第5話 ヨウコの無知

 学校に着いたサエナイは、二年二組の教室の自分の席に座るなり机に体を預けた。

「はあ」

 ため息を一つ。

「朝から眠そうじゃないか。地味君」

 自分に話しかけてくる声が聞こえ、サエナイは顔を上げて声の主を視界にとらえる。

 眼鏡をかけた髪が長めの男がそこにはいた。

 彼の名前は二次野ゲン。アニメや漫画が大好きなオタクだ。

 サエナイとゲンは家が近所で小学校から付き合いがあり、学校での休み時間のほとんどを二人は一緒に過ごしている。

「ちょっと疲れてるんだよ」

「めずらしいじゃないか。いつもそんな様子は見せなかったというのに」

「別に元気の固まりじゃないからな」

 ゲンにはいったい自分がどう映っているのだろうか。

「僕に話して見てはどうかな?」

 アニメの見過ぎなのか、影響を受けたとしか思えない口調と仕草をしながら提案をしてくるゲン。

 だが、確かにゲンの言う通り、話せば少しは気が楽になるかもしれない。

 サエナイは昨日から起きた出来事を話した。

 突然、美女が花嫁衣装で家にやってきたこと。その人が狐であること。お狐山の神様であること。現在、家にいること。

 約十分にわたり話し終え、それを腕組みし目を瞑り頷きながら聞いてたゲンが目を開き。

「何言ってんの?」

 先ほどまで可笑しな言動はどこへ行ったのか、素の反応が帰って来た。

「だよな、そうなるよな」

 ゲンの反応はもっともだと思う。サエナイ自身、自分で話していながら何を真面目な顔をして話しているんだと思っていた。

 普段、ゲンにお勧めされたとき以外でアニメなどに触れることがないサエナイの口から、まるでアニメのような話を聞かされたのだから。

「僕の知らない間にアニメにハマって中二病にでもなった?」

「違うんだよ事実なんだよ」

「そんなのリアルにあるわけないじゃん。現実を見ようよ」

 ゲンがサエナイの肩に手をポンと置く。

 まさか、アニメオタクのゲンにそんなことを言われる日が来るとは、夢にも思わなかった。

 サエナイはまったく嘘を履いてはいない。

 うそ発見器を使ってもいい。

 だが、ゲンの反応からして信じてもらえそうにないため、今は飽きられるしかないだろう。

「そうだな、俺疲れすぎてんのかもしれない」

「今日は授業をさぼって寝ると良い」

「いや、ちゃんと受けるよ」

 と、ホームルームを知らせるチャイムが鳴り響く。

「これにて僕は失礼させてもらうよ」

 そう言い残してゲンは、自分の席に戻った。

 ほどなくして担任の教師が教室に入ってきて、ホームルームが始まった。


     :


 サエナイが学校に行くため家を出てから数十分。

 ヨウコは家の中を歩き回っていた。

 一階をまずは徘徊。

 リビングから台所、和室、廊下へ出てトイレ、脱衣所、お風呂場。

 次に二階へ上がり各部屋を確認。

 最後に入った部屋。

「サエナイ様の匂い」

 サエナイの部屋に入ったヨウコは、部屋の中央で立ち尽くすとスンスンと匂いを嗅ぐ。

 今朝、気が付いたらサエナイの部屋に勝手に入って勝手に眠っていた。

 目が覚めた時のことを思い出したヨウコは、ベッドを見つめるとそのベッドに倒れ込んだ。

 サエナイが毎晩使っているベッドは、彼の匂いが強く沁みついている。

 ヨウコは目を瞑ると、サエナイに助けられたあの日のことを思い出す。

 川に溺れているところを、子供ながらも勇敢な行動によって助けられた。

 必死に自分の体を抱きかかえる小さな手。

 昨日のことのように鮮明に覚えている。匂いも。

 それから数分。匂いを堪能したヨウコは身を起こすとサエナイの部屋を出てリビングに戻った。

 リビングに戻ったヨウコは床に座ると、窓の外を見る。

 対して時間は経っていない。

 サエナイがいつ帰ってくるのかわからないため、それまでの間にどう時間を潰したものか。

 自分の尻尾を触りつつ悩んでいると、テーブルの上にある黒い物体に目が留まった。

 黒く四角い形に、何やらポチポチとしたものが無数にあり文字が印刷されている。

 試しにポチポチと押してみるがよくわからない。

 一体こんなものを何に使うのだろうか。体に異変もなければ部屋に異変も起きない。

 素早く押してみたり、同時に押してみたりするが、やはり何も起きる気配はない。

 あとでサエナイに聞こうかと考えたところで、一つに目が留まる。

「赤色?」

 その無数にある中に一つだけ赤い色のものがあることに気が付く。

 気になるとついつい触りたくなってしまうもの。

 ヨウコは好奇心のままに、赤いボタンをぽちりと人差し指で押した。

「!?」

 赤いボタンを押してから数秒。突然、大きな音が耳に飛び込み全身を震わせ思わず両手で耳を塞ぐ。

「これは!?」

 次に目にしたものにさらに驚かされる。

 ヨウコがいるリビングの壁際に置かれた、黒く細い板のようなものに光がともり映像を映し出し、それと同時に映像に合わせた音が流れていたのだ。

 だんだん音に慣れてきたヨウコは自身の耳から手を放して、映像が映し出された板に近づく。

 若い男性が何やら難しいことを話しながら、それに合わせて画面が切り替わったりしている。

 画面に触れてみるもこれといって反応はない。

「薄い板の中に人がいる!」

 生まれて初めて目にしたものに驚きを隠せない。

 ここに来ていろいろなものを目にしたつもりだったが、まさかこれほどのものがあるとは。

「ほ~。は!?」

 呆然と画面を見ていたヨウコはあることに気が付くと、テーブルの上に置いてあった先ほどの四角い物を手に持ち他のボタンを押してみる。

 すると画面が切り替わり、先ほどとは別の映像が映し出された。

 また別のボタンを押してみるとさらに違う映像が。

どんどんボタンを押して映像を切り替えていく。

「凄い!」


    :


「ただいま~」

 サエナイは玄関の鍵を開けて家の中に入る。

 時刻は午後の三時ごろ。

 学校を終えて一直線に家に帰って来た。

 ヨウコが自分のいない間に何かしていないか心配というのが理由だ。

 いつもなら洗面所で手洗いうがいをしてからリビングに向かうのだが、今だけはそれは後でいい。

 リビングの扉を開けて部屋に入る。

「ヨウコさん?」

 そこにはテレビに見入るヨウコの姿があった。

 可愛らしく尻尾を左右に振りながら、時折り耳をピクピクと動かしている。

 あの尻尾に一度でいいから触ってみたいな。

 そんな欲望が頭に浮かんだサエナイは、すぐにかぶりを振って心の奥底にしまい込むと、リビングに足を踏み入れた。

「ヨウコさん。ただいま」

 サエナイの声を感じ取った耳がピクリと動き、ヨウコはサエナイに顔を向けた。

「おかえりなさいませ、サエナイ様。これを見てください! 薄い板に人や物が映っています!」

 まるで珍しいものを見つけて興奮している無邪気な子供のような様を見せるヨウコに、思わず笑みがこぼれてしまう。

「それはテレビって言うんですよ」

「てれび?」

「いろいろな映像を画面に映し出すんです」

「ほほ~」

 ヨウコは興味深そうに画面を見入っている。

 サエナイはテレビに夢中のヨウコを置いて、一度洗面所に戻って手洗い以外をした後。二階の自室に行き、今日の勉強に取り掛かった。


 勉強を始めて二時間ほど経過し。

「ふう」

 息を吐きながら椅子に体を預け、時計に目を向けた。

 時間は五時過ぎ。夕飯の準備を始めるにはちょうどいい時間だ。

 それにちょうど集中力も切れたところ。

 コンコン。というドアをノックする音が聞こえた。

「は~い」

 ゆっくりと扉が開き、ひょこっとヨウコの狐耳が顔を出す。可愛い。

「図々しいと思われるかもしれませんが、お腹がすいてしまって」

 その言葉に合わせるようにヨウコのお腹からきゅるるるという音が鳴った。

「今から用意しますね」

 椅子から立ち上がったサエナイはヨウコと一緒に一階の台所へ。

「今日は何を作るのですか?」

「オムライスにしようと思います」

 冷蔵庫を開けて卵やその他の材料を出しながら答えるサエナイ。

「おむらいすとは何ですか?」

「それは出来てからのお楽しみです」

 ヨウコににこりと笑みを向けて、調理に取り掛かる。

 オムライスは何度も作っているため、見ていて気持ちがいいほどの手際の良さで材料を切って、卵をかき混ぜ、フライパンで火を通して。

「これがオムライスです」

「これが」

 全体が黄色い卵に包まれたそれを、ヨウコは興味深そうに眺める。

 リビングのテーブルに移動し、サエナイとヨウコはオムライスが置かれたテーブルの前に座って、スプーンを手に取った。

「「いただきます」」

 サエナイがスプーンでオムライスを口に運んでいく。

 ヨウコはオムライスを眺めた後、スプーンでオムライスをゆっくりとすくい上げ、口に運んだ。

「美味しい」

「それは良かったです」

 とろけるような顔をしながら尻尾を左右に振るヨウコに思わず笑みがこぼれる。

 それと同時に誰かに自分が作ったものが喜ばれることが、こんなにも嬉しいことなのだと気が付いた。


 それから数十分後。

 二人はオムライスを食べ終わり、テレビを見ながら一息ついていた。

 と、ヨウコがふと口を開く。

「花嫁修業とはいったいどんなことをすればいいのでしょう?」

「え?」

「言葉は聞いたことがありますが、その意味を知らないのです」

 昨日の夜、花嫁修業を口走っていたが、何となく口にしていたとは。

「え~と、家の家事をすることですかね?」

「家事とは?」

「洗濯物をしたり、掃除をしたり、料理をしたりとかですかね?」

 サエナイもはっきりとしたことはわからないが、こんなものだろうと分かる範囲を教える。

 すると、ヨウコは驚愕に染まった顔を見せてきた。

「料理……まさかキツは花嫁修業をするどころか、サエナイ様にさせてしまっていたのですか!?」

「いやまあ」

 今まで当たり前のようにやっていたため、させていた、は違うと思うが。

 サエナイが頬をポリポリとかいていると、ヨウコが両手を床に着けてプルプルと震えだす。

「サエナイ様の花嫁になるはずが、サエナイ様がキツの花嫁になろうとしてしまっているなんて……」

「まったくなろうとしてませんけど」

 サエナイの言葉など聞こえていないのだろう。バッと顔を上げると拳をつくり。

「サエナイ様。これからはキツにお任せください!」

「はい?」

「サエナイ様の花嫁になるべく、サエナイ様が今までやってきた家事とやらをキツにやらせてください」

「ん~」

 首をかしげながら唸ったサエナイはヨウコを見る。

「できるんですか?」

「……」

 黙り込んでしまった。

 人間社会を知らないだろうヨウコが、いきなり人間の作ったもので家事ができるとは思えない。

「それは気合で……」

「脳筋か」

 今の状態でヨウコに家事をやらせては何が起こるかわからない。

 明日はちょう休日で学校は休みだ。

「明日、家事を教えますから少しづつできるようにしていきましょう」

 顔をパッと明るくしたヨウコは奇麗な所作で土下座をした。

「明日からよろしくお願いします」

「いや、そんな大層なことを教えるわけじゃないですから」

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