さがしている本は何ですか?

久世 空気

第1話

「安田じゃん」

 不意に声を掛けられ、私は思わず声を上げた。4人掛けの机の斜め前に座っているおじさんが睨んできて、すみませんと小さい声で謝る。声の方を見るとクラスメイトの河野が少し離れたところから手を振りながらやって来た。

「いつも図書館で勉強してんだ?」

 と隣に座ってきたが、河野と私は特に仲よくない。

「まあ、そうだよ」

 話しかけてきた理由が分からないから、勉強しながら適当に答える。

「安田って中学受験するんだっけ?」

 なおも河野は話してくる。おじさんがまだ私たちを睨んでいる気がする。

「俺、本探しててさ」

 河野は勝手にしゃべり続ける。

「手帳くらいのサイズで」

 と、私のA5版の手帳をトントンと指で叩く。

「この辺の地域の虫の写真が載ってて、採取方法まで解説してる本なんだけどさ。タイトルとか作者とか忘れちゃって」

「はあ」

「この図書館で借りた本なんだけど、見当たらないんだよね」

 そこでデカい舌打ち。おじさんがイライラしてくるのが分かる。

「見つけたら教えてよ、じゃあ」

 河野は慌てたようで早口でそう締めくくると、返事も聞かずに立ち上がり小走りで去って行った。この短い時間に図書館でしゃべる、走るというタブーを犯した河野は、おじさんと私の間に気まずい空気を残してくれた。

 何か文句を言われるかと思ったけど、おじさんは読書に戻っていった。おじさんは同じ図書館の常連で、よく貸し出しできない新聞や新刊の雑誌を読んでいるがここ数日は珍しく本を読んでいる。

 以前おじさんが最新の雑誌の事で図書館のスタッフに話しかけていたのを思い出した。そうだ、図書館なんだから河野もスタッフに聞けば良いんだ。明日学校で教えてあげたらいいか。私はテキストに目線を戻した。

 算数を終わらせ歴史の暗記をしていると真上から

「君、小学生?」

 と声が振ってきてぎょっとした。背の高い男性スタッフが私を見下ろしている。エプロンの胸に「溝口」という名札が付いていた。

「あ、はい」

「保護者なしでの利用は6時までだよ」

 集中していたら思ったより時間が経っていた。私は慌ててテキストや文房具を鞄にしまう。鞄を肩に掛けるのを待っていたようで、溝口さんはその場を離れようとし、私は慌てて呼び止めた。

「あの、聞いて良いですか」

「うん?」

「タイトルと作者が判らない本って探してもらえるんですか? 友達が図書館で借りた本をもう一度読みたいみたいで」

「それなら本人が来た方が良いね。内容から探すなら又聞きだと不便だ」

 なるほど。私もちょっと聞いただけで実際「これですか?」って持ってこられても判らない。

「じゃ、そう言っておきます」

「そうして」

 溝口さんの早く帰って欲しそうな雰囲気を察して、私は出口に向かった。


 次の日登校したら昇降口で河野と鉢合わせた。

「おはよう」

 と私から挨拶したけど、昨日のなれなれしさが嘘みたいに河野はかすかに「はよ」と返事してスッと校舎に入っていった。慌てて追いかける。

「探してる本、図書館のスタッフに聞きいたら見つけてくれるみたい」

 河野はスニーカーを脱いで、靴箱から上靴を出し、上靴を履いて、靴箱にスニーカーを納めた。聞こえてないのだろうか。もう一回言おうとしたら

「ふーん、そう」

 朝の挨拶より大きな声で、突き放すように言って大股で廊下を歩いて行った。

 なんだあいつ。

 困っていたみたいだから声を掛けてやったのに。私はムカムカしながら靴箱から自分の上靴を落とした。

 放課後図書館に行くと、入り口横の駐輪場に自転車にまたがったままの大きな背中があった。

「溝口さん」

 呼んでみると、やっぱりあのスタッフだった。電池切れのロボットみたいなゆっくりと下動きで振り返った溝口さんは私を見て「ああ」とあくびのような声を漏らした。

「入らないんですか?」

「仕事開始まで10分。それまで本の続き読みたいから」

 またゆっくりした動きで前を向く。ハンドルに肘をついて、文庫本を食い入るように読んでいた。

「中で読めば良いのに」

「アルバイトは事務所に席はない。フロアに入ったらうっかり仕事しちゃいそうだし」

 そんなうっかりってある? 溝口さんって結構変な人かもしれない。

 その時すっと自転車が横を通って駐輪場に入ってきた。

「あ、安田だ」

 声を掛けてきたのは今朝と打って変わって親しげな河野だった。

「今日も勉強?」

 こいつ、二重人格なのか?

「この人、図書館の溝口さん」

 私は広い背中を指さす。

「図書館のスタッフに聞けば良いって教えてくれた人」

「図書館司書、ね」

 溝口さんが本を閉じて言う。

「司書?」

「図書館で仕事してる人は司書っていうの」

「溝口さんも司書?」

「俺はただのアルバイト。大学卒業したら司書の資格がもらえる」

 河野は丸い目で溝口さんを見上げ、「あ、そう」と呟くと足早に図書館に入っていった。

「なんだ。あいつ」

 その様子を目で追いかけていた溝口さんが言った。私も同じ事を考えていたから、ちょっと親近感がわく。

 仕事の時間になったみたいで溝口さんは大きなリュックを背負って裏口に向かっていった。私も図書館に入る。

 棚の間から河野の姿がちらっと見えた。例の本を探しているんだろう。

 私は見つからないようにいつもの席に座ったのに、河野はさっきの事がなかったかのように近寄ってきた。

「やっぱ見つからないよ、虫の本。安田も探してくれよ」

「は? やだよ」

 はっきりと言い返したがへらへらと張り付いたような笑顔のままだ。

「そんな事言うなよ。このくらいのサイズの、表紙は白で写真が・・・・・・」

 ゴホン、と大きな咳払いがした。私たちが同時に振り返ると常連のおじさんがこっちを睨んでいる。さすがにバツが悪くなったのか、河野は顔を伏せて退散していった。おじさんはそれを見送ってからもう一度私を睨んでから本に戻った。

 私のムカムカが再燃し、勉強がはかどらないまま6時になってしまった。


 私は図書館に行くと河野がいるかどうか確認することにした。先に「話しかけるな」と牽制したい。出来れば図書館に入る前がいい。

 でも今日は河野どころかおじさんもいなかった。いつもおじさんが居る席に本が開いた状態で伏せて置いてある。

 その本を溝口さんが覗き込んでいた。その腕には10冊ほど本があり、そっとそれをテーブルに置き、おじさんの席にあった本に手を伸ばす。

「ちょっと待て」

 慌てたおじさんが溝口さんに歩み寄った。

「佐倉さん、本で席取りするのはやめてください」

 溝口が注意する。おじさん、もとい佐倉さんはちょっとむっとして

「トイレに行ってただけ!」

 と言い返し、しっしっと溝口さんを追い払った。ちょっと嫌な感じだ。

 溝口さんは気にする様子もなく本を棚に入れ始めた。私はその横に立ってみた。

「何してるの?」

「帰ってきた本を棚に戻してる」

 横目で私を見、すぐに本棚に向き合い溝口さんが答えた。

「返しに来た人にさせたらいいのに」

 溝口さんは持っていた本をすっと私の目線の高さに持ってきた。本の背に青い線で3つ枠が描かれたシールが貼ってある。

「このシールに書いてある番号で場所が決まってる。これを知らないと棚に戻せない」

「何の数字?」

「分類っている本の内容の数字」

 よく分からず私は「ふーん」と適当に返事をした。

「あの子の本、見つかった?」

 あんな態度だったのに、河野を溝口さんは気にしていたようだ。

「知らない。私は本読まないから聞かれても困るんだよね。溝口さんは本が好きなの?」

「好きだよ」

「へー、どれが面白い本?」

 溝口さんがさくさくと本を棚に差していく様子は見ていて楽しかった。

「君が面白いと思う物を知らないからわからない」

 それもそうか。溝口さんはずっと続く本棚をなぞるように指さした。

「図書館の本棚の背表紙を眺めてみたらいい」

「背表紙だけで良いの?」

 私はその指を追って見渡す。整然としているようで色も大きさも違う本が並んでいる。

「気になるタイトルがあれば表紙を見て、いまいちだったら戻す」

「それで面白い本が見つかるの?」

「たぶんね」

 溝口さんは何故か嬉しそうに見えた。


 溝口さんとしゃべった日は河野と会わなかった。来てないんだと思っていたけど見ていたようだ。

「昨日図書館の人と何しゃべってたんだ?」

 私は河野の顔をまじまじと見た。学校では話しかけても不機嫌なくせに図書館では仲良しのように振る舞う。

「いたんだ?」

 皮肉のつもりで返したら、ちょっと気まずそうに頭をかいた。

「いや、何か熱心に話してたから」

「別に」

「おい」

 低い声がしてハッとした。佐倉さんが私たちを睨んでいた。

「図書館で話すな。五月蠅くするなら外でやれ」

 ずっしりと低い声で叱られ思わず「ごめんなさい」と謝ってしまう。でも河野は下唇をかみしめて押し黙っていた。逃げる様子もなく、佐倉さんを見ている。佐倉さんが何か言いかけた時、私たちの間にひょいと背の高い男の人が割り込んできた。

「あ、溝口さん」

「こんにちは」

 溝口さんは落ち着いた声で私たちに軽く頭を下げた。

「今日はエプロンじゃないんだ」

「バイトは休み。今はプライベート。ちょっと皆さんに話があるんで、外に出てもらって良いですか」

 佐倉さんはやっといつもの図書館アルバイトだと気づいたようだ。

「何でだ。俺はいつも五月蠅い小学生に注意していただけだ」

「あ、それの事じゃないんです」

「じゃあ出る理由がない。何で追い出されないといけないんだ」

「来ていただいたら、もう二度とこの二人に迷惑掛けさせません」

 きっぱりと言い切り、私たちだけでなく佐倉さんも驚いた顔をしていた。


 図書館の前は小さな広場になっている。佐倉さんは「膝が痛いんだよ」と言ってベンチに座り、私たちは取り囲むような形で立った。

 溝口さんは佐倉さんが膝に置いたいつも読んでる本を指さした。

「これだよね、探していた本」

 河野はビクッと肩をふるわせ、小さな声で「はい」と返事した。

「地域の虫とその採り方が書いてある本、ですか?」

 私が聞くと戸惑いながら佐倉さんはうなずく。

「河野は佐倉さんが持ってる事気づいてたの?」

 河野は答えない。

 溝口さんが佐倉さんから本を受け取り、本の表と裏、すべて私たちに見えるように本を開いた。

「昨日、この本が席取りのためにこの状態で机に置いてありました。その時、おかしいなって思ったんですよ」

「おかしいですか?」

 河野がかすれた声を出した。観念したのか、言い逃れの隙を狙っているのか。

「おかしいところだらけだね。まずブッカーが貼ってない。ブッカーとは図書館のほとんどの本に貼ってある保護カバー。この本にはない。バーコードシールや3段ラベルがむき出しだ」

 昨日教えてもらった3段ラベル、他の本はブッカーの下に貼ってあった。今見ている本は上から押さえてないからちょっと剥がれ掛けている。

「驚いたのがこの持ち出し禁止シール」

 溝口さんは3段ラベルの上に貼ってある赤いビールの王冠のようなシールを指さす。

「図書館では辞書や辞典などは貸し出しできない。このシールはその印。でもちょっとデザインが違うんだよね。パソコンで作った?」

 河野は黙り込み、佐倉さんは溝口さんの手元の本をまじまじと眺めた。

 確かにシールの印刷が荒いし安っぽい。よく見たら判るけど、私なら気付かなかった。

「これ、3段ラベルに813ってなってるけど・・・・・・」

 これも昨日教えてもらった本の内容を表す数字。溝口さんはちょっと笑って答えてくれた。

「813は辞典。ちなみに昆虫はおおむね486だね」

 それを聞くと河野ははぁーと長い息を吐いた。

「そんなところ、誰も見てないと思ってた」

 開き直った態度に私はちょっと腹が立った。 

「そんなところって、溝口さんはは見てるんだよ。っていうかこの本は何?」

「俺の叔父さんが作った本だよ」

「学者か?」

 佐倉さんの問いに河野は首を横に振った。

「全然違う仕事してる。でも休日は必ず虫取りや魚釣りするくらい生き物が好きで、好きが高じて本を作ったんだって」

 私はそこではじめて本を開いた。私も知ってる、この地域の小学生なら遠足で必ず赴く山で虫を採取しているようだ。季節に分けて採取できた虫の写真と、採取するための罠の制作過程が詳しく載っている。

「俺はすごく面白いと思ったんだ。でもこういう本は本屋さんでは置いてくれないし、フリーマーケットみたいなところでもあんまり売れない。叔父さんの家にはすごい在庫が残ってる」

「それで勝手に図書館に置いたの?」

「最初はカウンターに持って行って図書館の棚に並べて欲しいってお願いしたんだ」

 私と河野は溝口さんを見た。溝口さんはちょっと困ったようにうなずく。

「個人で作った本は、図書館では受け入れられない」

 それで納得いかなかった河野は勝手に置く事を考えたらしい。バーコードシールや3段ラベル、そして貸し出しを恐れ、わざわざ持ち出し禁止のシールも自作して。

「一週間くらい前にこっそり置いてみた。でも図書館のスタッフにばれたら奥付に書いてある叔父さんのメールに連絡が行くと思って、怖くなった。でもずっと読んでる人がいて回収できなくて」

 河野は今度は佐倉さんを見た。佐倉さんは難しい顔をして押し黙っている。

「佐倉さんに気付いてもらえるように私に話しかけてたの?」

「うん、まあ」

 気まずげにそう言って、河野は佐倉さんと溝口さんに向き直った。

「あの、すみませんでした。図書館でしゃべってたのもそうだし、勝手に本置いてごめんなさい」

 と、佐倉さんと溝口さんに頭を下げる。溝口さんは「僕は今、プライベートだから」と笑って言った。

 佐倉さんは「うーん」とうなり、口を開いた。

「俺は、社会人になるまでこの辺で育った。この本読んで子供の頃を思い出したよ。面白かった」

 強面と裏腹に声は優しかった。

「1冊買いたい。あんたの叔父さんに連絡できるかい?」

 泣きそうな顔だった河野がぱっと笑顔になった。

「すぐ連絡します」

 河野の叔父さんは仕事が休みだったようで、すぐに本を持って図書館に来る事になった。待っている間、河野と佐倉さんはベンチで虫の事を話していた。河野も叔父さんの影響で虫が好きだそうだ。さっきまであんなに怖がっていたのに、2人はずっと友達だったかのように見えた。

 変なのって思うけど、あんまり嫌な気分じゃない。

 でもそんな2人を眺めていてもしょうがないので、私は図書館で勉強する事にした。

 すると溝口さんも一緒に図書館に入ってきた。

「今日バイトお休みなんでしょ?」

「せっかく来たんだから、本借りて帰ろうと思って」

 どれだけ本が好きなんだ。溝口さんは魚のようにスイスイと本を探して本棚を渡り歩いていってしまった。

 私は机に向かわず児童書の棚の前に立ってみた。眺めながらタイトルを目で追いながら歩く。いろんなタイトルの本がある。歩いているうちに、ふと引っかかる言葉があった。なんだろう、この本。その本を棚から引き出し表紙を見た。綺麗な絵。

 私は何気なくページをめくり始めた。

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