第7話 ヨウコ、花嫁目指して第一歩(2)

 ソファーの上で仮眠を取ったサエナイは、状態を起こして座りなおす。

 つい先ほどのあれは夢だったのだと自分の心に言い聞かせていると、床の上で絵にかいたような奇麗な正座をして待っていたヨウコと目が合う。

 ヨウコはにこりと微笑み、思わずその表情にドキリとさせられてしまう。

「休憩はお済になりましたか?」

「ああ、すみません大丈夫です。家事の続きを始めましょうか」

 気を取り直すようにサエナイはソファーから立ち上がると、ヨウコを連れて洗面所へ行き、洗濯物の干し方を伝授。

 濡れた洋服をバタバタと煽ってしわを伸ばしてハンガーにかける。

「こんなふうにやってみてください」

 ヨウコもサエナイの一連の動きを見様見真似でやってみる。

「こうでしょうか?」

 ハンガーにかけ終わった洋服を見せえてくる。

「そんな感じで残りの洋服もかけていきましょう」

「はい!」

 できたことがうれしい子供のような表情を見せて、次々と洋服をハンガーにかけていく。

 洗濯物はサエナイの洋服とタオル類だけなので、時間はかけることなく終わった。

 ハンガーにかけ終わった洗濯物を二階のベランダへ持っていく。

「見晴らしがよろしいですね!」

「そうですかね」

 ベランダから外の景色を見て興奮するヨウコ。住宅街なのでベランダからの景色は家の屋根ばかり。それ以外は山が見えるといった感じで、景色がいいかと言えばそこまでいいとはいえるものでもないが、サエナイがそう思うのは見慣れてしまった景色だからかもしれない。

 洗濯物を物干し竿に干していく。

 陽光が照らし、その温かさが心地よいのか。ヨウコは目を瞑って気持ちよさそうな表情をしている。

 まるで猫が日向ぼっこしているときのように。

 心地よさそうな表情を眺めるのも悪くないが、家事はほかにもある。

「ヨウコさん次の家事をやりましょうか」

「はい!」

 元気のよい返事をしてヨウコは家の中へ戻っていく。


 リビングまで戻ってきた二人。

 ヨウコは次に何をするのかを待っていると、サエナイがリビングの隅に置いてあったものを持ってきた。

 またしても見たことないものにヨウコは首をかしげる。

「これは掃除機と言います」

「そうじき? ですか?」

 サエナイは掃除機から少し出ていたコードを引っ張りだすと、それをコンセントに刺した。

「簡単に言うとこれは、ゴミを勝手に吸ってくれる素晴らしいものです」

「ゴミを勝手に!? 確かに素晴らしいですね!」

 サエナイの言葉に目を輝かせるヨウコ。サエナイは「見ててください」と言いながら掃除機の手持ち部分にあるスイッチをポチッと押す。

 すると掃除機は「ぶおおおおおお」という音を出しながら吸引を始めた。

「こんな感じで——」

 振り向くと、ヨウコが見たことのないぐらい慌てふためいて、バタバタ走って廊下へ逃げて行った。

「ど、どうしました!?」

 ヨウコの行動に驚いたサエナイはが掃除機のスイッチを切ってその場に置いて、彼女のもとへ駆け寄る。

 ガタガタブルブルと、体を震わせながら尻尾を太くし、両耳を両手で抑えてうずくまっていた。

「大丈夫ですか?」

 こんなにヨウコを初めて見たサエナイは、心配と同時に不安を覚えながら彼女に話しかける。

 もしや何かのトラウマを抱えているのか。

 ヨウコは掃除機の音がしないことを確認すると、ゆっくりと狐耳から手を放した。

「も、申し訳ありませんサエナイ様。聞いたことのない大きな音でしたので驚いてしまっただけです」

 苦笑するヨウコだが、ここまで驚く彼女にサエナイは申し訳なく思った。

「すみません。先に大きな音が出るのを言っておけばよかったのに」

「サエナイ様は悪くありません。先ほどは驚きましたが、次は大丈夫です!」

 気を取り直すように立ち上がるヨウコ。

 ヨウコは山に暮らしていたのだから、驚くのも無理はない。

「無理だけはしないでくださいね?」

「大丈夫です!」

 そう言って二人はリビングに戻ってくると再度、掃除機に手をかける。

「いいですか?」

「はい」

 ヨウコは両耳を抑えて準備万端。

「では行きます」

 サエナイは掃除機のスイッチを入れた。

 掃除機は先ほど同様、大きな吸引音を立てながら動き出す。

 ヨウコは一歩を後退るが踏みとどまると、慣れてきたのだろう。ゆっくり耳から手を放した。

「大丈夫ですか?」

「もう平気です!」

 ヨウコの様子を見て安心したサエナイは、掃除機をかけてお手本を見せていく。

 軽くやって見せた後、サエナイはヨウコへ掃除機を渡す。

「ではどうぞ」

「はい……」

 少し緊張した面持ちで、掃除機を受け取ったヨウコ。サエナイの指示に従い、掃除機のスイッチをぽちりと押した。

 掃除機は音を立てながら吸引を始める。

「……」

 警戒しているヨウコは引き気味な体制で掃除機をかけていたが、数分経つと慣れたのか何事もなく掃除機をかけていく。

 時折り、大きなホコリを吸い取る掃除機を見て「おお!」と感心したような声を漏らしていた。

 そんな調子でリビングから台所、廊下、階段、途中掃除機を上へ持っていき、二階の部屋にも掃除機をかけていった。

 楽しくなってきたのか、部屋の角にたまったゴミを入念に掃除機で吸引していき、さらに調子に乗って来たのか。

「ふふふ、何もできず無様に掃除機に吸われる姿は滑稽だな!」

 などと中二病が吐きそうな言葉を口にしていた。

 最初の怯えようはどこへやら。

 ヨウコさんってこんな一面もあるのか、と見た目とのギャップに思わず笑ってしまう。

 そんなこんなで無事に掃除機をかけ終わり掃除機を片付けると、今度は台所へやってきた。

「食器洗いをします!」

「はい!」

 台所の流しには複数の食器にフライパンと包丁があった。

 サエナイはヨウコにスポンジと食器用洗剤を手渡す。

「その二つを使って洗っていきます」

「お風呂の時と同じですね」

 お風呂掃除のときも洗剤とスポンジを使って洗っていた。確かに同じだ。

「包丁は危ないので、自分が先に洗っちゃいますね」

 そう言ってサエナイは先に包丁を洗って乾燥棚に置く。

 残りの食器はヨウコが丁寧に泡の立ったスポンジで入念に洗っていく。

「洗って奇麗になっていく様子を見ていると気分が良いですね」

 楽しそうに洗うヨウコの言葉は共感しかない。

 掃除は洗いものをした後は奇麗になっただけではなく、気分もすっきりすることもある。

 きっとヨウコもそういう気分を味わっていることだろう。

 水で流し、洗い終わった食器たちを乾燥棚に並べて、無事終わった。

 これで家事は一通り終わり、暇な時間ができ、サエナイとヨウコの二人は休憩がてらソファーに座ってテレビを見ていた。

 休日ということもあって午前中からバラエティー番組が放送されている。

 今見ている番組は、数人の芸能人が町を歩いて目に入ったお店に立ち寄るという、趣旨のものだ。

 楽しい会話を繰り広げながら町を歩いては、時折り目に入った飲食店や、手作りの小物を売っている可愛らしいお店に立ち寄ってみたり。

 そんな番組を見ていた時、ヨウコが何やら姿勢を前のめりにさせてテレビを睨んでは首をかしげる。その動作を何度か繰り返していた。

 見たことのない物ばかりが出てきて、いろいろと好奇心が働いているのだろう。


 その後、お昼になり昼食を済ませて、お腹を落ち着かせ。

「ヨウコさん。これから買い物行くんですけど行きますか?」

「買い物? 行きます!」

 ということでエコバッグと財布に家の鍵を持ち、玄関で靴を履いて外に出ようとしたところで、ヨウコへ振り返る。

 ヨウコの装いは相変わらず着物姿。

 サエナイは考えを巡らせる。自分から買い物に誘っておいてあれだが、着物姿の彼女を外に出して大丈夫なのだろうか。

 別に着物がおかしいというわけではないが、今の世、普段から着物を身に着けている人は少ない。

 まあ、少し目立つ程度で特になにもないだろう。

 サエナイは自分の中でそう結論付けて外へ出た。

 家を出て数分。

 ヨウコの姿を横目で見てみると、特徴的なキツネ耳と尻尾は姿を消していて、誰が見ても人間にしか見えない。流石だ。

 着物を身に着けた美人さんにしか見えない。

 そう、着物を身に着けた美人。

 サエナイは今、凄い数の視線を感じていた。

 通り過ぎる人達から感じる視線が何を物語っているのか、いやでも理解できる。

 ヨウコが目立っているのだ。

 そりゃそうだと納得せざるを得ない。

 高身長の着物を着た美人が、歩いているのだ。

 目立つのは必然。

 ヨウコ自身も気が付いているのだろう。

「サエナイ様。何やら周囲の人たちがこちらをじろじろと見てくるのですが、何かおかしなところなどがありますか?」

「いえ、特にないですね」

「もしや、私が本当の人間でないことがバレてしまっているのでしょうか?」

 さっさ、と周囲を警戒するヨウコ。

 サエナイは苦笑いしかできない。

 完全な人間の姿に慣れていることは事実だが、ある意味で完璧すぎるというか何というか。

 こうなっては気にしても仕方がない。

 さっさと買い物をして家に帰宅してしまおう。

 サエナイはヨウコと共に足早にスーパーへ向かった。


 サエナイはスーパーにつくなり、買い物かごを乗せたカートを押して野菜売り場を物色。

「今日の夜ご飯は肉みそにでもしようかな~」

 そんな独り言を口にしながらピーマンの袋詰めをじっくり眺める。

 そうしている間にも。

「あの人めっちゃ美人~」

「しかも着物とか似合いすぎ」

「身長たか! バレー選手か何か?」

「しかも胸も出か! 私もしっかりご飯食べておけばあれぐらい大きくなったのかな?」

「あれが本当のボッキュンボンか」

 などと声が聞こえてきて買い物に集中できない。

 ちらと様子を見てみれば、サエナイから少し離れた果物売り場のところで、なにやらじっくり見ている。

 そのあと首をかしげては別のものを見て、同じように首をかしげていた。

 一体何をそんなにも見ているのか気になるが、あの視線を集めている中に行ける自信がサエナイにはない。

 なのでとりあえずこちらは買い物に集中しよう。

 ピーマンに視線を戻し、手に持っていたピーマンの袋詰めを加護に放り込んだ。

 次にナス。

 さてどれを選ぼうか。

 野菜はやはり鮮度が命。

 ナスは色が濃く、つやがあるものを選ぶと良い。自分で勝手に決めたルールでナスを選んでいると。

 何やら影ができ、後ろに誰かいる気配を感じた。

 次に耳元で優しい声音で。

「サエナイ様は何をそんなに選んでおられるのですか?」

 ヨウコの声に思わずビクッと体が震える。

 バッと後ろを振り返ればヨウコがにこりと笑っていた。

 サエナイは耳を抑え、高鳴った胸を抑える。

 良くない良くない良くない良くない良くない。耳元でささやかないで。普通に話しかければいいのにどうして耳元で囁いたの。心臓に良くないよ。しかも凄くくすぐったくて変な扉が開かれるかと思った。

 サエナイは自分が耳が弱いことを今ここで初めて知ったのだった。

 何とか荒ぶる気持ちを整えて、何事もなかったかのようにサエナイはヨウコの問いに答える。

「今日は肉味噌って言う料理にしようかと思ったので、それに必要な材料を選んでいたところです」

 ナスの袋詰めが大量に積まれた商品棚に目を向けるヨウコ。

「どれでもいいのではありませんか?」

「確かにそうかもしれないですけど、鮮度がいいほうが美味しいと思うので」

「なるほど」

 感心したようにうなずくヨウコ。

 まあ正直なところ、鮮度を気にしても味がどれくらい変わるのかはサエナイ自身よく分かっていない。

 なのでこうやってどれが良いのかを見ているのは、買い物をする人のサガみたいなものだとサエナイは思っている。

 最終的にどれがいいか分からず、これでいいかと選んで買い物かごに入れた。

 サエナイは次にひき肉を選んで、朝食用のパンとその他、ゴミ袋を選んでレジに並んだ。

 レジで会計をするまでの間も周囲からの視線は凄く。

 レジの店員がヨウコを目にしたとき驚いて「でか!」と思わず口にしてしまっていた。

 店員がヨウコの何を見てでかいと言ったのかは分からないが、まあ想像しているほぼ全てに合致する言葉だ。

 それを聞き流して、お金を払い会計を済ませ、買った商品をエコバッグに入れて店を後にした。

 これでようやく家に帰るだけとなったことで、サエナイの肩の力が抜けた。

 ふと、ヨウコの店での様子を見て思い出したサエナイは口を開く。

「そういえば、ヨウコさんは何を見て首をかしげてたんですか?」

 買い物中ずっと何かを睨みつけていたヨウコ。隣でその様子を見たとき、ヨウコは商品を見ているというより、商品の名前や値段が書かれたポップを見ていたような気がした。

「文字を見てしました」

「文字、ですか?」

「キツは人間が使う文字が分からないので、どう読むのか考えていました」

 理由を聞いたサエナイは、昼のテレビを見ていた時のヨウコの姿を思い出した。

 テレビを見ていた時もじっと見ていて、テレビに映る見たことのないものに興味を示していたのかと思っていたが、時折り芸能人が喋った時に出てくる字幕を見ていたのだろう。

 ヨウコは人間の世界を知らないのだから、人間が使う文字も分からなくて当然だ。

 だが、これからいろいろなものに触れていく中で、文字が理解できないのは致命的と言える。

 どうしたものか。

 サエナイは軽く考えると、一度足を止めて先ほど通った道を引き返す。

「どうしたのですか?」

「ヨウコさんに必要なものを買い忘れました」

「それはいったい?」

「お楽しみです」

 そう言ってやってきた場所は書店だ。

 店内に入ると、小さめの音量で流れるBGMが流れ、本の紙の匂いが漂っている。

「は~」

 またしても初めて見る場所に開いた口が塞がらなくなるヨウコ。

 いろいろな色、文字、絵、写真が載った物。それらはすべて同じ四角い形をしていて、一つ手に取ってみると、紙が何十枚、何百枚と重なり一つになって出来ている。

 本に夢中になっているヨウコを置いて、サエナイは書店の奥にある、子供向けの絵本や学習のための教材などが陳列されている場所に向かった。

 その場所に目的の物は当然あり、それを手に取ると、レジへ向かって会計を手早く済ませる。

 時間にして十分もかかっていない。

 今もいろいろな本に目を移していくヨウコのもとへ。

「ヨウコさん。目的の物は買いましたし、家に帰りましょうか」

「キツに必要なものだと言っていましたが、何を?」

 サエナイは先ほど買ったものを袋から取り出してヨウコに見せる。

「ヨウコさんが人間の文字を読めるようになるための物です」

 ひらがな、カタカナ、漢字、その他に軽く数字も理解できるように算数の教材も。

 それらを見たヨウコは「お~」と目を輝かせた。

「それらすべてキツのために!?」

「もちろんです!」

「サエナイ様! 愛しております!」

 感極まったヨウコは思い切りサエナイを抱きしめた。

「ちょっ、ヨウコさん!? 苦しい! あとむ、胸が! それに恥ずかしいから離れてください!」

 ヨウコはまったく気にしていない様子だったが、サエナイは今日一番の辱めを向けた。

 こうしてヨウコは家事と並行して、文字の読み書きと算数を学ぶことになったのだ。

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