第3話 君はシューティングスター
「ーーーわああああああん怖かったぁあああああ!!!」
突如、静かな草原に響き渡った泣き声に、ウィルはぎょっとして硬直する。泣き声の発生源は自身の腕の中。
先程受け止めた子供がわんわん泣きじゃくっているのだった。
「お、おい、そんなに泣くなって……!」
「無理ぃいいいいいだって怖かったもんんん!!」
わたわたと狼狽えるウィルに、子供はしがみついてひたすら泣きじゃくる。どうしたもんか、と困り果てるウィルの頭上に、再びあの影が。
「え、また……!? も、もう無理だぞ、流石にこの状態で受け止めるとか……っ!!」
混乱の中で今取るべき行動を模索するウィルへ向かって、影はどんどん近付いてくる。つまり、着地点はここということか。
「わああああああっ!!」
ぶつかる!! 思わず腕の中の子供を庇うように抱えて、ウィルはぎゅうっと目を閉じた。
轟音と共に地面が吹き飛び、ウィル達は吹き上がった土や小石、飛び散る草木を存分に浴びる。どうやら着地点はややずれていたらしく、ウィルのいる位置から少し離れたところに落下物は落ちたようだった。
「さっきから、一体何なんだよ……!」
土煙に噎せて咳き込みながら、ウィルはのそのそと上半身を起こした。子供は相変わらずしがみついたままで、ふわふわとした金髪に土が飛び散ってしまっている。
「おい、いい加減離れろって。怪我してないか? それともどっか痛むのか?」
泣いている相手に酷く当たるわけにもいかず、ウィルは蹲って揺れる背中を軽く叩いてやる。それに応じるように、子供はしゃくり上げながらもゆっくり顔を上げた。
「怪我は、っく……して、ないぃ……」
「ん、じゃあよかっ、た……」
涙に潤んだ目が、ウィルを見た。その瞬間、まるで胸の奥を握り込まれたような感覚に陥り、ウィルは言葉を失った。
星みたいだ、と思った。風に揺れる淡い金髪よりも、泣きじゃくって赤く染まった頬よりも、零れ落ちる涙に濡れた瞳よりも。
その向こうにある『何か』に、ウィルは胸の奥を貫かれるような感覚を覚えた。それが一体何なのか、考えるより先に。
「
「どわぁあああっ!」
殺気を感じて咄嗟に身を捩ったウィルが、さっきまでいた場所へ勢いよく何かが突っ込んできた。見れば、一人の少女が手にした剣を地面に突き立てている。つまり、避けていなければあの剣がウィルに突き立てられていたということだ。
「お、おい! いきなり何すんだ!」
いくら相手が少女でも、いきなり人に向かって刃物を突き立てようとするのはいただけない。流石のウィルも思わず怒鳴り声を上げたが、少女の方は至って冷静だった。
黒いワンピースの裾を丁寧に捌き、鮮やかな緑の髪を靡かせる少女は地面から剣を引き抜く。よく見れば、剣の根元は少女の腕と一体化している。
「な、お前、一体……!?」
「クレシアは、トロワ様の護衛役、です。トロワ様を、傷つける者は、排除せよと、教わっていますので」
まるで人形のように一才の表情の変化もなく、少女はそう答えた。情報と展開についていけないウィルだったが、このままでは再びあの剣がこちらへ向けられることだけはわかる。どうすれば、と考えていると。
「やめてクレシアっ! この人は僕を守ってくれたんだよ! 酷いことしちゃだめ!」
急に腕の中の子供が声をあげ、その声にウィルは驚き、またクレシアと呼ばれた少女も動きを止めた。
「ですが、トロワ様。今、貴方は、怖かったと、仰いました。その人物が、トロワ様を、脅かしたのでは、ありませんか?」
「違うのっ! 怖かったのは落ちてきたからだよ! この人は僕を受け止めて守ってくれたんだよぉ! お礼を言わなきゃいけないぐらいなのに、排除だなんてっ!」
子供は必死に訴え、それを聞いた少女は急に大人しくなった。華奢な体に不釣り合いな剣は、淡い光に包まれたかと思うとその形をぐにゃりと歪ませ、一瞬で少女の腕となる。
「そうでしたか。クレシアは、間違えてしまいました。トロワ様、申し訳ありません」
少女、クレシアは冷静かつ慇懃に答え、ぺこりと頭を下げた。唖然としているウィルの腕の中で、子供は満足そうにうんうんと頷いている。
「いいんだよ、間違えるのは誰でもあることだよ。ちゃんと謝れて、クレシアは偉いねぇ」
「……いやちっともよくねぇよ!!」
思わず大声で割り込み、ウィルはいつまでも抱えていた子供をポイっと放り出した。
「ふぇっ!?」
間の抜けた声と共に、子供は草原にコロンと転がる。その背後でウィルは立ち上がり、全身に飛び散る土や雑草をばしばし叩いて払っている。
「お前ら一体何なんだ!? いきなり空から降ってくるし、腕はでかい剣になるし! 訳がわかんねぇよっ!」
どう考えても普通じゃない二人から、ウィルはじりじりと距離を空けようとする。見たところ怪しい部分はないが、登場の仕方が思いっきり怪しいのだ。何かあればすぐ走って逃げて、今あったことは忘れよう。
ウィルがそんなことを考えていると、地面に座り込んでいた子供が勢いよく立ち上がり、ピシっと背筋を伸ばした。
「僕はトロワ! 魔王ヴィルブランドの後継者、トロワ・ニト・トゥルーエって言います! 一生懸命頑張ります、よろしくお願いします!」
「…………は?」
ぽかんとするウィル、胸を張ってニッコニコのトロワ、そして無表情のクレシア。三人の間に夕暮れの渇いた風が吹き抜けた。
「えへへ、初めての挨拶だぁ! クレシア、どうだった?」
トロワは堪えきれないとばかりに後ろのクレシアを振り向く。クレシアは無表情のままパチパチと拍手を送っている。
「素晴らしいです、トロワ様。堂々とした、お見事な名乗りで、ございます」
「ほんと? やったぁ!」
とても言葉通りとは思えない淡々とした称賛に、トロワは嬉しそうに照れ笑いを浮かべている。
「な……何なんだこいつら……」
完全に置いてけぼりを食らっているウィルは、顔を引きつらせる。そんなウィルを、トロワは興味津々と言った様子で見やった。
「助けてくれてありがとう、おにいさん! おにいさんのお名前は何て言うの?」
「……」
名を問われ、ウィルは暫し悩んだ。このどー見ても、どー考えても怪しい二人組に、軽率に名前を教えていいものだろうか? 田舎から出てきた際、色々と騙されて痛い目を見た経験がある手前、こういったことには慎重になる癖がついているのだった。
「どうしたの?」
トロワが近付き、ウィルを見上げて顔を覗き込んでくる。初対面の相手に、全くの無防備。受け止めた時も小柄だと感じたが、立って並んでみるとトロワはやはりウィルより頭一つ分ほど背が低い。大きな瞳に見つめられて、ウィルは居心地が悪くなってきた。
「……ウィルだよ。ウィル・アルゴーン」
結局、ウィルは名乗ってしまった。キラキラ輝くような視線に気圧された、とは認めがたく、教えたところで悪用する相手でもないだろうし、と自分に言い訳をした。
「ウィル? ……ウィルさん。ウィルおにいさま! 僕の命の恩人、ウィルおにいさま!」
まるで語感を確かめるように、そして自身に教え込むように、トロワは何度も教わった名前を繰り返し呼ぶ。どこか嬉しそうに名前を口にするトロワに、思わずウィルは呼び掛けた。
「何度も呼ぶなっての! つーか、おにいさまって何だよ。そもそも、お前男だったのかよ……」
「えっ?」
その言葉にトロワはきょとんとした顔を浮かべる。
「僕、男だよ? どうして?」
「いや、」
顔が可愛いから、とは言い出せず、ウィルは咳払いで誤魔化した。
「で、トロワとやら」
「はいっ!」
名前を呼ばれ、トロワは元気よく挙手する。そんな無邪気なトロワを、ウィルは胡散臭いものを見る目で見た。
「魔界の何とかって聞こえたけど、何て?」
「魔王だよ! 僕のお父様は魔界アズワーンの王様、ヴィルブランド・ディーバー・トゥルーエっていうの。僕はお父様の跡を継いで次の魔王になるんだ!」
トロワは当たり前のことを喋っているという風だが、ウィルは眉を顰めて呆れた視線で答えた。
「魔王だぁ? 魔界だぁ? 何言ってんだお前」
「へ?」
「魔界アズワーンって、この大地のずっとずっと下にあるっていうおとぎ話だろ? おまけに魔王とか……初対面の相手にデタラメ言うのも大概にしろよな」
馬鹿馬鹿しい。ウィルはフンッと鼻から息を吐き出した。
魔界アズワーン。人間達が住むこの世界、アースクルと対を為すもの。伝説では遥か遠く、この地面の下に封印されし闇の世界であり、恐ろしい魔物や残酷な魔族・モーレンがひしめいているとされている。
そして、空に浮かぶ月が黒く染まる時、アズワーンを封じる封印が解かれ、魔界の全てが地上を覆い尽くし、世界は闇に染まる……とされている。
だが、その存在はただの伝説やおとぎ話であり、小さな子供ならいざ知らず、十歳にもなれば信じる者は殆どいなくなる。何せ魔界も魔物も、魔王ですら誰も見たことがないからだ。
当然、ウィルも全く信じてなかった。そのため、トロワの自己紹介も一切信じようとしなかった。
「さてはあれか? そうだったらいいのにな~っていう思い込み的なやつか? 残念だけど魔王にはなれねえよ、魔界なんかねぇんだから」
トロワが冗談を言っているのだと思ったウィルは、軽い調子で言って笑ってやる。
「な、なれるもんっ!!」
不意に大きな声を出され、笑っていたウィルはぎょっとする。さっきまで笑顔だったトロワが、真剣な顔でこちらを見ていた。
「僕は魔王になるよっ、絶対になるんだから! お父様との約束だもん、立派な魔王になるためにこうやって修行に出たんだから、絶対になってみせるもんっ!」
「……」
必死に言い返すトロワの真剣さに、ウィルは気圧された。
『何言ってんだ、子供のお前にゃ無理だよ』
『できるよ! 俺だってもうでかくなったんだ、何だってできる! やってないのに決めつけるんじゃねえ!』
ふと、いつか自分に言われた言葉を思い出す。初めて仕事を探しに行った時、ウィルはそうやって周りの大人達に笑われた。バカにしたように笑う大人達の笑い声を聞いて、胸の奥で激しい怒りが沸き上がったのを今でも覚えている。
今の自分は、あの時の大人と同じことをしたのだ。そう気付いて、ウィルは大きく息を吸って吐いた。
「悪かった。初対面のお前に、酷いこと言っちまったな。……そうだな、いつかなれるよ。その、立派な魔王ってやつにさ」
別に魔界やら魔王やらを信じたわけではない。だけど、少なくとも目の前の少年の夢を叩き潰して嘲笑うような、醜い行為をしたかったわけではないのだ。
なるべく真摯に謝ったウィルを見て、トロワはぱっと明るい笑顔に戻った。
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