第3話 ヨウコは危険

 すっかり外が暗くなった夜。

 ふと何かを思い出したヨウコはサエナイに問う。

「貴方様のお名前を聞いていませんでした」

「ああ、地味サエナイです」

 いろいろありすぎて自己紹介をすっかり忘れていた。

「サエナイ様」

 名前を聞けて満足そうに頷いたヨウコはさらに言葉を続ける。

「何故、服をその手に持っているのですか?」

 そう、サエナイは洋服を着ているにも関わらず、もう一式の服を手に持っていた。

「今からお風呂に入ってきます」

 疲れをいやすためにお風呂に入ろうと思っていたのだ。

「おふろとは何ですか?」

 風呂という単語を初めて耳にしたかのような反応を見せるヨウコ。

「……あ~」

 一瞬、呆気にとられるサエナイだったが、先ほどヨウコがお狐山の神様と聞いて彼女の反応を何となく理解した。

 山にいたということは人間のことなどほとんど知らないのだろう。そうでなければ、こんな反応を見せるはずがない。

「お風呂というのは、体を奇麗にすることですかね」

「水浴びと同じですね」

「そうなるかな?」

「行ってらっしゃいませ」

「い、行ってきます」

 納得してくれたようでヨウコはテーブルに頬杖をついて、尻尾を振りながらご機嫌な様子。

 何故そこまでご機嫌なのかはよくわからないが、とりあえずサエナイは脱衣所へ向かった。


「ふう」

 服を脱いで湯船につかったサエナイはまるで、今日たまった疲れを体から抜くかのように息を吐き出した。

 それも仕方ないだろう。

 何気ない一日を過ごしていたはずなのに、突然家に妖狐のヨウコがお嫁にやってきて、何故か帰るのを引き留めてご飯を御馳走して、ヨウコの何かはわからないが年寄りの狐が彼女を連れ戻しにやってきて。

 そしてさらには、頭が混乱しすぎてヨウコがこの家にいることを許可してしまったり。

「あ~」

 やってしまった。という感情を乗せた声が浴室に響き渡る。

 今日のことを誰かに聞かせて、自分の過ちとそうしてしまう気持ちを理解してほしい。

 こんな調子では、押せばなんでも聞いてくれるダメ人間になり、最悪詐欺にあってしまいそうだ。

 だが今更嘆いても仕方ない。

 不幸中の幸いは、ヨウコがどこぞの悪徳業者などではないということだろうか。

 だがしかし、問題はもう一つある。

 サエナイはお湯を顔にかけて両手で顔を覆い、心の中で(なああああ!)、と叫びをあげた。

 そう、もう一つの問題とは、あんなにも奇麗で美人のヨウコと二人きりで生活するということだ。

 世の男たちなら理解できるだろう。

 サエナイは高校一年生の思春期真っ盛りの男なのだ。もちろん異性が好きで、街中を歩いているときに奇麗な人を見かけると目で追いかけてしまうほどには男の子で、恋愛だってしたいし、その先の大人の階段を上りたいという欲求ももちろん持っている。

そんな一人の男子高校生が親のいない家で、高身長な超絶美人と一つ屋根の下という誰もが夢見たであろう展開に陥っている。

 心の奥深くに眠る獣がいつ暴走してしもおかしくないのだ。

 いつまでかはわからないが、これからヨウコが家をでていくまでの間、常に気を張って生活していかなくてはならない。

 そうと決まれば、後で携帯を使って気を強くもつ方法を検索しよう。

 サエナイは拳を強く握りしめ、決意の固めた。

 と。ガチャ。

 サエナイの耳に浴室の扉が開く音がハッキリと聞こえ、反射的に扉のほうへ目を向けて。

「……」

 固まった。

 この家にはサエナイとヨウコの二人しかいない。

 となれば必然的にヨウコであることは察しが付く。

 ヨウコは人間社会のことをよく知らないはずで、だとすれば何か気になったことがあって聞きに来たのではないかという結論に自然と至る。

 だがしかし、サエナイのそんな考えは大きく外れた。

 なぜなら、扉を開けたヨウコの姿は、お風呂に入る直前まで目にしていた装いではなく。まさかの生まれたばかりの赤子のようにその身に何も身に着けていなかったのだ。

 遠回しに言ったが、ようは裸。

 まさかの展開にサエナイは口をパクパクとさせ、そして美しい裸体が視界に入り目が離せなくなる。

 だがこんなことをしている場合ではないのだ。

 目に毒だ。刺激が強すぎるのだ。目を離さねばならない。目を動かし反らさなくては。手で覆い隠さねば。叫び声を上げなくては。

 それらの行為を自分の中に潜む獣がさせまいと抗ってくる。

 しかし、屈するわけにはいかない。

「正気に戻れ俺!」

 必死な思いで声を発したサエナイは両手で自分の頭を掴むと、思い切り顔を横にギュンと曲げた。

 その時、首が嫌な悲鳴を上げて気がしたが、そんなことはどうでもいい。

 危うく我を忘れてしまうところだった。

「どうされましたかサエナイ様!?」

 サエナイの可笑しな言動に驚いたヨウコは急いでサエナイの元に寄ってくる。

そんなヨウコを視界に入れぬよう目を瞑るサエナイは悲鳴を上げる。

「どうして裸なんですか!」

「キツのことを知ってもらおうと思いまして」

「貴方の肉体は知らなくていいです!」

「サエナイ様との距離を縮めようと」

「極端すぎます! 別のやり方でもいいでしょ!」

「そうですか?」

 首をかしげるヨウコ。これ以上彼女と一緒にいては頭が爆発してしまいそうだ。

 どうにかこの場から退散しなくては。

 そう考えたサエナイは、急いで湯船から立ち上がる。

「あ、あの! 俺はもう上がるんでヨウコさんはゆっくり入ってください」

「サエナイ様? 目を瞑ったままですと」

「のわ!?」

「きゃ!?」

 しっかりと前を見ていなかったために、足を滑らせ倒れてしまった。

 ボイン。

 そして次に感じたのは、痛みではなく柔らかい弾力だった。

 サエナイは床に手をついて状態を起こし、目をゆっくりと開ける。

するとそこには大きな二つの山が目の間に広がっていて、急激に顔が熱くなるのを感じ。

「す、す、すすすすすみません!」

「キツは大丈夫ですが、サエナイ様は大丈夫でしたか?」

「大丈夫ですから! ああ、こっちが頭を洗うやつで、こっちが体を洗うやつです! それじゃあ!」

 目をぐるぐるさせながら、サエナイはヨウコに早口で答えて風呂場を抜け出した。


 あの後、急いでタオルで体と頭を拭いてパジャマに着替えたサエナイは二階の自室のベッドに体を預けていた。

 とにかく今は頭を落ち着けたかったのだ。

 だが、サエナイの顔の火照りは収まらない。

それもそのはず、初めて女性の胸の感触を知ってしまったのだから。

柔らかかった。

「いかんいかん!」

 今日の自分はどうかしすぎている。

「もうわけわからん」

 いつもの自分はどこへ行った。

 平常心を保たなくては。

「サエナイ様」

「!?」

 突然、扉越しに声を掛けられ全身を震わせた。

 ゆっくりしていいといったのだが、思っていた以上に早くお風呂から上がって来たらしい。

「お風呂というのはとても暖かくて気持ちよかったです」

「そ、そうですか。それは何よりです」

 サエナイは心臓をバクバクさせながらもベッドから立ち上がり、部屋の扉を開ける。

 そこでまたしてもサエナイは固まってしまう。

 異性の風呂上がりなど母親以外見たことがないサエナイは頭の片隅にもありはしなかった。女性の風呂上りがいかに危険であるかを。

 目の前のお風呂上がりのヨウコは色気に満ちていたのだ。

 しっとりと濡れた髪に、ほんのり赤くなった頬。

 そして今の装いは、旅館で見かけるような浴衣寝間着に似たものを身にまとっていた。

 またしても我を忘れそうになったサエナイはかぶりを振って何とか持ちこたえると。

「今日はもう寝ましょうか」

 今日のところはもうヨウコを視界に入れたくない。

 提案すると、ヨウコはもじもじと手をこすり合わせながら、身長差によって上目遣いになっていない目で。

「一緒に寝ませんか?」

 その言葉にサエナイは体をプルプルと震わせ。

「寝るわけないでしょー!」

 サエナイの絶叫が家中に響き渡った。

 身をもって女性が危険であると知ったサエナイだった。

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