁当が二つ置かれている。
一つはヨウコ。もう一つはサエナイの。
いつも一人家にいるヨウコのために一か月ほど前からお昼のお弁当を用意するようにしているのだ。
そしてサエナイはお昼はいつも買っているのだが、たまには自分も弁当にしてみようという気分転換と、少し節約の意味も込めて。
朝食を摂り終わった二人は分担して家事をこなしていく。
どのくらい時間が経過しただろうか。
「やべっ、こんな時間か」
サエナイはリビングの壁に設置された時計を見て焦る。
学校へ行かなくてはいけない時間をとっくに過ぎていたのだ。
まだ走って向かえば間に合う。
「ヨウコさん! すみません家事を任せてもいいですか?」
「お任せください!」
自信たっぷりなヨウコの返事を聞きながら、サエナイはスクールバックを手に取り急いで家を出た。
サエナイは朝から全力疾走で学校へ向かっていた。
授業開始のチャイムが鳴るまであと七分ほど。
無遅刻無欠席を成し遂げている以上、ここで遅刻になるわけにはいかない。
通学路の途中にある心臓破りの坂を懸命に上っていた時。
道の端で座り込んでいる女子が目に入る。
サエナイと同じ学校の制服に身を包んだ少し小柄な女子だった。
「……」
その女子に見覚えがあったサエナイは、彼女のもとまで向かうとジト目で見つめる。
体調不良で座り込んでいるならまだしも。彼女は明らかによだれを垂らしながら寝息を立てていた。
制服をだらしない着方をし、長い茶髪はボサボサ。目元にはクマができている。
「はあ」
サエナイはため息を漏らしながら、彼女の名前を口にする。
「優奈、起きろ」
「んあ?」
サエナイに名前を呼ばれた彼女は口から垂れたよだれを制服の袖でぬぐい取りながら、眠たげに瞼を開けた。
彼女の名前は優奈鬱美(ゆうなうつみ)。サエナイと同じクラスの同級生だ。
いつもダルそうにしていて学校もさぼり気味で、単位がすでに危ぶまれているらしい。
鬱美は今にもまた閉じてしまいそうな目で数秒間、サエナイを見つめ。
「おお~、地味でサエナイ奴じゃないか~」
「わざわざ名前を分けるな」
鬱美に対してまたため息が漏れる。
「優奈はここで何をしてるんだ? 学校始まるぞ」
鬱美は目を擦りながら回っていないだろう頭を回転させて口を開く。
「学校に行こうと思ったんだけどさ~。坂を上ってたら疲れて眠くなったから寝てた」
「寝るな」
「寝るのって最高だよね~」
また寝そうな鬱美の様子を見てサエナイは気が付いた。
「まさかお前。よく学校を欠席してるのって、ここで寝てるからか」
「学校に行くくらいならここで惰眠をむさぼるほうがいいかなって」
この坂を上り切れば学校まであと少しだというのに、ここで毎回たどり着けずに眠っているようだ。
サエナイは携帯で時間を確認する。
授業が始まるまであと数分だ。
ここでだらだらと時間を潰している時間はない。
「しょうがないな」
サエナイはそう愚痴りながら鬱美の前にしゃがむ。それを見た鬱美は首をかしげる。
「なに?」
「おんぶして連れていくから早く乗れ」
「おお~、ありがたや~」
サエナイは鬱美をおんぶすると、残りの坂を必死に上がっていく。
「頑張れ私のタクシー」
「なら後で金もらうからな」
「イチゴミルクでいいですか?」
「コーヒー牛乳のほうがいいな」
「フルーツ牛乳は?」
「美味しそうだな」
そんな他愛もない話を繰り広げながら、サエナイは鬱美を抱えて授業が始まる前に学校に到着した。
サエナイが席に着いたと同時に教師が教室に入ってきたため、本当にギリギリだったようだ。
鬱美といえば、自分の席に座るなり机に体を預けて寝始め、後で本当に鬱美から何か奢ってもらおうかと考えるサエナイをよそに、授業が始まった。
:
サエナイが学校に向かうために家を出た後。ヨウコは家の家事に取り掛かっていた。
家事を教えてもらってから一か月の経過しているため、ヨウコは慣れた手つきでスムーズにこなしていく。
最初のころは洗濯物を一つ畳むのに二十分を要していたが、今では一分もかからない。
「ふ~んふふ~ん♪」
鼻歌だって歌えてしまうほどだ。
洗濯物はタオルとサエナイの洋服しかないため、それほど時間はかからない。
慣れた手つきで畳んでいた時。ふとサエナイのTシャツをじっと見つめる。
「……」
まるで花の蜜に吸い寄せられた蝶のようにTシャツに鼻を近づけていき、クンクンと匂いを嗅ぐ。
ヨウコはこれでも本来は狐だ。好きな人の匂いを嗅ぐのは動物的本能と言える。
「クンクンすりすり」
自分の行動を口にしながら洋服に顔を押し当ててしまう。
そのまま数分のあいだ堪能した後、満足そうな顔をして洋服から顔を離して何事もなかったかのように洗濯物を畳み続けていく。
そんなこんなで、サエナイの見ていないところで少し変態チックな行為をしつつ家事をこなしていき。
家事が一通り終わったころ、時間はお昼ごろになっていた。
そろそろヨウコのお腹がすくころだ。
「お弁当~」
今の暮らしになってから一つの楽しみとなっている、サエナイが用意してくれるお弁当。
ヨウコ自身が料理を出来るようになれば彼の手間を省けるのだが、こればかりは仕方ない。
リビングに向かい、テーブルの上に置いてある弁当を見て立ち止まる。
そこには勿論、サエナイが作ってくれた弁当があるのだが。
二つあったのだ。
ヨウコは首を傾げて確認する。
「一つはキツので、もう一つは……」
今朝のサエナイとのやり取りが思い出される。
『今日はお弁当が二つありますね』
『ああ、自分も今日はお弁当にしようと思いまして』
「サエナイ様のお弁当!?」
部屋に設置されている時計を見れば十二時を回っていた。
まずい。このままではサエナイ様はお昼抜きになってしまう。
お昼が抜きということは、空腹で倒れてしまうに違いない。
ヨウコの頭の中で、空腹に飢えて倒れ伏しているサエナイの姿が想像された。
『お昼~……ご飯~、食べたい~……』
手を伸ばして呻くサエナイの姿。
「サエナイ様の危機! 何としても届けなければ!」
ヨウコは弁当を持って家を出ると、サエナイから預かった予備の鍵で玄関の戸締りをして、学校に向かって歩き出す。
しかしすぐに立ち止まる。
「学校……」
サエナイに弁当を届けるのはいいのだが、ヨウコは肝心な学校の場所を知らない。
匂いをたどって行くことは可能だが、人の姿では嗅覚が半減してしまう。狐の姿で弁当を運ぶのを人に見られれば怪しまれかねない。
だが今は一大事。一刻も早くお弁当を届けてあげなくては。
一人頷いたヨウコは狐の姿になると、周囲のサエナイの匂いを嗅ぎ分け、弁当を口にくわえて駆け出す。
:
学校のチャイムが響き渡る。
午前中の授業が終わり、昼休みの時間だ。
「ん~」
サエナイは固まった体をグッと伸ばす。
長い時間、席に座っているのはどれだけ学校に通っていようと辛いものがある。
だが今は真面目な時間ともおさらば。
と、サエナイの前に二次野ゲンがやってきた。
「昼食を共にしてもいいかな?」
相変わらず変わった口調で話しかけてくる。
「いいよ」
サエナイは苦笑しつつもゲンの提案に乗り、空いている席同士を付ける。
ゲンは「失礼するよ」と口にしながら席に着いて、コンビニで買ってきたであろうパンと飲み物を机の上に置く。
「私もいい~?」
突然、後ろから気だるげな声が話しかけてきて振り返ってみれば、優奈鬱美がいた。
「いいよ」
サエナイが了承すると、鬱美も近くの席を持ってきてサエナイとゲンの席にドッキング。
鬱美は「よいしょ」と口にしながら席に座りお昼ご飯を机の上に置いたのだが、彼女が机の上に置いたそれにゲンが反応する。
「優奈君。君のそれはお昼ご飯と言えるのかい?」
「え? 何か間違ってる?」
「間違ってるというか何というか」
サエナイも鬱美のご飯を見て微妙な顔をする。
二人の反応に首を傾げる鬱美だが、彼女がお昼ご飯に食べようとしているものは、バランス栄養食品とエナジードリンクだったのだ。
別にそれがお昼ご飯であることが絶対に間違いとは言い切れない。
多忙な時間に置かれた社会人の人などは栄養食品を口にすることもあるだろう。
だが鬱美は学生だ。成長期真っただ中の女子高生のお昼ごはんがそれというのは何とも同意しかねる。
「栄養食品では限界がある。もう少しいいものを摂取すべきだと思うが」
ゲンの言葉に鬱美は口を尖らせる。
「別にいいじゃん」
そう言いながら鬱美は携帯を取り出すと、アプリゲームを起動させた。
「私はゲームで忙しいの~」
栄養食品を片手に画面をタップしていく鬱美。
その姿にサエナイは苦笑し、ゲンはため息をつく。
「この僕もゲームは好きだが、流石に食を疎かにするほど馬鹿ではない。優奈君の将来が心配だ」
パンを口に運んでいくゲン。
「別にアンタに心配される筋合いな~い。私を養ってくれる人に出会えれば解決だし」
画面を見ながら言う鬱美にゲンはふんと鼻を鳴らす。
「そんな都合のいい男がいるはずないだろ」
「え? いるよ?」
「どこに」
「ここに」
鬱美はサエナイに目を向けてニコリと笑んでくる。
「ね~」
「え? 俺?」
思わず戸惑うサエナイ。
「一人暮らししてるんでしょ? てことは家事ができるってことでしょ? ほら、ここに私にぴったりな男がいる」
いや、何がほらなのか。
ヒモになる気満々である。
「いかん地味君! その女と結婚してしまえば君は不幸になってしまう!」
「いや俺、結婚するなんて一言も言ってないだろ」
「え~? サエナイは料理とかできるよね?」
「できるけど」
「じゃあ私を養って~」
サエナイの言葉にゲンは。
「料理ができると言ったが、僕は地味君が弁当を持ってきたところを見たことがない」
「いやできるよ? 今日はちゃんと弁当を」
疑うゲンにサエナイは証拠を見せようと鞄の中を確認して動きが止まる。
「弁当忘れた」
「それは何と」
「あ~あ」
せっかく弁当を用意したというのに、忘れてえしまうとはついてない。
「僕のパンを分けてあげようか?」
「私のもいる?」
サエナイのためにお昼を分けようとしてくれる二人だが、サエナイは遠慮する。
「申し訳ないからいいよ。それに一日ぐらいお昼を食べなくても死ぬわけじゃないし」
「確かにそうだが」
「じゃあ食べよ~」
鬱美は遠慮なく自分のお昼ご飯をパクリと食べた。
ヨウコは気が付いているだろうが、流石に学校の場所は教えていないので届けてもらうことはできない。
忘れてしまったのなら仕方ない。
自分の中で言い聞かせた矢先。
「なんか騒がしいね~」
鬱美の言葉に引かれ、廊下のほうを見ると、何やら生徒たちが廊下で騒いでいる。
サエナイ達三人も気になり廊下の様子を見ると。
「は?」
サエナイは思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
そう、廊下には。
「サエナイ様!」
ヨウコがいたのだ。
サエナイを見つけたヨウコが、耳と尻尾を隠した人の姿でパタパタと走ってきた。
「ヨウコさん!? どうしたんですか!?」
まさかの人物に驚きを隠せない。
学校の場所を教えてもいないのにどうやって、どんな用件でここまで来たのか。
サエナイの疑問に答えるように、ヨウコは手に持っていた弁当を差し出した。
「わざわざ持ってきてくれたんですか!?」
「サエナイ様の野垂れ死ぬところは見たくありませんでしたので!」
いや、お昼を一回抜いただけで死ぬことは絶対にないのだが。
だがここまで届けに来てくれたのだ。
「ありがとうございます!」
感謝しかない。
と、周りを見てみると、クラスメイトやその他のクラスの人たちがヨウコとサエナイを見てざわついている。
無理もない。突然学校に見知らぬ女性が着物姿でお弁当を届けにやってきたのだから。
完全に注目の的。
今は一刻も早くヨウコを皆の目から遠ざけなければ。
「あのヨウコさん」
「サエナイの知り合い?」
「豪く美人のようですが?」
と、移動することを提案しいようとしたところで、後ろから声がかかる。
鬱美とゲンだ。
「いや、知り合いというか何というか」
はぐらかしつつ何とかしなければと考えていると、ヨウコが二人に反応する。
「サエナイ様の友人でしょうか?」
「僕は二次野ゲンと申します」
「優奈鬱美で~す。そちらはどちら様で?」
鬱美の問いにヨウコはニコリと微笑むと。
「狐ヨウコと申します。将来サエナイ様のお嫁になるため、花嫁修業をしております」
「「……は?」」
ゲンと鬱美の二人からそんな間抜けな声が漏れた。
サエナイは口をパクパクさせる。
「ななな何言ってくれちゃってんですかヨウコさん!?」
「何か可笑しかったでしょうか?」
「可笑しいどころの話じゃないですよ!?」
きょとんとするヨウコにサエナイは両手をバタつかせる。
ただ名前だけの自己紹介ならまだしも、お嫁になるなどと口走るなどただで済むはずがない。
「おおおおおお嫁さんですか!? あ、この間話していたことは本当だったと」
「はあ!? 聞いてないですけど! サエナイにこんな美人な嫁がいるなんて!」
「二人とも大声で言うな!」
周囲を見渡してみれば、話が耳に入ったであろうクラスメイトや他クラスの人たちがひそひそと何かを話している。
このままでは変な噂まで広まってしまいそうな予感がしてならない。
「おい。なんの騒ぎだ?」
男性教師の声が廊下のほうから聞こえてくる。
ここで教師に見つかってしまえばさらにややこしいことになるに違いない。
「ヨウコさんこっち!」
「あ」
サエナイは教師が来る前にヨウコの手を引いて人ごみをかき分けて階段を下りていく。
二人は校舎の外に出ると、人がいない校舎の裏に避難した。
「ヨウコさん。お弁当を届けてくれたことは本当に感謝しています」
「サエナイ様のお役に立てて嬉しいです!」
褒められたことが嬉しいのか満面の笑みを見せるヨウコ。今は耳と尻尾はないが、もし見えていたら耳を立てて尻尾を左右に激しく揺らしていたに違いない。
心苦しいが、言わなければならないこともある。
「それはいいですが、学校は無断で来て良い場所ではないので気を付けてください」
「そうでしたか、申し訳ありません……」
とたんに、しゅんとしおらしくなる。
けして悪いことを言ったわけではない。むしろ正しいことを言ったはずなのに。ヨウコの反応を見て胸が締め付けられる。
「これ以上騒ぎにならないうちに帰って家で待っていてください」
「はい」
まだ少しテンションの低いヨウコの背中を見て、サエナイは彼女を引き留める。
「ヨウコさん」
「はい?」
「今日の夜ご飯は何がいいですか?」
「カレーが食べたいです」
「では今日はカレーにしますね」
「はい! キツは家に帰ってご飯を炊いて待ってますね!」
カレーだけでここまでテンションが変わるとは、カレーもさぞ嬉しかろう。
狐の姿になったヨウコは駆け足で学校の敷地から出ていった。
これで何とか一件落着かと思い、教室に戻ると。
「サエナイ! 話を詳しく聞かせろ!」
「苦しい」
目を血走らせた鬱美に捕まり、首を激しく揺さぶられ。
昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。
結局、ヨウコが届けてくれた弁当を昼休みの間に手を付けることは出来ず、放課後に食べたのだった。
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