第5話 〈酒場〉に行こう

 怪しい二人から逃げるように町に戻り、ウィルは早々に自分の居住部屋へ戻った。食事を作るのも億劫だが、商店街で食べて帰るのは無駄遣いだ。これから再び求職する身となるのだから、なるべく節約していかないと。

「明日も仕事だし、さっさと寝るか……」

 

 家にあった食材で適当に夕飯を済ませたウィルは、残りの家事も手早く片付け、言葉通り早い時間にベッドに入った。

 自然と明日の仕事のことを考えるが、それもあと少しで終わるのかと思うと寂しい気持ちになる。以前はあんなにも会社や仕事に文句を言っていたのに、いざそれを取り上げられると追いかけてしまうのは我儘なのだろうか。


「どうしようかなぁ、これから……」

 眠気は来ないが、寝なくては。目を閉じて無理やり眠気を引き起こし、ウィルの意識はゆっくりと沈んだ。



***



 あれから数日経った。


 今日のウィルは商店街の方へと足を向けた。次の仕事を探すべく、仕事斡旋所である〈酒場〉へ行くのだ。

 酒場、という名の通り、そこでは飲食が可能で酒も提供される。酒を飲みながら求人票を眺め、気に入った仕事があればそれを店員に伝えて職場に伝えてもらい、実際に職場へ面接をしに行く。これが仕事を探す一般的な流れである。


 酒を飲みながら、というのは形式的なものなので、実際は飲まなくても問題はない。体質的に酒が飲めない者でも利用は可能であるが、これは暗に利用できるのは『酒が飲めるだけの大人』が条件になっている、という意味である。


 この世界では一律で成人という規定はなく、国や地域によって大人とみなされる年齢が異なる。大体は十八歳だが、中には十五歳、あるいは何か特定の行為を経て大人とみなされるため年齢は不問、という場合もある。ちなみに酒に年齢制限はない。

 また、酒の場は誰もが饒舌になり、初対面の相手であっても雑談が容易になるという利点もある。仕事を求める者同士、有益な情報を交換するのにも酒というアイテムは非常に便利なのだ。


 ここに来るのは前回が最後にしたかったのに。そう思いつつ、ウィルは〈酒場〉のドアをくぐった。時間的にも仕事を終えてそのままここに来たという者が多いようで、店内はそこそこ賑わっている。

 ホールに並ぶテーブルでは求人票を並べてあれこれと話し合う者達、あるいは現職の文句や愚痴で盛り上がりながら酒を飲む者達を眺めていると、奥のカウンターに立つ男がぱっと顔を向けた。


「いらっしゃい。……あらウィル、久しぶりじゃない!」

「どーも、マスター。出来れば来たくなかったんだけどね」


 ウィルは言いながら店内を進み、カウンターの空いている席に腰掛ける。マスター、と呼ばれた男はニコニコと嬉しそうにしながら近づいてきた。口調は女のようだが、外見も肉体も男である。無造作にかき上げた前髪、彫りの深い男前の顔立ちに、ワイルドな胸板はウィルも多少憧れるところであるが、当のマスターはそんな外見で可愛らしく肩を竦めてみせる。


「何よぉ、可愛くない事言っちゃって! 最近全然顔見せないから、寂しかったのよぉ」

「だって仕事してるんだし……あ、モスコミュールくれる? あとチキンの香草焼きとジャーマンポテトも」


「相変わらず安いものばっかりねぇ。いいわよ、おまけでパンつけてあげるから、食べていきなさい」

 マスターは呆れたように言い、注文メモをカウンター奥から繋がっている厨房に伝える。小さな窓から見える厨房の様子は慌ただしく、複数のシェフが鍋を持って動き回っている様子が窺えた。


「俺、もうここで働かせてもらおうかな……」

 思わず呟くウィルの前に、マスターが作ってくれたモスコミュールが置かれた。

「残念でした、今は厨房の求人は出してないのよぉ」

「だろうなぁ……いただきます」


 炭酸が弾ける水面に、ウィルはゆっくりと口をつける。甘く爽やかな味がぱちぱちと口の中で弾けて、その後からアルコールの苦みが追いかけてくる。冷たいはずなのにかっと粘膜が熱くなって、その温度差がまた堪らない。


 ウィルは至高のため息をつきつつ、壁にかかっている求人広告を眺めた。やはりどこも人手は足りているらしく、広告の枚数は少ない。


「もしかしてウィル、あんた仕事探しに来たのぉ?」

「じゃなきゃここに来ねえよ。クビになったから、今日で仕事は終わりなんだ」


 頬杖をついてそう答えたウィルを、マスターは憐れむように見た。

「そうなのぉ、お気の毒だったわね。あそこねぇ……以前は景気よく求人票を出してきてたけど、最近は放り出す人の方が目立ってきてるわね。以前から増えてきてんのよ、あそこを辞めて次の職場を探しにきたって人。こうなってくると職場環境に問題あるんじゃないのかしら」


 太く逞しい腕を胸元で組み、優雅な仕草で頬に手を添えてマスターはそんなことを呟く。職場の同僚が少しずつ減っていっていることは、ウィルも薄々気付いてはいた。だけどまさか、自分も同じ目に遭うとは思いもしなかった。


「だからさ、次の職場を探してんだ。マスター、なんかいいとこない?」

「そうねぇ、今は……あ、出来たみたいよ。チキンの香草焼きとジャーマンポテト、はいどうぞ」


 厨房から差し出されたトレーに気付き、マスターは出来たての料理をウィルの前に置いてくれた。香ばしいチキンの香りとほくほくのポテト、そして暖かくふかふかなパン、それらを目前にして、ウィルの口の中は一気に唾液が溢れ出す。


「いただきます!」

 ひとまず仕事のことは忘れて、ウィルは食事に夢中になった。今この時だけは、全ての悩みを忘れてしまえる。ひたすらガツガツ食べているウィルを、マスターは呆れたように笑ってみていた。


「いい食べっぷりねぇ。……あんたには悪いんだけど、今はどこも人手が足りてる状態よ。そこで飲んだくれてる大人達だって、仕事を探してここに通ううちに酒盛りが目的になっちゃってるし。お客さんに出せる求人票が少なくて、こっちも困ってるのよねぇ」

 そう言ってため息を吐くマスターを見て、ウィルは一度食事を止めた。


 やはりどこも不景気ということか。この〈酒場〉が繁盛しているということは、職を探している者がそれだけ多いということ。見たところウィルよりも年上の者も多いし、そんな者達ですら仕事が見つからないとなると、若輩者のウィルに回ってくる求人は更に厳しくなるだろう。


「全くない、ってわけじゃないのよ。でも条件が厳しくてねぇ……こんな田舎町に、〈精密機ギア械〉経験十年以上、魔導技師検定二級以上所持者、なんてほとんどいないわよ。自分達で人材を育成するって気もないのに、高望みなんだから」

「魔導技師かぁ……魔法が使えたら、何処に行っても仕事に困ることなんかねえよな」

 ウィルはそう呟き、カウンター越しのマスターを見上げた。


「魔法って、何処かで習えるもの? 俺でも頑張ったら使えるかな」

 その言葉にマスターは目を瞬かせ、そして脱力したように笑った。

「あんた、その言葉がもうその質問の答えよぉ。魔法ってのはね、生まれ持った素質で使うものなのよ。誰に教わらなくても使えるのが魔法なの。あたしだって使えるわけじゃないけど、魔導技師はたくさん見てきたわ。皆、物心ついたときには魔法が使えてた、って言ってたわよ。もしかしたら何処かには魔法を学べる学校もあるのかもしれないけど、少なくともあたしは聞いたことないわねぇ」

「うー……そっかぁ」


 がくり、とウィルは項垂れた。今までだって仕事に必要な経験や、有利な資格は必死に勉強して取得してきた。魔法も頑張って取得できるなら、と考えたが、どうやら甘い夢だったらしい。

 そもそも経験や資格も、働き出して二年程度のウィルに取得できるものなどたかが知れている。もっと有益な資格は、勤続年数まで必要条件になってくるからだ。

 とにかく、今のウィルに出来ることでは、この厳しい求人状況に対抗する手段がないということか。


「元気出しなさいよぉウィル。あんたはまだ若いんだし、それだけでも有利ってもんよぉ。あるいは、別の大きな街まで出稼ぎに行くって手もあるわね。そうなったら寂しくなるけど、悪い手じゃないわよぉ」

 マスターは明るく言って、向こうの客に呼ばれて行ってしまった。ウィルは目の前の食事を最後まで平らげ、一息吐く。


 ウェンズにも言われた『この町を出ていく』という選択肢。

 確かにそれも一つの手だ。元々ウィルは外から転居してきた身で、町に残していく家族や財産があるわけでもない。やろうと思えば、いくらでも出来るのだ。

「気が進まない、なんて言ってる場合じゃないか……」

 とにかくウィルには夢がある。いや、目標と言うべきか。そのためなら、四の五の言っていられない。


「ごっそさん。マスター、話聞いてくれてありがとな」

「あらぁ、もう言っちゃうのぉ? 食べ終わった後なんだし、もうちょっとゆっくりしていきなさいよぉ」

 立ち上がって財布を広げるウィルに、マスターは拗ねたように唇を尖らせてみせる。いかつい男がやるには少々厳しい仕草だが、何故かマスターがやると不快にならないのが不思議だった。


「節約しないとだし、いつまでも水飲んで席潰すってわけにもいかないだろ? ……もし町を出ることになったら、その時は挨拶に来るよ」

 ウィルがそう言うと、マスターははっとしたように表情を変えた。


「……そう。そうなったら寂しいけど、仕方ないわねぇ。その時はお弁当持たせてあげるから、ちゃんと顔出すのよぉ」

「はは、何だそりゃ。……じゃ、これお代ね」


 冗談を笑って受け流し、ウィルは〈酒場〉を後にした。


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