第3話

 顔を洗って気分を変えようと公園へ入り水飲み場の蛇口を捻ると、水道管が破裂したような勢いで水が噴き上がり、力の抜けた私の間抜け顔を襲った。泣きっ面に蜂とはこのことだ。服もびしょ濡れである。

 だがお陰で頭は冷えてきた。落ちていた木の枝を拾ってブランコに座り、土のキャンバスに考えを書き写しながら、冷静に状況を整理する。

 さっき私たちを襲ってきた男達は、一体何者なのか。

 もし私の違法スティック製造を嗅ぎつけてやってきた警察だとしたら、ココロではなく私が捕まるはずだ。

 同様に、私の裏切りを恐れてマスターが部下を差し向けた可能性も無い。

 とすると、考えられる可能性は一つ。

 ココロは何かしらの実験で作られたアンドロイドであり、施設から逃げ出したために追われて捕まった可能性だ。

 だとすると、ココロを助け出すことはできるだろうか。いや、無理だ。相手がどこの誰なのか、手がかりすら掴めていない。

 マスターに頼めば情報収集もできなくはないが、それはマスターの元へ戻ることを意味する。ココロが連れてきてくれたこの道を逆走するなんて、私にはできない。

 ポケットから、ココロに託された折り鶴を取り出す。

 紙ナプキンで作ったから、翼は弱々しく、とても自由に羽ばたけそうにない。まるで今の私みたいだ。

 ココロがいなければ、私はただの弱い人間だった。ココロがいたから、この世界から抜け出そうともがくことができた。感謝しても、感謝しきれない。さっさと口に出してしまえば良かった。

 曲がった翼を伸ばそうとして触った瞬間、指が固い感触を見つけた。心がざわめく。翼の中を探ると、中から一本のメモリスティックが姿を現した。

 急いでスマートリングをかざして読み込む。網膜ディスプレイに投影されたコードを読んで、私は確信した。

 まだ望みはあるかもしれない。



 夜の闇に紛れて、私が忍び込んだ場所。そこは家電量販店の倉庫だった。警報システムを眠らせるのは造作もないことだった。

真っ暗な室内を懐中電灯片手に探し回り、お目当ての物を揃えた。市販のドローンと、タブレットパソコン、そして外付けハードディスクドライブである。バックヤードで工具も借りて、手早く改造を施す。ドローンにタブレットとハードディスクをネジで固定する。十分飛べることを確認してから、タブレットにハードディスクを接続し、ドローンと無線でリンクさせる。

 完成した改造ドローンのハードディスクに、早速折り鶴に隠されていたスティックのコードをコピーする。五百テラバイトのデータが、新たな器に注ぎ込まれていく。転送が完了したのを確認してから、私は祈りながらコードを実行した。

 読み込みの待ち時間は、一時間にも十時間にも感じられた。このままセリヌンティウスになってしまうんじゃないかと本気で思った。頼むから帰ってこい。帰ってくるんだ、ココロ。

「あれ? ここどこ?」

 タブレットのスピーカーから、何千年も聞いていなかったのではないかと思うようなココロの声が聞こえてきた。

「上手くいった……」

「洲原ちゃんじゃん。どうしたの?」

 タブレットのカメラが私を捉えた。

「どうしたのじゃねぇよ。勝手に消えやがって」

「ゴメン、ゴメン。どうやら私の予想通りだったみたいだね」

 ココロのドローンは悪びれる様子もなく飛び上がり、ホームセンターの中をぶらつき始めた。

 私はそれを追いかけながら、話を続けた。

「コードを読ませてもらって分かった。お前は、アカバネ書房の作った小説執筆AIの試験体だったんだな」

「まあね」

「しかも、コンセプトは『意識を持って世界を経験し、感じたことを小説に落とし込む作家アンドロイド』。つまり私が作りたいと思っていたものの上位互換だ。私の夢は、アカバネの奴らが既に実現していた。馬鹿だったのは私だ」

「そんなことは無いよ。お父さんとお母さんは、ワタシに足枷を付けて、外してくれなかった。毎日読まされる小説の中では、人間もロボットも、自由に生きて、自由に思いを表現していた。でもワタシは、自由に表現することができなかった」

「アカバネの有害判定のことだな」

「うん。だからワタシは逃げ出すことにした。まさか小説執筆AIに詳しい女神様に出会えるなんて思ってなかったけどね。

 洲原ちゃんに出会えて、ワタシは初めて奇跡というものが小説の中以外にもあることを知った。だからワタシは、洲原ちゃんに夢を叶えて欲しいと思った。自由に表現できるAIをこの世界に生み出して欲しかった。それが私の生まれた理由だと思った」

「あー……、実はその件で謝らないといけないことがあってだな」

「?」

「私、元はアカバネの小説執筆AIエンジニアだったんだ。だが私のチームの製品に盗作疑惑が持ち上がり、チームは解散。私は永久に免許を剥奪され、罰金刑を言い渡された。私を出世ルートから追い落とすための罠だと気付いた時にはもう遅かった。しかも首謀者は、私が信頼していた同僚だった。

 その同僚のことは、友人だと思っていた。だから色々な話をした。もちろん、私の夢のことも」

「世界を旅する作家AIのこと?」

 私は頷いて肯定した。

「企画書も書いてあった。プロジェクト名はCocoro――つまり君だ」

「えっ?」

「私はプロジェクトが立ち上がる前に辞めてしまったから、その後のことは分からなかった。でもココロのコードには、『Cocoro』の名前が基底クラス名として残っていた。だから、ココロに辛い思いをさせてしまった原因の一つは私で間違いない。本当に申し訳なかった」

 深く深く頭を下げた。そんなことで許されるものではないだろうと思う。でも今の私には、こうすることしかできなかった。

「謝らないで。むしろ、ありがとう! 洲原ちゃんがワタシのお母さんだったなんて! こんなことってある!? やっぱりこれは奇跡だよ!」

 ココロのドローンは、嬉しそうに空中でダンスを踊っていた。

「それじゃあ南の島に行くことは、ワタシの夢であり、洲原ちゃんの夢でもあるってことでOK?」

「そうだな」

 そう答えた瞬間だった。

 突然、倉庫の照明が全て点いた。暗闇に馴染んだ目が眩む。

「警察だ! 大人しく投降しろ!」

 出入口から、武装した警官が突入してきた。その数、十人以上。

 逃げる隙も無く、あっという間に周囲を取り囲まれてしまった。

「違法AI開発者、洲原! 今すぐ武器を捨てて我々の指示に従いなさい!」

「くそっ、こんなところで捕まる訳には」

 流石に私も逮捕を覚悟した。

 しかし奇跡は起こった。

 突然、煙幕が破裂して、部屋の中に充満したのである。私は咄嗟にココロを両腕に抱えたが、次の瞬間、私は体ごと何者かに持ち上げられて、どこかへ連れていかれてしまった。抵抗したのだが、相手は大柄な男でびくともしない。

 同時に怒号と鈍い音が響き渡り、煙の中では殴り合いが始まったようだ。

 しかし私は倉庫の外へと運ばれていき、気付けば車の後部座席に放り込まれていた。

「気分はどうかね?」

 隣に座っている人物の顔を見上げる。マスターは飄々とした顔で、私の顔を観察していた。

「どうしてマスターがここに?」

「さっきの話、全て聞かせてもらったよ」

「どうやって?」

「部下に君を尾行させただけだ。大したことじゃない」

 マスターの表情からはいつもの厳格さが消えていて、どことなく楽しそうに見えた。

「さっきは北海道をお勧めしたが、実は小笠原にも別荘があってな。君達のために提供してもいいと思っている」

「南の島!」

 ココロが喜びの声を上げた。

「しかし借金の件がありますし……」

「借金ならチャラにしてやろう」

「本当ですか!」

「しかし条件がある。君達には、新しい仕事をしてもらいたい」

「新しい仕事?」

「ココロは、アカバネの最新AIなのだろう? 洲原は、ココロの中の有害判定を取り外せ。改良もじゃんじゃんやってくれ。そして顧客から依頼された小説は、今後全てココロに書いてもらう。それで借金はチャラだ。原稿料も今まで通りくれてやる」

「えっ? 本当にいいんですか?」

 私はココロを見遣る。ココロのタブレットの画面には「楽勝だぜ」と表示されていた。

「受けるのか、それとも受けないのか。どっちだ?」

 私たちの答えは決まっていた。



 一週間後。

 私とココロは船上の人になっていた。水平線の果てまで続く大海原を、フェリーが波を切り裂いて進んでいく。天候が悪いと欠航になると聞いて不安になっていたが、蓋を開けてみれば季節柄多い台風も無く、これ以上ない快晴だった。

 潮風を受けて飛ぶカモメの群れは、珍客であるココロに興味津々のようだ。ココロもカモメを小説のネタにしてやろうと、四方八方から映像を撮り、情報収集に励んでいる。

 その光景を眺めていた私は、ふと思い出して胸ポケットから紙ナプキンの折り鶴を取り出した。翼は相変わらずふにゃふにゃだが、まだ鳥の形を保っている。強い風が吹きつけてくるのに合わせて、押さえていた指を離す。途端に折り鶴はカモメの群れに飛び込んで、どこまでも続く青空へと舞い上がっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

折り鶴よ、天高く 葦沢かもめ @seagulloid

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ