第6話 トロワ再び

 自宅へ帰る途中、通りがかった商店街の方で何か騒ぎ声が聞こえた。


「何だぁ? こんな時間に……」


 野次馬ではないが、ちょっと気になる。歩く方向を変えて、ウィルは騒ぎの出所へ向かってみた。


「あのなぁ、大人を馬鹿にするんじゃねえぞ! 買い物をするのに金が必要なんて、おつかいで一番に教わることだろうが! 知らないなんてそんなわけないだろ!」

「え、えぇ、そうなのぉ!? 僕知らなかった……おつかいって何?」

「おつかいってのは、小さな子が親に頼まれて買い物をだなぁ……なんでオレがそんなことまで教えてやらなくちゃならねえんだ!!」


 大声で怒鳴り散らしているのは、ウィルもよく利用する青果店の店長、ヤオだ。祖父の代から店をやっているとかで、ウィルよりやや年上で背丈も声もでかい。その自慢の大声で呼び込みをするので、商店街に行けば、たとえ青果店に用はなくても大体彼の声を聞くことが出来る。


「トロワ様。おつかいとは、一般的な家庭で、よく見られる、子供に用事を、依頼する行為を、指します。この場合で言えば、品物を購入することを、子供に委託する、行為であるかと、考えられます」

「そーなんだあ! じゃあ僕は初めて『おつかい』をしたことになるんだね! ……あれ、でもおとうさまにお願いされたわけじゃないから、違うのかなぁ? クレシア、どう思う?」


 聞こえてきた声と名前に、ウィルはぎくりとする。まさか、と思うが、まさかと思った時点でもう確信しているようなものだ。ウィルは足早に人だかりへと向かった。

 騒ぎを眺めている町の人達の隙間に潜り込み、ウィルはその騒ぎの発生源へと辿りつく。そこにいたのは、


「難しい質問です、トロワ様。クレシアには、難しい質問です」

「えっ、そうなの!? ごめんね、クレシア! じゃあ今度から、難しい問題は二人で一緒に考えようね!」

「……いつまで仲良しこよしでお喋りしてんだあああああ!」


「…………やっぱり」


 がくり、とウィルは脱力した。想像通り、昨日出会った妙な二人組、トロワとクレシア、そして彼らに振り回されているヤオがそこにいた。

 トロワは自分が騒動の中心にいることなど一切気にしていない様子で、ぽやっとヤオを見上げている。そして不意に、その向こうにいるウィルと目が合った。


「あ、おにいさま!!」

「は?」


 反応が遅れたウィルへ、トロワは軽やかに駆けてきた。

「おにいさま、こんにちはぁ! また会えるなんて嬉しいなっ!」

「え、ちょっと……」


 狼狽えるウィルにお構いなしで、トロワはウィルの腕に飛びついてきた。そんなこと、ウィルは今までされたことがない。女性からは勿論、男からだって。


「な、何でくっついてくるんだよ!」

「だっておにいさまに会えて嬉しいんだもん!」

 えへへ、とはにかむトロワの顔に、ウィルは一瞬見惚れて頬を赤くする。そう、トロワの顔は可愛いのだ。男と分かっていても、一瞬時を忘れるほどに……


「ほお~~~~? そいつはウィルの彼女だったのかい? オレの店のモン盗もうとしてすっとぼけて、オレの目の前で乳繰り合うたぁ見上げた根性じゃねえか……!」


 地を這うようなヤオの声に、ウィルははっと我に返り、そして慌ててトロワを引っぺがした。

「彼女じゃねえっ! こいつは男だっ!!」

 うっかり野次馬根性を出したせいで、面倒なことに巻き込まれた。あのまま真っすぐ帰っていればよかった、と今更後悔しても詮無き事である。


「何やってんだよお前ら、こんなところで……」

「あのねぇ、僕お腹すいたから、あのリンゴを貰おうと思ったんだ」

 相変わらずぽやっとした顔のまま、トロワはそう言って向こうの屋台の木箱に積み上げられたリンゴを指さした。


「そしたら、このおじさんに怒られちゃって……僕、いただきますってちゃんと言ったんだけど、聞こえなかったのかなぁ?」

「……ちゃんと金は払ったのか?」

 ウィルは腕を組んでトロワに問いかける。店のものを購入するのに、金を出したのかなんて馬鹿馬鹿しい質問だ。そう思ってのことだったが、


「カネって何?」

「…………」


 ひく、とウィルの頬が引き攣った。そして一旦トロワから視線を外し、ものすごい速さでクレシアの方へ駆け寄る。


「おい、あんたなぁ!! 仮にもお付きのメイドなら、ごっこ遊びに他人を巻き込むなって教えておけよっ!」

 なるべく周りには聞こえないように、努めて声を潜めてウィルは捲し立てた。対するクレシアは、やはり昨日のように無表情の無感動の無味乾燥である。


「トロワ様の、修行の旅を、お世話するのが、私の役目です。何か、不足がありましたか?」

「ありまくりだろ! いくら金持ちの坊ちゃんだとしても、金の使い方ぐらい……」

「貨幣、ですか? 私が、出発前に、持たされたものは、こちらになります。これは、使用可能ですか?」


 クレシアはそう言うと、エプロンのポケットに手を差し込み、すっと何かを取り出した。

「……なにこれ?」

「ペイメントコイン、です。魔界では、こちらで支払いを行うのが一般的です」

 華奢な指が取り出したのは、まるで玩具のようにごてごてと装飾が付いた小さな円盤、コインだった。ウィルが知っている貨幣、オロやアル、クープのコインとはまるで違う。


「なになに? 二人とも何のお話してるのぉ? 僕も仲間に入れてよぉ!」

 唖然とするウィルに、トロワが再び引っ付いてきた。その衝撃で我に返ったウィルは、これ見よがしにため息をつく。


「もうどうでもいいや……とりあえず、この場はどうするつもりだ? あんたの持ってるソレは、ここじゃ使えねえんだからさ」

 ウィルは投げ槍にそう言った。相手をしていると、ごっこ遊びがいつまでも続きそうだと思ったのだ。目の前にいる巨漢のヤオは、絶対に許さんぞという顔でこちらを睨んでいる。

 どうしてウィルまで睨まれなくてはならないのか。無性に泣きたい気持ちになってきたウィルだったが、


「では、エクセキューション……」

「だめだめだめ!!」


 クレシアが右手を翳し、その手が淡く光り輝いたのを見てウィルは飛びつくようにクレシアを抑えた。

「こんなところで魔法を使うな!」

「ウィル様。こちらは、魔法では、ありません。私達、〈クラリス〉シリーズの特性である、魔導高分子化合物パーツを変形させ……」

「わかったわかった! もういいから、ちょっと待ってろ!」


 何やらゴチャゴチャ言っているクレシアを遮り、ウィルは両手でステイの仕草をする。そして咳払いし、今度はヤオの方へと近寄った。


「悪かったな、ヤオ。あいつらが欲しがったリンゴは俺が払うから、この場は納めてくれよ、な?」

 愛想笑いを浮かべて手を合わせてくるウィルを、ヤオはぎろりと睨んで見下ろした。


「ウィル、お前の知り合いだからってオレは容赦しねえぞ。このオレの目の黒いうちは、万引きなんか絶対に許さん!」

 ずい、としかめっ面で迫られ、ウィルは視線を彷徨わせた。


「じ、実はさ……俺も昨日出会っただけなんだけど、どうやらあいつらは可哀想な境遇らしいんだ……」

「はん、同情を誘おうったってそうはいかねえぞ。オレには店を守るという正義がだな、」


 まあ聞け、とウィルは切々と語り出した。

 トロワは幼い頃から病気をしており、ずっと屋敷の中で過ごしてきたため、世間の常識を殆ど知らずに成長してしまった。ようやく病気を克服したものの、長い闘病生活によって心を病んでしまったトロワは、自分のことを魔界の王子だと思い込んでしまったのだ。


 それはベッドから動くこともままならず、部屋から出ることの出来ないトロワの唯一の楽しみだった読書によって培われた想像力が、思いもよらない方向に発展してしまった悲劇だった。その物語を勧めたのは脇に控えるメイド、クレシアである。彼女は罪滅ぼしのために、彼の夢を守りながら彼の世話を焼き、まやかしの旅に同行しているのである……


 金のことを知らないのも無理はない。彼は生まれて初めて、自分の意志で買い物をしようとしているのだ。きっとクレシアも、内心では慌てているが、トロワの手前それを言い出せず困っているのだろう。だから、自分が代わりに支払いをすることで、この場を丸く収めてはくれまいか。


 ……と、純度100%のデタラメをウィルはまことしやかに語って聞かせた。なるべく気持ちを込めて、大袈裟な程に身振り手振りを添えて、ヤオの心に響くように。

 

 ちらりと様子を見ると、ヤオは寸分たがわず厳しい顔でウィルを睨んでいる。


「ウィル、お前……オレを馬鹿にしてんのか……?」

(だめか……?)


 流石に無理があったか。かくなる上は土下座でもして、と思っていると。


「そんなもん、なぁ……知らずに、オレは……っ、怒鳴りつけるなんて、して……ふぐぅっ」

「え、まじ?」


 ヤオは顔をくしゃくしゃにして泣き出した。巨漢の男が叱られた子供のようにしゃくり上げている様は、見ているこちらが気まずくなるものがあった。


「ウィル、オレはだめだ、こういう話には弱えんだよ……っぐ、ずび……っ! わかった、いいぜ、持っていきなぁ……何なら木箱一つ丸ごと持っていけって。トロワちゃんの初めてのおつかい、オレが責任もって成功させてやるぜ……!」

「いや、流石にそれは多すぎ」


 付き合い切れん、とウィルは冷えた頭でそう答え、手早く財布から銅貨を取り出した。

「ほら、10クープな。俺が後で言い聞かせとくから、許してやってくれ」

 いつまでも泣いているヤオに、ウィルは強引に銅貨を握らせた。うんうんと頷くヤオは、銅貨をエプロンのポケットにしまうと徐に屋台に戻り、そしてリンゴを三つ持って戻ってきた。


「トロワちゃん、お代はもらったからもういいぜ。リンゴ、持っていきな」

「いいのぉ!? でも、一つだけでいいよ?」

「遠慮するなって、騒がせちまったオレからの詫びだ。そこのメイドさんと、ウィルと仲良く分けな」


 先程までの険しい顔はどこへやら、ヤオは優しい笑みを浮かべてリンゴをトロワに差し出している。トロワは少し迷ったようだが、嬉しそうにそれを受け取った。


「親切にしてくれてありがとう、おじさん!」

「いいってことよ。それと、出来ればおにいさんって呼んでほしいぜ。オレ、これでも23だからよ」


 へへ、と鼻の下を擦るヤオと両手でリンゴを抱えるトロワ、その背後に無言で控えるクレシア、そして完全に置いてけぼりになったウィル。

 もはや周囲に人はなく、いつの間にか周囲は買い物を済ませようとする人々がただ通りすぎるだけとなっていた。



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