第37話 急な調査

 あたしが目にした魔物は、里から青都へ行く途中に遭遇した異形の猪。


 ただ一度の経験だけど、あの時感じた魔物の恐ろしさは、今でも鮮明に思い出すことができる。


 テンマルさんが上手く躱し、ブンブクさんが対処してくれなければ、どうなっていたか……。


 そういえば、あの時はブンブクさんが投げつけた何かが効いたんだっけ。


「ここ陸奥でも、単独の魔物を見掛けることはありました。しかし今から二月程前、突然魔物の群れが現れ始めたのです」


「魔物に遭遇した者らは無事だったのか? 奴ら、生き物と見れば見境なく襲ってこよう」


「我ら泥田坊、田んぼがあれば瞬時に潜り、離れた場所の田んぼへ移動できますので、なんとか。ただ、それからも度々現れるようになり、青都へ陳情したのでございます」


「なるほど。数はいかほどであった」


「初めは十匹程。しかし徐々に数を増し、最近の知らせでは百に届くのではないかと」


 百という報告に、兵達がどよめく。


「事態は想定よりも逼迫しておるな。奴らの現れた場所は?」


「南東の山に造られた棚田の、向こうにございます」


「相分かった。早速調査へ赴くとしよう。念のため、棚田へ近付くことはしばし控えるように」


「「「承知いたしました」」」


 御当主様の声に、他の泥田坊達が周囲の田んぼにいつの間にか現れ、一斉に頭を下げた。


 その数、ざっと見ただけでも優に数百を超えている。


 見渡す限りの田んぼを維持するにはこのくらい必要なんだろうけど、その容姿は皆一様に半裸の禿頭で、ちょっと怖かった……。



 慌ただしく出立の準備が始められる中、あたし達世話役も対応に追われていた。


 昼餉は過ぎているけど、夜に必ずしも戻ってくるとは限らないからだ。


 屋敷の竈を全て使い、米に水を吸わせる時間も惜しんで炊いていく。


 炊き上がった熱々の米は、梅干しを入れ火傷に気をつけながら手分けして握り、笹の葉で包む。

 

 あたしは皆から離れた場所に追いやられ握っていたけど、おかげ特別な握り飯をこっそり作ることができた。


「甘さがあれば、スサノオも少しは美味しく感じてくれるかな」


 梅干しの代わりに入れるのは、離れから持ち出した昆布の佃煮。


 それを、他より少ないご飯で握る。


 出来上がったのは、小さな俵型の握り飯八つ。


 あたしは他と間違えないよう、笹の葉で包んだ後い草で丁寧に縛った。


「これでよし、と」


 割り当てられた釜の分を握り終えると、兵達はいつでも出れる状態になっていた。


 先頭に御当主様とツクヨミが並び、その後に兵達がずらりと並んでいる。


 スサノオがいたのは、最後尾。


 ツクヨミとは扱いが露骨に違うじゃない……。


 ふつふつと込み上げてくる、怒り。


 用意した握り飯は、古参らしい世話役から順に手渡されていった。


 あたしが渡す番は、当然のように最後。

 

 おかげで特製の握り飯を堂々とスサノオに渡せるから、いいんだけどね?


 ただその前に受け取った、名も知らぬ兵達??


 あたしの握った飯がそんなに嫌なら食うなよ……と、口から出そうになった言葉を飲み込む。


 大人になったものだ、あたしも。


 心の中で自分を褒め、スサノオの側へ寄る。


 握り飯を受け取るスサノオの手に、あたしは両手をそっと重ねた。


「気をつけて」


 祈るように声を掛けると、


「うん」


 スサノオは気丈に振る舞いながら、しっかりと頷いてくれた。


 出立するその背を見て、再度念じる。


 どうか、無事に帰ってきますように……。

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